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Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

About&Works

Music Synopsisは、音楽を背景から読み解く批評系ブログです。 単なる感想ではなく、楽曲が生まれた文脈、作り手の思想、文化的潮流までを掘り下げ、作品の意味と構造を分析する記事を発信しています。   取り上げるテーマは、ポップス/ロック/ボカロ/劇伴/サブカル音楽から現代声優・アニメ音響まで多岐にわたります。  特に「音楽×演出」「音楽×演技」といった音楽と他ジャンルの交差点を扱う点に特色があります。   現在は複数の同人批評誌に寄稿し、作品論・音響表現・文化的背景の分析などをテーマに継続的に執筆しています。文学フリマ東京を中心に発表を続けており、寄稿実績については下記にまとめています。

寄稿原稿/記事の執筆依頼についてはserialmusicrecord○gmail.com (○→@)まで

お問い合わせ・記事に対する意見等も上記のメールアドレスまでお願いします。

※旧livedoorブログからの移行記事があります。リンクや文体に差異がある場合がありますが、順次見直し予定です。

寄稿実績

2023年

・初出:文学フリマ 東京36

サークル:「もにも〜ど 」

寄稿本:『もにも〜ど』

『シャフト演出が音楽と交わる時ー物語る前衛音楽と魔法の音の成り立ちについて』

・初出:文学フリマ 東京37

サークル:「Async Voice」

寄稿本:『ボーカロイド文化の現在地』

『インターネット文化の源流からボーカロイド文化まで』

・初出:文学フリマ 東京37

サークル:「もにも〜ど 」

寄稿本:『外伝 もにも〜ど』

『アサルトリリィBOUQUET』のノートーSF、少女小説シェイクスピア 


2024年

・初出:文学フリマ 東京38

サークル:「ブラインド」

寄稿本:『ブラインドvol.2』

グリッドマンユニバース』に至るまで-『電光超人グリッドマン』から『SSSS.』シリーズに至るまでの想像力

・初出:文学フリマ 東京38

サークル:「試作派」

寄稿本『試作派』

成田亨デザインの源流について』

・初出:文学フリマ 東京39

サークル:「もにも〜ど」

寄稿本:『伝承 もにも〜ど2.5』

『シャフトアニメの視覚表現美学の源流──尾石達也モダニズム』(第一章)

サークル「Binder.」

寄稿本:『Binder.vol3』第三号 巻頭特集=奈須きのこクロニクル

『影の幾何学──真アサシンが描く無名性の多面体』

サークル:「試作派」

寄稿本『試作派』

成田亨デザインの源流について』(製本版)


2025年

・初出:文学フリマ 東京40

サークル:「ブラインド」

寄稿本:『ブラインドvol.3』

『音楽×青春×人間関係ガールズバンドアニメにおける群像劇について

──或いは『響け!』から『トラペジウム』に至る病』

・初出:文学フリマ 東京40

サークル:「Binder.」

寄稿本:『型月研通信 vol.3』

蒼崎青子(学生時代)のギターはなぜS-S-S型なのか?』

・初出:文学フリマ 東京41

サークル:「もにも〜ど」

寄稿本:『もにも〜ど3(仮)』

『シャフトアニメの視覚表現美学の源流』(第二章)


寄稿書籍に関してはBoothを中心とした各サイトでお買い求めいただけます。

以下のサイトよりお買い求めください。

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『Binder.Vol3 奈須きのこクロニクル』

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紹介記事

moni-mode.hatenablog.com

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以下のリンクはこれまでの記事の中から筆者視点のおすすめとしてご紹介します。

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この記事は菅野楽曲識者λさん(@infinity_drums)さんとの共作記事です。全体文字数が7万文字ですがその中の2万字ほど提供していただきました。非常に有意義な記事になったと思います。

 

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この平沢進記事は当ブログの最大級のスケールとなっております。いずれ改稿はしたいと思っています。第二部も書く予定ではあります。あくまでも導入部としての平沢記事です。

 

 

三部作特集:MyGO!!!!!とAve Mujicaをめぐるトライアングル

アニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』および『Ave Mujica』を、音楽・演技・制度という三層から横断的に読み解いた三部作。バンドリという枠を超えて展開される音響・物語・構造の更新を、音楽文化・声優表現・神話的視座から照射しています。

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羊宮 妃那さんの演技言及 四部作

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声優論三部作

 

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表音・表意・表義──声から音・音から言語・言語から意味

「劇伴・声・音──若山詩音・羊宮妃那という座標」において、若山詩音/羊宮妃那が2020年代のアンセム声優であるという、非常に個人的な主張を書いた記事

sai96i.hateblo.jp

から始まり、たくさんの反応があった。

そこから、羊宮妃那に軸足をおいて、拡張した前作

声=音=言語=演技の交点|羊宮妃那論。この記事が

sai96i.hateblo.jp

も、とても凄く反響があり、非常に嬉しい限りです。まずは読んでいただいた方、本当にありがとうございます。出発点は羊宮妃那という表現者をただただ、書いただけだけだったはずなのですが、いつの間にか射程が広がり、等式が描けることができ、、というのは前回の末文で書いたが、じゃあどっからその等式を編み出したのかを書いていなかったので今回はその話を。いつもは工程話野暮なのでしませんが、あの記事を読んだ人の中には、どういう理屈、枠組みであのタイトルに至ったのか、その工程を知りたい人ももしかしたらいるのかもしれない。という可能性も併せて。

 

声=音=言語だったのです。最初は。

 

「=演技の交点」というのはそれが演者に還元されるという付け足しであって本来でいえば「声=音=言語」=構造という一文のみ。では改めてこの等式はどこから導き出したのか、あれは、「言語が思考を規定する」=「サピア=ウォーフ仮説」からです。それもテッド・チャンの『あなたの人生の物語』と掛けての。

SF的構文認識(サピア=ウォーフ)というわけです。

もちろんヴィルヌーヴの『Arrival』の映像化作品がSF映画の表現として圧倒的だったことももちろん大きい。とにかく未見は見て欲しい。

Kangaru

Kangaru

オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト

オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト

  • マックス・リヒター, ルイザ・フラー, ナターリア・ボナー, ジョン・メトカーフ, フィリップ・シェパード & クリス・ウォーシー
  • クラシック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

この映画なしにあの論なしとも言える。そのくらい原作の難しさを緩和している。そして監修を担当したのがMathematica(命名がスティーヴ・ジョブズ)を開発したWolfram Research社の代表スティーブン・ウルフラム。 


www.youtube.com

まず”=”の活用がそれなんです。

この圧倒的な金字塔中篇言語SFについては最早不要なので説明しませんが論の立て方は異星人「ヘプタポッド」の言語が

  • 時間非線形的構造(未来の認識が可能)

  • 視覚記号(文字)が円形かつ一単位で完結した意味をもつ

そしてこれらの視覚記号(文字)の言語は2つの種類の統一したものである

  1. 表音文字-音(読み)に意味が対応-英語・ローマ字
  2. 表意文字-文字そのものに意味がある-中国語・漢字

1+2=表義文字-表音+表意=意味と文脈の複合体-漢詩・ヘプタポッド語

1つ目の表音文字=音質・抑揚に意味が宿り、2つ目の表意文字=声の“型”が意味を帯びるこれらを経て3つ目の表義文字の概念を(声と発話)というふうに書き換えれば声優=表義音声となります。

まずこれを念頭においた上で、では羊宮ボイスがなんなのか?と考える。そうすると

羊宮妃那の演技は、表音的な声色の繊細さに加え、キャラ・演出・音楽と接続することで「文脈を含んだ音=表義的声」として機能している。

 

ここの段階であの文章に書かなかったものの頭に螺旋として描いたのは

  • 表音声優(phonetic)=音色に意味を集約する演者
  • 表意声優(semantic/ideographic)=発話の型や構文でキャラの意味を組む演者
  • 表義声優(symbolic)=声・文脈・演出・音響が複合に交差して意味生成を担う演者

この原理ともいえる定義上では本編よりも、もっと広義な範囲で包括できておりまして

声を主題に声優を軸にナレーター、俳優における声が印象的な人も含め以下のように分別しました。

特に表音と表意ですがあくまでも基本軸に依拠している発声段階という意味であり、スローで声を低くすれば表意になれるパターンも当然あり得ますし、そういうケースを請け負っている声優も表音には多いです。

直近の声優で言えば、アタックのかけ方で表意になる水野朔(感情の即応性と構文的制御の狭間)や、低音lowで語り部にもなりえる矢野妃菜喜(声色の純粋性や音の跳躍感が強く、一瞬の深みが勝負どころのの対が語尾を制御したときに出る)とかはまさにそう。

逆に若山詩音は2020年代の中で「表音→表義」の可能性が高いと言える。

表音声優(声の質がそのまま意味を持つ)=phonetic voice acting

大平透朴璐美若本規夫三石琴乃古谷徹田中真弓井上喜久子花澤香菜杉田智和東山奈央、若山詩音、阪口大助保志総一朗丹下桜宮野真守鈴代紗弓、結川あさき、日高のり子緒方恵美南央美玄田哲章鈴村健一納谷悟朗石丸博也田村ゆかり井口裕香堀之紀野中藍小清水亜美阿澄佳奈竹内順子松本梨香平野綾、相川遥花、阿部敦折笠富美子梶裕貴花江夏樹緑川光桑原由気戸松遥茅野愛衣門脇舞以竹達彩奈豊崎愛生上坂すみれ久野美咲朝井彩加矢野妃菜喜雨宮天植田佳奈林鼓子豊田萌絵渡辺明乃、水野朔、楠木ともり水瀬いのり石川界人、青野 武、八奈見乗児、梅原 裕一郎、伊藤かな恵佐藤聡美田所あずさ洲崎綾緒方賢一千葉繁水田わさび

 

表意声優(語り構文型)=semantic/ideographic voice acting

榊原良子中田譲治池田秀一山口勝平子安武人鈴置洋孝大塚明夫田中敦子桑島法子諏訪部順一子安武人小山力也神谷浩史川澄綾子早見沙織古川慎中村悠一福山潤白鳥哲大林隆介土師孝也石田彰平川大輔井上和彦菅生隆之能登麻美子小林清志津田健次郎津嘉山正種江原正士山路和弘野島健児置鮎龍太郎真地勇志田中秀幸速水奨山田康雄水樹奈々茅原実里水橋かおり加藤英美里斎藤千和山根基世立木文彦大西沙織井上倫宏後藤邑子中原麻衣潘めぐみ斎賀みつき小野大輔真殿光昭鶴岡聡市ノ瀬加那、金本涼輔、松岡禎丞小林裕介喜多村英梨伊藤静佐藤利奈寿美菜子皆口裕子、梅田修一朗、戸谷菊之助、河瀬茉希、小市眞琴本渡楓福圓美里下屋則子高柳知葉井上麻里奈杉山紀彰稲田徹高木渉名塚佳織成田剣小野賢章入野自由茶風林萩原聖人堺雅人井浦新辻親八小宮和枝、尾崎光洋

 

表義声優(声と文脈=意味)=symbolic voice acting

羊宮妃那、上田麗奈悠木碧林原めぐみ内山昂輝坂本真綾関智一櫻井孝宏高山みなみ安済知佳釘宮理恵沢城みゆき山寺宏一、ゆかな、佐倉綾音堀江由衣石川由依瀬戸麻沙美高橋李依藤田咲大谷育江、種﨑敦美、長谷川育美、黒沢ともよ木村良平大塚芳忠藤原啓治日笠陽子大原さやか藤原竜也大東俊介

 

 

そこからさらに代表的なW主人公・対偶という音の組み合わせで考えると

コードギアス

櫻井孝宏(表義声優)×福山潤(表意声優)

PSYCHO-PASS

櫻井孝宏(表義声優)×関智一(表義声優)

『呪術廻戦』

櫻井孝宏(表義声優)×中村悠一(表意声優)

 『DEATH NOTE

 宮野真守(表音声優) ×山口勝平(表意声優)

 『Fate/Zero

セイバー陣営:小山力也(表意声優)×川澄綾子(表意声優)

ライダー陣営:山﨑たくみ(表意声優)×緑川光(表音声優)

アサシン陣営:中田譲治(表意声優)×阿部彬名(表意声優)

アーチャー陣営:速水奨(表意声優)×関智一(表義声優)

ライダー陣営:浪川大輔(表意声優)×大塚明夫(表音声優)

バーサーカー陣営:新垣樽助(表意声優)×置鮎龍太郎(表意声優が表音化)

キャスター人生:石田彰(表意声優)×鶴岡聡(表音/表意混合)

月姫R』

長谷川育美(表義声優)×金本涼輔(表意声優)

桑原由気(表音声優)×市ノ瀬加那(表意声優)

空の境界

坂本真綾(表義声優)×鈴村健一(表音声優)

魔法使いの夜

戸松遥(表音声優)×小林裕介(表義声優)×花澤香菜(表音声優)

新世紀エヴァンゲリオン

緒方恵美(表音声優)×林原めぐみ(表義声優)×宮村優子(表音声優)

涼宮ハルヒの憂鬱

平野綾(表音声優)×杉田智和(表音声優)

<物語>シリーズ

神谷浩史(表意声優)×斎藤千和(表意声優) 

神谷浩史(表意声優)×加藤英美里(表意声優) 

神谷浩史(表意声優)×沢城みゆき(表義声優)

神谷浩史(表意声優)×花澤香菜(表音声優)

神谷浩史(表意声優)×堀江由衣(表義声優)

『ソード・アート・オンライン』

松岡禎丞(表意声優)×戸松遥(表音声優)

ノーゲーム・ノーライフ

松岡禎丞(表意声優)×茅野愛衣(表音声優)

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

石川由依(表義声優)×浪川大輔(表意声優)

『トラペジウム』

結川あさき(表音声優)×相川遥花(表音声優)×上田麗奈(表義声優)×羊宮 妃那(表義声優)

響け!ユーフォニアム

黒沢ともよ(表義声優)×安済知佳(表義声優)

リズと青い鳥

東山奈央(表音声優)×種﨑敦美(表義声優)

魔法少女まどか☆マギカ

悠木碧(表義声優)×斎藤千和(表意声優)×喜多村英梨(表意声優)×水橋かおり(表意声優)×野中藍(表音声優)/加藤英美里(表意声優) 

機動戦士ガンダム

古谷徹(表音声優)×池田秀一(表意声優)

リコリス・リコイル』

若山詩音(表音声優)×安済知佳(表義声優)

亡念のザムド

阿部敦(表音声優)×折笠富美子(表音声優)

『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』

江口拓也(表意声優)×早見沙織(表意声優)×東山奈央(表音声優)×佐倉綾音(表義声優)/悠木碧(表義声優)

SPY×FAMILY』

江口拓也(表意声優)×早見沙織(表意声優)

進撃の巨人

梶裕貴(表音声優)×石川由依(表義声優)

閃光のハサウェイ

小野賢章(表意声優)×諏訪部順一(表意声優)× 上田麗奈(表義声優)

 

というざっくりカテゴライズ。そしてそこから更に解体していくと

音声=構造体である

声=意味生成の装置である

演技=音響的構文である

声優=言語・演技・音響の不可逆点に立つ存在である

 

また、この状態であると、分類はできるが抽象性が高いため、構造形でorganized / disorganized offenderを導入すると、表音声優は、音そのものに感情の奔流を預けるという意味で衝動的=disorganized型の即応性を帯びる。一方で表意声優は、構文・意味順序・文法的制御を重視するという点で、計画的=organized型の構築性を思わせる。そして、この両者を包摂しながら、状況と呼応しつつ文脈そのものを生成する表義声優は、時に組織的に、時に逸脱的に振る舞う複合型(hybrid offender)として読み替えることができる。

 

その意味では基本的な生来の声質としての「表音」が「表義」に後天的に役柄として様変わりする時もある。

 

PSYCHO-PASS』において常守朱を演じる際には「部分的表義声優」となる。声優の演技構造における変異の提示の最たる例といえるだろう。花澤香菜自身がもつ声質による無垢さという資質に対し、「制度と倫理の葛藤」を語らせるというのはやはり構文の飛躍である。それはあの作品が基本的「表意」「表義」しかいないというのが多いに影響しているが、そこに表音声優を表義と一時的に変容させた、そして演者がそれを成立させたという意味でも不思議なキャスティング構成であると言える。

PSYCHO-PASS』第一期 主要面子

 

声優のイメージの文脈跳躍=声優表義化の象徴、つまり声優という存在が声そのものの意味から文脈操作の能力へと移行しうることの実例であり、いわば、声優=表義化プロセスの具現化にほかならない。

 

とはいえ、本来言えば「表音」であることは間違いない。例えば花澤香菜千石撫子-『恋愛サーキュレーション』を成立させたという意味では明らかに発生された声そのものが表音である。声の高さ、語尾の愛らしさ、息遣いのリズムなど音質そのものが意味になっているカバーで本楽曲を釘宮理恵が歌った音源が存在するが、釘宮理恵ver.=表義型であり釘宮の「声の型」は、常に文脈・役柄・物語性と接続して出力される。


釘宮が同じ音階を発しても、「ツンデレ的なアイロニー」が混入し、 聴き手はあの釘宮があえて歌っているという文脈を読み取るざるをえない。それはやはり、「音+文脈=意味」となっているからである。つまりどちらも聞き応えはあるが、本家の味は表音ならではの体感と言える。

 

なお、「表音/表意/表義」という演技の構造分類に、声域──バリトン、テナー、アルト、ソプラノの軸を交差させることで、声の質量・密度・飛翔性といった“身体的音響”と“意味生成”との連関が明確化される。たとえば、表意声優におけるバリトン型(中田譲治大塚明夫)は、言語制御の圧に物理的重厚さが加わることで、思想的説得力が最大化される。対して、表義声優のソプラノ型(悠木碧/羊宮妃那)は、音の軽やかさと文脈跳躍の組み合わせにより、感情と構造の両立という、極めて希少な演技領域を体現している。

 

よりわかりやすく書くのであれば、

「表音 × ソプラノ」

音の跳躍性・爆発性。

感情的で衝動的な可憐キャラ

(例:東山奈央野中藍

 

「表意 × アルト」
構文力と落ち着きによる説得と諭しの声
中庸な音域に論理的説得力を持たせ、安定した存在として機能。
(例:田中敦子川澄綾子

 

「表意 × バリトン

言語による圧倒・構築型。

威厳や説得を言葉で制御

(例:中田譲治大塚明夫

 

「表意 × テノール
柔らかい声域に技巧を重ねる理知型演技者
構文力・語り力が高く、信頼感と知性
(例:福山潤神谷浩史小野大輔

 

「表意 × ソプラノ」

知性と純粋性が同居する語りの構文者
繊細に言葉を操る少女キャラや理知型ヒロインに最適。
(例:早見沙織桑島法子

 

「表義 × バリトン
重低音の中に構造的意味を内包する思想型演技
声の深さが、役柄の倫理的・世界観的構造と結びつき、強度と厚みを生む。

(例:櫻井孝宏山寺宏一)

 

「 表義 × テナー」

構文・感情・跳躍性をすべて併せ持つ中音域のバランス型
理性・共感・情動のスイッチングが自在で、特に“対話”に強い。

(例:内山昂輝櫻井孝宏)

 

「表義 × アルト」

文脈生成型の演技×身体的中庸=汎用型

(例:坂本真綾安済知佳佐倉綾音

 

「表義 × ソプラノ」
軽やかさと跳躍性、だがその中に物語文脈が通底する超希少型

(例:羊宮妃那、上田麗奈悠木碧、種﨑敦美)

 

その上で

表義の中でも全音域に対応可能者であり、「構造/意味/感情/跳躍」の全方位性型

「表義×バリトン×テナー×アルト(ソプラノ)」

人格×構文×感情=変幻の極地声-声そのものが構文として全領域横断型

(例:櫻井孝宏関智一)

 

さらに先述したorganized / disorganized型も追加すると以下のように区別できる。

 

代表的な例を2000-2010年代の比較的わかりやすく、知名度があり読者からしても象徴的であろう役者でorganized / disorganizedを音域で列挙する。

 

中村悠一 –「表音・バリトン・organize」型
表音) 情動を正確に支配し、抑制された低音の中に情熱を封じ込める演技。

 

野中藍 –「表音・ソプラノ・disorganize」型
表音) 衝動と崩壊が主軸。跳ね回るような声でキャラの非論理性を魅力に変える演技。

 

渡辺明乃 –「表音・アルト〜バリトン・organize」型

声の質感がそのまま意味となる。低音域の響きや声圧、がキャラクター性と直結の演技

 

楠木ともり –「表音・テナー〜アルト・disorganize」型

独白・独語的語り、息をこらえた演技、掠れ気味の繊細さ、壊れかけの少女像、内面の爆発を秘めた演技

 

早見沙織-「表意・アルト・organize」型
表意)意味と語りが主軸。語ることで空間を支配する演技。

 

神谷浩史 –「表意・テノール・organize」型
表意) 柔らかい声で言語と論理を組み上げる。整然とした語りの強度。

 

福山潤 –「表意・テノール・disorganize」型
表意) 笑い・皮肉・狂気の混成。構文が崩れながらも意味が突き刺さる演技。

 

大塚明夫 –「表意・バリトン・organize」型
表意) 重さと説得。語りで人間そのものの重層性を言語化する演技。

 

成田剣 –「表意・バリトン・organize」型

表意)意味の構文で役を語る。語尾・呼吸・間合いに説得力が宿る演技。


津田健次郎 –「表意・バリトン・disorganize」型
表意) 意味を崩しながら魅せる。語尾の不安定性すら作品世界を強化する演技。

 

小野賢章 –「表意・テノール・organize」型
表意:語り・構文・文脈を軸に感情を組み立てていく演技。言葉が世界を定義する。

思春期から青年期の情熱と理知を表現しやすい。

 

高木渉 –「表意・テノール・organize/disorganize」型
表意)語りや構文が主体だが、時に逸脱し、文脈操作の域に踏み込める天才型演者。

高木刑事-元太=「構文の幅が広い」=明確な論理/感情のバランス

 

坂本真綾 –「表義・アルト・organize」型
表義) 文脈と思想を抱いた声。すべてのセリフが物語の根幹と接続している演技。


悠木碧 –「表義・アルト・disorganize」の型
表義) 壊れた文脈の中で構造が立ち上がる。逸脱が哲学を含んだ声になる演技。

 

種﨑敦美 –「表義・ソプラノ・organize」型
表義) 声の軽やかさと構文の完成度が共存。物語全体の意味を背負える演技。

 

上田麗奈-「表義 × ソプラノ × disorganize」型

表義)声に文脈や構造そのもの、単語の間・沈黙・余韻にまで意味の波動が宿る。

 

山寺宏一 –「表義・バリトン・organize」型
表義) 世界観そのものを声で統御する。声に込められた知性と構文の極致。

 

櫻井孝宏 –「表義・バリトン・disorganize」型
表義) 世界を壊しながら意味を立ち上げる声。破滅的であることが構造になる演技。

 

櫻井孝宏 –「表義・全音域・organize+disorganize」型(=hybrid offender)
表義) 声そのものが構文化され、どの音域・感情・意味空間にも“言語化された人格”を宿せる稀有な存在。organizeでは知性と整音で空間を支配し、disorganizeでは逸脱と破綻が物語そのものになる演技。

 

関智一 –「表義・全音域・organize/disorganize」型(=hybrid offender)
表義) 声という構文のすべてを横断する多声的存在。構文、逸脱、跳躍、説得すべてを内包した演技。

 

日笠陽子 –「表義・ソプラノ〜アルト・organize+disorganize」型(hybrid寄り)
表義)声そのものが空間を構築する。整音された構文を通じて物語の背骨を担う一方で、感情の跳躍・皮肉・破綻も巧みに内包し、音の密度と意味生成を両立。organizeでは理性と秩序、disorganizeでは爆発とアイロニーを支配する。

 

沢城みゆき –「表義・全音域・organize+disorganize」型(=hybrid offender)
表義)声そのものが意味の構文装置となり、どの音域・性質・文脈においても“語ることが物語の構造を変える力”として作用する稀有な存在。

意味・声域・構文・感情すべてを操作。唯一無二の存在。

organizeでは、整音・言語支配・理知的構文、disorganizeでは、構文をわずかに崩し、あるいは過剰に濁らせることで、人物の倫理性や感情構造を語ることで歪める力を持つ。その声は感情の写しではなく、物語と役柄の意味生成装置として機能し続ける。

 

 

 

このように、三種× 「歌唱声域」×organize型/disorganize型におけるカテゴライズをすると、各役者がどういう演技が一番味が出るのかというのが*1明確になってくる。そのため、公表されている場合、その声優が主にどこに位置しているのかというのは案外重要であるといえる。

 

基本的に、ここまで書いて思ったのだがアナザー含めガンダムの主人公声優は

「言葉より先に声で感情を叩きつける存在」という意味では表音声優が多い。

つまりは「表音× (テナー〜ソプラノ)」にほとんどが包括されるのではないかと。

「二度もぶった。親父にもぶたれた事ないのに!」

カミーユが男の名前でなんで悪いんだ!俺は男だよ!」

「いえ、行きます。連邦軍は嫌いですし、なによりもティターンズはもっと嫌いなんです!」

「このぉ、猫の目か狐目なんか。」

「あんたの神はどこにいる」

 

まぁ、こう言った具合に。

主観とはいえ、無意識ながら、歴代のガンダム声優が表音に多いのはそれ。

論理(=表意)でも、文脈操作(=表義)でもなく、 音の高さ・声の圧・息遣い=表音的エネルギーそのもの=ガンダムの主人公は、演技の根幹が声そのものに意味が宿る=表音声優であることが多い。

 

あと、贔屓目ではなく構造的な意味で敢えて『Fate/Staynight』ではなく『Zero』を陣営で列挙したわけだが、『Fate/Zero』のマスターは単なるサポーターではなく、倫理・理念・矛盾・戦略・葛藤など、これらすべてを“言葉”で語る者たち、故に、物語の論理構造を担うキャラクターだからこそ、彼らに必要なのは、「声の強さ」ではなく、言葉の選び方・呼吸・句読の置き方で“思想”を語れる能力であり、これはまさに表意声優の領域。

多分ここは原理原則上、間違いなく音響側で統一されている。単純に召喚手は人間であるからこそ、地の声が強い表意型というのもあるが。

 

この辺りはこれまでの

第一「表現構文」=これは声の役割を分類する軸

(表音/表意/表義)

第二「声域」=音響的な身体性の軸

音響的な身体性の軸(バリトン〜ソプラノ)

第三「構文統御(offender型)」=演技制御のタイプ

演技制御のタイプ(organize/disorganize/hybrid)

に加えて、「可変か固定か」「内在か外在か」という2つのレイヤーを重ねることで、声より立体的に把握されるようになるだろう。

・「可変型/固定型」

「可変型」

演技ごとに「声の質感・構文・役柄の距離感」の自在、複数の構文人格を持っている

「固定型」

どの役でも一貫した演技美学・声域・構文。演技スタイルそのものが強度を持つ。

 

・「内在型/外在型」

「内在型」

演技の中に感情が流れ込み、声の震え・沈黙等の所作が演者自身の「内的振動」に直結

「外在型」

台詞の配置・構文の強調・語尾の設計など、全体を「俯瞰と構造制御」と意図的設計

 

つまり『Zero』における召喚手は、言語による思想の提示=音でなく構文である=表意声優=倫理・葛藤・戦略という内的命題を語る=トーンを崩さない=固定

成長キャラクターのウェイバーは前半がdisoraganize型、後半はorganize型という変容を遂げているから、表意の中で統御としてhybrid型といえる。

雁夜といった身体的にまず可変しているキャラクターを除き、まず全員が固定であり崩さないのでorganize型、狂人枠の龍之介・雁夜のみ統御型としては明らかにdisoraganize型といえる。

Fate/Zero』召喚手一覧

 

それで言えば『まどか』は元々佐倉杏子はいなかった。という事実を踏まえると

表義声優×表意声優×表意声優×表意声優の四角構造だったと言える。

そこで敢えて、本編における動きに代表されるように、感情のバランサーと倫理を担えるキャラクターとして配列されるからこそシャフト作品に常連とはいえ、表音声優が加わったことで、音の即興性としての要素が加わり五角構造になったのは妙であり、ここには固定型×内在型が起用したと言える。

 

表義×1、表意声優×3(=意味生成型 × organize)に固定型×内在型の表音声優=野中藍佐倉杏子)を入れたことで感情が跳ね、表意の語り構文が歪み、結果的に場が回転する。表意だけの場の緊張感の中に、キャラクター像とその処理含め、跳ねる衝動として再構成され、物語全体が「五方向(義/意/意/意/音)」の構文バランスを持つ、五角構造へと変化したと言える。

まどか☆マギカ』主演5人声優の構文分別

この記事では偶然にも、虚淵玄が手がけた3作品『まどか☆マギカ』『Fate/Zero』『PSYCHO-PASS』のキャスティング構造を表に落とし込んだが、これは意図的に寄せたものではない。にもかかわらず、各登場人物に配された声優の「構文型=演技構造」は、必然的に「表意」「表義」に集中していた。

このことは、虚淵作品において、演技とは意味を生産する構造装置でなければならず、声とは物語と倫理を構築する媒体であるという、根本的な作品構造の要請に由来する。

虚淵玄の作品世界は、倫理、矛盾、秩序、戦略、葛藤といった「思想的課題」を構文として語ることが前提となっており、それゆえ「声=音」の衝動性ではなく、「声=言語=構造」という意味生成の能力が最優先される演技領域となる。

そのため、感情や音色によって物語を牽引する表音声優の起用は、構造的に極めて限定される。それは単に演出や作風による選択ではなく、作品そのものが「論理によって駆動される」構文的世界であるからにほかならない。

つまりこの考察を通じて顕になるのは、虚淵作品におけるキャスティングとは、単なる「演技のうまさ」や「声質の適性」によって選ばれるものではなく、思想を語ることのできる構文型の声優であるかどうか、すなわち語りの適格性を基準とする「音響構文主義」的選定基準によって決定されているという事実である。

これはいわば、世界観そのものが「理屈で組み立てられている」ため、キャラクターたちは「感情」ではなく「論理」によって動かされ、その論理を担保するのが声優の演技構文力であるという設計思想と言える。

例外として先の三作がすべて「語る者=構文者」を主人公にしたのに対して、『GODZILLA 怪獣惑星』では語れない者=構文を破壊しようとする者を中心に置いた。虚淵世界では「語る=構文構築者」であることが前提(=表意・表義) だがハルオは「叫びによってしか自分の倫理を伝えられない」存在=構文としての言葉ではなく“衝動の音”を発せられる声優が必要という意味で“構文以前”の人間存在=ハルオ=宮野というキャスティングになったと言える。宮野真守は表音であるものの、「叫び」といった演技においては夜神月の来歴(言語が暴走する人格の経験は、衝動的構文演技の最適解)を持つ故に、言語を操っているようで、実際には音が構文を押し流していくような役というのは、表音型disorganizeの典型。そして宮野真守表音×アルト×disorganize型の演技は折り紙つきである。音の爆発性・抑揚・感情の即応性に優れるが同時に技術的には演技を構文化するリズム感が「表音」でありながら虚淵世界にいられる所以であると言える。

 

 

 

こうして、色々な軸を展開していける文章とはいえ、この段階になると本編は冒頭から設計が翻訳不可能性で進んでいたため、これらを書いたらもっと固い話になるし、趣旨とずれるだろうからこそ、敢えて伏せたのですが、この時点で見えたことはおそらく表義声優こそが最も希少かつ、特出な分類なのだろうということは思いました。

そんなことを思いながら、例の記事では冨樫解説の引用・援用として作り上げたものが

声優=「音響的合理性(理系)」の上に、「人間的共感(文系)」を重ねる演者である。

という形だったのですが、これはこれとして意味はありますし、あの論における背骨となっていますが、同時に立て板に水から出てきた一種の方便でもあるわけです。

本当に引用すべきは表義文字-表音+表意/声優=→表義音声(音・発話)のほうが本来言えば正しいんだろうな、と思ってはいたのですが、いきなり表義文字なんて出してもあの記事のテンションとしては乗れないと思った。

だからこそ、冨樫義博森博嗣という頭のいい作家連結で繋ぎ目としての一種のマクガフィンを掛けたわけです。

  • 冨樫義博-複層的な文脈(作中作・制度・情報操作)=意味=表意的

  • 森博嗣-構造美・理系脳・記号整理=音=表音的

実は三重構造であり、つまり、これはすり替えると一番上の部分を提示でしかない。

  1. 声優=「音響的合理性(理系)」の上に、「人間的共感(文系)」
  2. 冨樫義博=複層意味=表意的/森博嗣-構造美=表音的
  3. 表義文字-表音+表意/声優=→表義音声(音・発話)

そしてこの時点で言語-音-声と置き換えられている。と思い、このときようやく、「声=音=言語」という等式が、思考ではなく感覚として回路として繋がった。

そしてなによりも『メッセージ(Arrival)』の中核が言語=認知=世界=時間という全構造の再定義。それがより後押しになった。

トラルファマドール星出身トラルファマドール星人のような気分で。

これでようやく声=音=言語=演技=意味生成装置と定式化の完成というわけです。

では、これがペアならどうか?つまりWキャスティングだとどうなるのか?二人の組み合わせのベストな状態はなんなのか?あるいは『まどか』のような3人以上が主体となるようなキャスティング、そしてやってはいけないキャスティングだが、一応実例としては存在する形含め、構文配置様式(Casting Configuration)として明確にあります。これは単体構文(表音・表意・表義)が意味生成装置として機能した先に現れる「相互構文の均衡構造」であり、声優演技が相互的な構文干渉によって意味が増幅される。その構造化についての話です。おそらく読者のみなさんも「このアニメのこの組み合わせがいい」という作品は1本は持たれてはいるのではないでしょうか?そうした作品をケーススタディとしてどのパターンが一番「理想的」機能してきたのか、あるいは「あの声が仮にあの人だったら」というIFを再現するとどうなってしまうのか、というまさに声優の掛け合いについて、より論理的に語りうる様式になります。

 

構文配置様式(Casting Configuration)について

構文配置様式= ペアリング均衡を形成するためのキャスティング構造の分類

大枠としてはキャスト様式/均衡モデル /構文的特徴で組めることができる。

構文配置様式-ペアリング均衡

Wキャスト型(安定均衡)

表音×表意において最も成立しやすいパターンであり、大半の組み合わせはここに入る。これまであらゆる作品があると思うが、体感として6割はこの安定均衡に部類されるものと推察することができる。要するに「壊れてない」「違和感なく聞ける」という、名前の通り安定したキャスティング。直帰の例としてはやはり『リコリス・リコイル』がベストであろう。あれは表義×表音という意味では安定型の中ではかなり難しいパターンで成功している。

トリオ型(拡張均衡)

3人において構成される様式。代表的なものとしては『化物語』における暦・ひたぎ・真宵がある。表意*3人という構成が成立しやすく、作品が会話劇であることが大きな要因。逆に『Fate/stay night』では、士郎・セイバー・凛のトリオが、表音・表音・表意という構成で安定を保っている。士郎と凛の表音が物語を感情的に推進し、セイバーの表意がそのエネルギーを語りの構文で包み込む。

五角均衡型(拡張均衡)

魔法少女まどか☆マギカ』の5人編成が代表例。表義・表意が中心に配置されることで、逆に表音型が浮き立ち、会話や構文のリズムに逸脱をもたらす。それが作品全体の音響的バランスを支える要素となる。逆に「表義」と「表音」*3に表意という構成は案外実験としては面白いと思うが、実際例としては思い当たらない。そして6人以上はそもそも成立した類例というものが自分の中では見当たらないので保留とする。

 

破綻・禁忌型(干渉型)

これは例としては成立しなかったが、そのことで逆説的に証明した例ではあるものの、『復活のルルーシュ』の作中においてスウェイル・クジャパット(津田健次郎)とルルーシュ福山潤)は直接的に台詞で対話する場面を持たない。一見これは演出上の偶然のように思えるが、構文論的視点からすれば極めて理に適った配置の選択である。

津田健次郎-表意 × バリトン × disorganize(知性と不安定さを同時に孕む語りの構文)

福山潤-表意 × テナー × disorganize(理知と激情を制御しきれない語りの跳躍者)

このdisorganize × disorganize × 表意構文の衝突は、構文的過飽和を引き起こすリスクがある。両者ともが「語る力」を持ち、意味を生成しながら破綻させうる存在であるため、もし直接対話が成立していた場合、作品の均衡が崩壊し、視点喪失が起こっていた可能性が高い。この例は、構文構造において「会話させない」ことが、均衡の破綻を未然に防ぐ高度な演出戦略であり、不在による均衡という概念を補完するものとなる。

基本的にこの破綻・禁忌型はよほどのことがない限りそもそもキャスティング段階で組むというのはあり得ない。つまり同じ分類上にいて音域が一つしか異なる以外、性質が同じである場合、それはどちらか一人いれば「成立」するのであって同時に対話すると構文的にも合わない。成立しないとまでは言い切れないが、組み合わせとして類似したパターンを取るというのは挑戦的と言えるだろう。

 

変容型(成長型)

これは、キャラクターの成長に伴って、演者の演技構文が〈organize⇄disorganize〉を横断せざるを得なくなる稀有なパターンである。つまりは基本的に演者は型そのものは崩さないが作品キャラとしてどうしてもそうならざるを得ないというパターンという意味では珍しい型だ。ゆえに例が『Fate/Zero』におけるウェイバーくらいしか思い浮かばないのだが、要は、構文理論において「変容型」は、演者・キャラクター双方において構文属性そのものが物語内で移行する稀有なモデルである。すなわち、可変型の声優がストーリー進行に応じて統御・構文・意味生成の性質を変化させることで、均衡モデルそのものが物語内部で移動・変質することを特徴とする。

初期段階のウェイバーは、「表意 × アルト × disorganize」の典型。

表意は語りが意味を生成する構文性を有する。そしてアルト音域で、高すぎず低すぎず、中性的で不安定な響き。感情の起伏に制御が効かず、語尾に揺れがある意味ではその上でdisorganize型。つまり、この構文は、序盤の「言葉が先行し、意味が追いつかない」青年像と一致する。しかし物語が進行するにつれ、彼の発話の構造が変容する。

語尾が安定し、間合いが整い、意味の前提を語り始める(征服王への問いかけ付近)。

つまり、感情が制御されることで、語る者から構文を支える者へと変化。終盤では「表意 ×アルト × organize」へと遷移し、物語全体の思想的均衡を担う存在に成長する。

この移行は単なる演技の上手さというよりは、声優の持つ可変性(変容性)とキャラクターの成長性が一致した結果であり、「演技構文の進化によって、均衡自体が移行する」という現れと言える。

変容型において特筆すべきは、一人の声優が一作品の中で複数の構文型を横断することが可能であることにある。これはキャスト構成ではなく、一人の演者内で内的ペアリング均衡が起きるという構造であり、極めて高度な構文制御を要する演技形態である。

ウェイバーのように「disorganize → organize」へと構文が変容するケースは、キャラクターの成長と演者の演技構文が完全に一致していた稀な例であり、物語上の感情成長が“音”として聴覚に訴えることで、聴き手の認知構造までも変容させていく。

テンションによる変化は、感情演技のうまさや演出要求への即応性であり、「可変型」であれば当然できる。しかし変容型=構文自体が変わるというのは、声の抑揚や勢いではなく、「言葉の組み立て方」「文節の取り方」「沈黙や語尾の制御」など意味生成装置そのものの変質と言え、その意味では成長型とは、構文の根本的シフトであり、テンション操作による調整とは明確に異なる演技現象と言える。

 

 

表義声優構文に基づく演技均衡論 

安済知佳を軸とした『リコリス・リコイル』と『響け!ユーフォニアム』の比較分析

・『リコリス・リコイル』における均衡構造

安済知佳-表義 × アルト × organize

松岡禎丞-表音 × テナー × disorganize

このコンビネーションは明確な安定均衡を構成している。

安済(理念を沈める声)× 松岡(跳ねて攪乱する声)

安済の低く抑制された構文が垂直方向の重力を与え、松岡の衝動的で水平方向に揺らぐ声が構文を拡散させる。この「縦の制御」と「横の跳躍」の交差によって、作品のトーンが軽やかに駆動し、視聴者は両者の間に存在する構文的な余白に没入できる。

・IFキャスティングによる破綻均衡

仮に、真島役に櫻井孝宏(表義 × バリトン × disorganize)を配した場合、破綻均衡が発生する。表義 × 表義の正面衝突により、意味が過飽和状態に。特にクラウゼヴィッツを引用する場面では、哲学劇へのスライドが起き、作品の青春性・娯楽性が壊れる。

真島というキャラの「軽さ」が消え、視聴者が視点を見失うリスクが高まる。これは、キャラクターが“語る”だけでなく、作品構造そのものを語り始めること(=『PSYCHO-PASS』における槙島聖護現象)により、演技構文がメタ化してしまうことによるズレである。

・『響け!ユーフォニアム』における拡張均衡

安済知佳(麗奈):表義 × アルト × organize

黒沢ともよ(久美子):表義 × ソプラノ × disorganize

櫻井孝宏(滝先生):表義 × バリトン × disorganize

この3名による構文構造は、拡張均衡(三重構文補完型)を成立させている。

声域:バリトン/アルト/ソプラノの三層構造

統御型:organize/disorganize の組み合わせ

特に、黒沢=情動の跳躍(表義×org)安済=抑制された倫理的構文(表義×dis)
櫻井=逸脱的な理性/構文破壊(表義×dis)という三者のバランスが、作品全体の音響倫理を支えている。このトリオは、感情(久美子)/信念(麗奈)/構造(滝先生)

の三構成を役割的にも構文的にも補完し合っている点で、音響構文設計の理想型の一つといえる。

 

安済知佳という表義演者の応用性

安済知佳という声優は、演技の派手さでも音色の煌びやかさでもなく、意味を生成する構文操作の巧みさによって物語を成立させる数少ない表義声優である。

リコリス』-作品にとって理念の基点を形成しつつ、表音の若山詩音の対軸としての青春的軽さの支点になれる。

響け!ユーフォニアム』-別の表義(黒沢)と拮抗・交差しながら、倫理と感情のバランスをとる。

いずれの作品でも安済知佳の役割は主役の内在化でありながら、構文の基底としても機能する。その意味では安済知佳は、表義声優としての稀少性と、構文構造内での柔軟性を併せ持つ演者である。特に、安済が参加することで作品が破綻せず、むしろ構造的に安定化する事例は『リコリス・リコイル』と『響け!ユーフォニアム』において明確であり、それぞれが安定均衡と拡張均衡という別方向での意味生成を成立させている。一方で『クズの本懐』では徹底的に壊れそうな人物像というものを演じている。それは高坂麗奈的な芯の通った達者な奏者志向の学生(表義 × organize × アルト×可変×内型)でも、キャラとしての錦木千束が背景があるものの表では明るくておちゃらけた少女(表義 × disorganize × アルト×固定×外型)でもなく、安楽岡花火(表義 × disorganize × アルト×可変×内型)という構文で成り立っている。つまり、どれも「感情が強く乗る」役だが内側で意味が組まれている(先述の3人が全員そう)。

高坂麗奈・錦木千束・安楽岡花火 各構文

つまり、表音ではなく表義でしか成立しない。それは安済本人の声質が華やか系ではないが、しかし逆にそれが物語の背骨になる演技であり、Wヒロイン作品や、内面駆動型の主人公に最適という証左でもあり、だからこそ表音型の若山詩音との組み合わせが「効く」ということになる。以上のことから、安済知佳は、「出せば当たる声優」というよりも、「出せば深まる声優」である。この文脈生成能力こそが、安済知佳の演技構文における本質的価値である。

 

その意味ではドロドロ系作品では本領発揮であり、『リコリス』ではあえて“構文を抑えて”軽やかに演じている=千束の明るさがギリギリ成立するバランスとして奇跡的。

ということだ。

安済よりの文章に偏ってしまったが、要するに表義声優の難しさという意味では最もいま、馴染みのあるキャラクターを演じた声優という意味では象徴的であり、若山詩音とのキャスティング均衡の安定性の裏側という意味で、強めに述べた。

 

以上が構文配置様式-ペアリング均衡とその内訳としての事例である。誰もが二人以上の共演における演者のバランスの巧妙さは感じていると思うが、この均衡例に倣っていけば、なぜ安定するのかというのが、声優演技構文論における組み合わせのバランスの良さであるという帰結にたどり着くであろう。

その上で均衡の中でも扱い方として「表義声優」の難しさとペアリング均衡におけるバランスの取り方についてまとめると、安済知佳は、表義 × アルト × organize × 可変 × 内在という「渋すぎる構文」。これでは「感情の爆発で引き込む」でも、「声の明るさで引き寄せる」でもない。故に、内面と倫理を重層的に制御し、構文としての“深さ”で成立する。しかしこれは戯画的に言えば、ポスターで売れるタイプではなく、鑑賞後に残るタイプ=後味型演者。

 

安済知佳は内面共鳴型でキャラと深層が一致するのに対して、上田麗奈は表義 × ソプラノ × disorganize × 外在 ×可変がメインの役者である。外在性×ソプラノの飛翔性という点において、情動と飛躍という表現が武器になるため、キャラが顔になるという印象を残しやすい。両者共に、メインストリームでは張るタイプの声優ではない。しかし上田麗奈には上田麗奈が演じることで生じる逸脱美があれ、それが御冷ミァハであり、新条アカネであり、ギギ・アンダルシアというキャラクターを演じるに当たって最も重要な「美学」であり、それを体現できるのは上田麗奈しかいない。

 

というのが続いているということだ。表義のソプラノを極めているからこそ、難物キャラクターが集中するというのは、先述の3人といい、レゼといい、久世しずかすらも「やっぱり上田麗奈」となってしまっている現状は「表義でしかできないキャラクターをソプラノの逸脱美の再現性」によって独占していると断言していい。

 

しかし、今後どうなるか、という点ではやはり、「羊宮妃那」という存在は個人的な主観を除いても外せないし。表義声優の系譜を端的にまとめるとすれば、林原めぐみ(テナー的安定構文)、上田麗奈(崩壊構文の象徴)、安済知佳(内在的・倫理系構文)など、多様に広がっているが、その中で羊宮妃那の立ち位置は決定的に異なる。羊宮は「ソプラノ〜アルト」という跳躍性と、「organize/disorganize」両構文の切り替えを自在に行える、唯一の可変型ハイブリッド表義声優である。これは感情・論理・文脈を同時に切り替える構文スイッチャーとしての資質であり、演技における意味生成装置の完成形に限りなく近い存在だといえる。

 

「声域=跳躍性」と「構文統御=organize/disorganize両対応性」が同時に成立しているという唯一の存在。この可変表義hybridという分類は、144分類表の中でも最も希少な24,36番台のソプラノ・可変・固定・内在型の中でも特殊枠として扱われるべきです。

もっとシンプルに表義レベル、統御度、声域、構文領域で表すのであればこう

これは自分もそうだが、散々上田麗奈との比較として対象にされやすい羊宮妃那であるが、実際問題として、「小佐内ゆき」と「高松燈」を演じられる時点で、音域的には上田麗奈よりも広く、そしてその上で可変というわけです。キャスティングが追いついていないだけで。(しかしこれは表義声優あるあるなので本人が悪いわけではない)

  • 安済知佳の不均衡な均衡の美学
  • 羊宮妃那の不可逆的意味生成と理系的制御
  • 上田麗奈の非対称的な情緒分布

どれも、配役がしやすいかどうか、という意味では扱い方が表音、表意のそれとは段違いに難しい。

 

これはいわずもがなであるが、羊宮妃那は、「可変声域 × hybrid構文統御」によって、表義声優の究極拡張モデルを実現しつつある。安済知佳的アルト=倫理的構文の重さ、上田麗奈的ソプラノ=崩壊的文脈の跳躍。


通常、この二つは役の方向性や声質上、排他的に扱われるのが基本である。だが羊宮妃那は、それらを同一人物の中で可変的に扱える。声域のジャンプと構文のスイッチング、両面を自在に切り替えるハイブリッド表義声優として、前例を持たない存在となっている。本人が、そして音響側がどう思っていようが、羊宮妃那は、安済知佳的なアルトの深度と、上田麗奈的なソプラノの跳躍性を、“同条件”ではなく“可変条件”で切り替えて対応できる唯一の表義声優である。というのは揺るがない事実である。

実際、現在の進行状況だけを見ても、羊宮妃那の演技軌道は驚異的である。

2023年度

新人賞(実績済)

2024年度

『小市民』一期にて静的演技の土台確立.

『トラペジウム』の大河くるみで別ベクトルからのアプローチ実践

2025年度 3月

『小市民』二期で表義声優 × 内在演技の定着と深化

2025年 5月

ガンダム ジークアクス』にて「ララァ・スン」を担当!!!完璧すぎるこの配役

これで富野由悠季キャラクターとしてギギ・アンダルシア(上田麗奈)対してのララァというキャラクターの声を当てる。これはもう表義声優でしか演じられない象徴としてのキャスティングの一つであります。

 

2025年10月期

『ワンダンス』にて音 × 映像 × 身体の統合演技に挑戦

ここからは未来だが、正直、「秋期」が2期に回ったこと、そして『ワンダンス』で内山昂輝との掛け合いという名の、表義声優同士の「表現の極地」がある以上、小佐内ゆきとは別の方向で演技で魅せてくれるであろう。となれば来たる、2026年3月の声優アワード主演声優賞を最速で受賞する確率も、正直80〜85%くらいはあるのではないか?

とりわけ『小市民』二期の解決編に至る小佐内ゆきの演技は、構文論的に言えば「表義 × 可変 × 内在 × organize/disorganize 切り替え型」という極めて珍しいパターンに位置づけられる。

構文深度 × 情緒制御 × 反応演技の三要素を同時に求められるこの役を、ナチュラルに成立させた時点で、羊宮はすでに評価ではなく証明の段階に到達している。

加えて『ワンダンス』という作品における身体的表現との同期演技が決定打として刺さることになれば、もはや2025年の顔ではなく、2020年代の象徴としての位置を確立することになるだろう。そして「新人賞受賞」以上「主演声優賞」未満の若手声優の中で、現在の目下にいる羊宮妃那を構文的に対をなせる存在はいない。

 

しかし、新人ではないものの、出演作品的に「主演」を取れる声優として、羊宮と同じく現時点で「主演」の枠に入れる声優が一人いる。 対照的なもう一人の候補上田麗奈の逸脱構文美。なんの偶然、あるいは、必然か。『チェンソーマン レゼ篇』『タコピーの原罪』というタイトルの主演が2025年に公開される。いずれも評価も高くヒットすると予見する。となれば「レゼ+タコピー」で受賞ライン到達は考えられる。

 

いずれにしても上田麗奈が逸脱美の極地として、羊宮妃那が、再構成と跳躍の可能性として、この両者が2025年に表現の頂点を見せるのは、単なる作品人気ではなく、表義声優表現における極北というべき案件が同時進行しているということであり、そうなった場合、来年の声優アワードにて「主演声優賞」で上田麗奈と羊宮妃那が並んで受賞することは理屈としては十分に成立する。

 

表義声優の流れとしては

  • 林原 → 悠木 → 上田は言い換えると意味の「安定 → 圧縮 → 崩壊」という遷移。

  • 上田 → 安済 → 羊宮は言い換えると意味の「破綻 → 内在化 → 再構成と可変化

という流れがあるからこそ、だからこそ。この二人が「同時」に受賞することが願わくば叶ってほしいのです。

 

新人がすぐに「主演」を取れるのか?という疑問は一ノ瀬加那が、新人賞(2020年)からのすぐに主演声優賞(2023年)を獲っているという「前例」がある。

一ノ瀬加那という前例がある以上、「制度的に新人が主演を取るのは無理」という言説はもはや通用しない。むしろ今後の制度的進化において、この記事でいうところの構文で語られる声優表現こそが評価されるという地盤が整いつつある。

そして

 

羊宮妃那はその進化の最前線にいる。

羊宮妃那はその可能性が一番潜在し、作品にて顕在化している。

羊宮妃那だからこそ、むしろ一ノ瀬以上のスピードで「主演」の一手を打てる。

 

羊宮妃那が受賞することに理由はいらないが、受賞しないなら理由が要るのです。

そのくらい構造的にも制度的にも前提条件が揃っている。

 

2025年6月3日以後の想像力としては、ギギとララァを演じた2人が、2025年にWで主演声優賞を取る。ということになります。熱いでしょう。

ララァ役に羊宮妃那が選ばれたこと

ギギ役に上田麗奈が選ばれたこと

これはそれぞれ、演技を超えた声そのものへの信頼が置かれているということ。
この2人が現代における表義声優の極北と中心であるという事実が、逆照射的に証明された瞬間でもある。

 

そうなった場合、さらなる飛躍が当然期待ができる。例えば、安済知佳と若山詩音によってすでに「型」としては決まっている「表義」「表音」という組み合わせが成立している以上そこをあえて安済ではなく羊宮にすることで、新しい化学反応が生まれるのではないか?

まぁ一視聴者としてはこれら表義声優の組み合わせは「難しい」けど原理上は可能。

安済=低音フーガ、上田=跳躍旋律、羊宮=対位法的即興

であれば、ここに若山詩音が入れば

安済×若山 → 構文の対比と反射がここまで定着している以上、上田×若山 → 構文の跳躍と安定とかもありだし、一番みたいのは羊宮×若山=新構文的ペアリング均衡

が一番みたい。羊宮×若山 → 構文の可変・生成・反復による均衡再設計だから。

これは劇伴・声・音──若山詩音・羊宮妃那という座標

のラストでも書いたが、2020年代を代表する声優、というよりも象徴として置くことができる二人でもあるからこそ、この組み合わせは「難しい」けど「やる価値はある」といえるのだ。

 

 

今回、この記事によって定義した声優演技理論(表音/表意/表義 × 可変/固定 × 内在/外在 × 声域 × 統御型)を統合した全144通りの内訳は

3つの表現類型(表音/表意/表義)

2つの可変性(可変/固定)

2つの内面性(内在/外在)

4つの声域(バリトン/テナー/アルト/ソプラノ)

3つの統御型(organize/disorganize/hybrid)

→ 3×2×2×4×3 = 144通り

これはあらゆる声優演技の可能性を記述可能な理論的最大公約数となります。

それをまとめるとこうなります。(以下表)

 

PDFはこちらからダウンロードできます

「音=意味生成装置」の複数軸の構文的次元を掛け合わせた144分類

声優演技構文論-144 Voice Actor Typologies(作成 rino

※ 声優ファン・志望者・音響関係者・研究者、いずれにもご活用いただけます。

表に自分の推し声優を当てはめてみてください。

 

以下は文章に転写したい方向けのコピー&ペースト用として配置します。

全コピーで活用、発展など用途に沿って使用していただければと思います。

 

声優演技構文論-144 Voice Actor Typologies


・表音声優分類

1. 表音可変内在型バリトンorganize

2. 表音可変内在型バリトンdisorganize

3. 表音可変内在型バリトンhybrid

4. 表音可変内在型テナーorganize

5. 表音可変内在型テナーdisorganize

6. 表音可変内在型テナーhybrid

7. 表音可変内在型アルトorganize

8. 表音可変内在型アルトdisorganize

9. 表音可変内在型アルトhybrid

10. 表音可変内在型ソプラノorganize

11. 表音可変内在型ソプラノdisorganize

12. 表音可変内在型ソプラノhybrid

13. 表音可変外在型バリトンorganize

14. 表音可変外在型バリトンdisorganize

15. 表音可変外在型バリトンhybrid

16. 表音可変外在型テナーorganize

17. 表音可変外在型テナーdisorganize

18. 表音可変外在型テナーhybrid

19. 表音可変外在型アルトorganize

20. 表音可変外在型アルトdisorganize

21. 表音可変外在型アルトhybrid

22. 表音可変外在型ソプラノorganize

23. 表音可変外在型ソプラノdisorganize

24. 表音可変外在型ソプラノhybrid

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・表意声優分類
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2. 表意可変内在型バリトンdisorganize  

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・表義声優分類

1. 表義可変内在バリトンorganize

2. 表義可変内在バリトンdisorganize

3. 表義可変内在バリトンhybrid

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7. 表義可変内在アルトorganize

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10. 表義可変内在ソプラノorganize

11. 表義可変内在ソプラノdisorganize

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13. 表義可変外在バリトンorganize

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23. 表義可変外在ソプラノdisorganize

24. 表義可変外在ソプラノhybrid

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41. 表義固定外在テナーdisorganize

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46. 表義固定外在ソプラノorganize

47. 表義固定外在ソプラノdisorganize

48. 表義固定外在ソプラノhybrid


 

Checkmate.

Voice became sound.

Sound became language.

Language became meaning.

Meaning became the game itself.

いしづかあつこ.『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』.2017年.MADHOUSE.

 

*1:ちなみにこの中にはまだまだ入らないが、射程を広げてこの枠組みで羊宮妃那を計測するとソプラノ〜中域(アルト)にかけて明瞭な跳躍があり、現時点のキャリアは他と比べるとかなり小さいが、小佐内ゆき=整音・抑制・知性演技でorganize寄りであり、感情抑制×音域下降というorganize的処理があると推測でき、これはソプラノ限定で演じる役者にはできないスイッチングといえる。また、大河くるみ/高松燈=破裂・衝動・情動の逸脱でdisorganize型の表出であることが、基本軸としてあると言えるだろう。いずれにしても表義にいる時点で可能性が高いことには間違いはない。その意味では羊宮妃那は跳躍と崩壊を含む、表義構文の可変型

声=音=言語=演技の交点|羊宮妃那論

sai96i.hateblo.jp

以前、「声=音」という路線を提唱して色々と羊宮妃那、若山詩音、上田麗奈、結川あさきといった形で色々と書いて、公開当初から多くの好評をいただき、手応えもあった。Xでのインプレッション数も1万と、まぁ有名人の名前を借りているとはいえ、弱小アカウントにしてはかなりみられた方なんです。

 

しかし今改めて読み返してみると、思いのほか書けていなかったという感触が残った。うまく書こうとして失敗したというより、作品群にうまくまとめさせられてしまったような感覚がある。(いつもそうじゃない?とか思われていそう)ですが、今一度、改めて「声=音」という前提をおいてこれが意味することを掘って考えてを書いていこうと思います。あのときは書き切れなかったが、いまなら書ける気がする。

声優の声=音という感覚で思索すると以上のようなことが自然と点と点で結ぶことができる。

結川あさき/羊宮 妃那/若山詩音/上田麗奈/安済知佳 - Music Synopsis

といっても1ヶ月半前なんだけど。導線としては、やはり前回同様に羊宮妃那を一つの軸足として据えるのが自然だろう。別に若山詩音でも、結川あさきでも成立はするが、読み手にとっても伝わりやすく象徴性としても成立しやすい。

随所で表現を引用しながら、個人名に還元されない普遍的構造としての「声=音」について、もう一度考えてみたい。

 

・吹き替えと字幕問題

まず取り上げたいのは、「吹き替えと字幕」という、映像作品における言語選択の問題である。これは広く知られたテーマであり、ある意味では作品を一次言語で鑑賞するのか、あるいは自国語への翻訳を通して接触するのかという話にすぎない。とりわけ、演技という観点から見たとき、それは「演者の身体性に直結した声」を取るか、それとも「俳優とは異なる声優によって再構成された音」を取るか、という問いになる。すなわちそれは、第一言語の声か、翻訳された声か、という選択であり、単なる言語変換の問題ではない。

 

この構造を端的に示す例として、しばしば語られてきたのが『刑事コロンボ』におけるピーター・フォーク小池朝雄の関係である。もはや古典的すぎて例としての鮮度は落ちているかもしれないが、今なお、みた人の記憶を定義し続けている。おそらく多くの日本人視聴者にとって、「コロンボ警部」とは小池朝雄のあのくぐもった、少し哀愁を帯びた声音で語りかけてくる人物であり、原語のピーター・フォークの声色のトーンは同様とはいえやや甲高く、やや神経質な発声を聴くと「別人ではないか」と感じるほど印象が異なる。


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これは、声が単なる意味の媒介(言葉)ではなく、存在の印象や人格の実在性を左右する音そのものであることを如実に示している。つまり、「声=音」であるという視点から見れば、吹き替えとは翻訳ではなく、再創造である。そして、その再創造は、ときに原語を超えてそのキャラクターを成り立たせてしまうほどの力を持つ。小池朝雄は、ただの日本語版の声ではない。あの声のトーン、間合い、語尾の柔らかさや呟くような問いかけがあってこそ、「ああ、あのコロンボだ」となる。反転、「原語のピーター・フォークの声」を聴いてもなお「これはコロンボだ」と即答できる日本人は、案外少ないのではないか。そもそもピーター・フォークは元来役者を目指していなかったという点もここでは大きいとはいえる。

小池朝雄は、もともと時代劇で悪役を演じることの多かった俳優である。それゆえに、「あの柔らかく、くぐもったコロンボの声」が彼から発されているという事実自体が、実はかなり象徴的だ。すでに固定化された声のイメージが、ある役を通して逆転・更新されるという稀有な例であり、ここにもまた「声が人格を形づくる」という命題の一側面が現れている。

そう考えると、「日本人的」には吹き替えでしか存在し得ないと思われている作品があるのも当然である。例えば『ハリーポッター』の一連の映画も、おそらく「鑑賞する」という意味で音として捉えやすいのはハリー=小野賢章/ロン=常盤祐貴/グレンジャー=須藤祐実/=ヴォルデモート=江原正士/=セブルス=土師孝也/ダンブルドア=永井一郎あたりの馴染み具合は今や外せない。(とはいえ永井一郎は例外的に圧倒的に別格なのだが)

 

しかし現象、というものは面白くこの逆も成立する。それもお互いが一流同士の環境でまた、例えば古いが象徴として挙げたいのが『The Dark Knight』(2008年)におけるヒース・レジャーが演じたジョーカー。ご存知の通り怪演でありその伝説は今も活きている。では日本語の吹き替えは誰が担当したのか?といえば藤原啓治大塚芳忠

実際にとても旨い。それはやはり大御所。流石といえるほどに。大塚芳忠藤原啓治の実力は疑いようがない。むしろ「技巧」として見れば、日本最高峰であることは間違いない。それに異議を唱える人は誰一人としていないだろう。

 

 

しかし、ヒース・レジャーの身体性を伴った演技、すなわち第一言語での発話表現、というよりも『The Dark Kight』における彼のジョーカー像は、母語に根差したリズム・抑揚・“間”の感覚が全て肉体化されている。単なる演技や発声ではなく、「生理的に染み付いた語りの構造」で組まれている。


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つまり、演技が文化的にも肉体的にもオリジナルの言語構造そのものに準拠しているため、原理的に翻訳された言語では再現不可能な領域に達している。それは技術の高低ではなく、演技と言語、文化的発話感覚の本質的な差異といえる。ここにかかる第一原語と第二原語の生理的な感覚は身体性に依拠するこというのは、ジョーカー繋がりでいえばこそ『JOKER』(2019年)のホアキン版も同様である。


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当然、平田広明はめちゃくちゃ巧い。しかしホアキン演技もまた、彼自身の神経症的テンションと発語の「反復」「どもり」「圧迫」を含んだ構造で成立しており、やはり第一言語で設計された発話様式である。あの異常なまでの痩躯さといい、身体性レベルでキャラクターとして確立しているからこそ、本質的には再現性は「難しい」ではなく「不可能」に近いと言えるだろう。だからこそ、演技と音は切り離せない。

 

あるいは『V for Vendetta』でもそれは同じ。これは元々Vであることに非常に意味が詰まった作品である。つまり日本語で訳すること自体がまず「無理」な作品。西洋文化に根ざしすぎている。本作は色々と影響力が破格だが、まず翻訳不可能性について述べるとこのVの自己紹介がvの単語で統一されている。


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Voila! In view, a humble vaudevillian veteran cast vicariously as both victim and villain by the vicissitudes of fate. This visage, no mere veneer of vanity is a vestige of the vox populi, now vacant, vanished. However, this valorous visitation of a bygone vexation stands vivified and has vowed to vanquish these venal and virulent vermin vanguarding vice and vouchsafing the violently vicious and voracious violation of volition. The only verdict is vengeance, a vendetta held as a votive not in vain, for the value and veracity of such shall one day vindicate the vigilant and the virtuous. Verily, this vichyssoise of verbiage veers most verbose. So let me simply add that it's my very good honor to meet you and you may call me V.

“Voila! In view, a humble vaudevillian veteran”は、翻訳不可能性の極北に位置する英語文化・修辞美・音韻構造・歴史文脈のすべてが一文に詰め込まれた言語芸術です。

非常クリアなまでに設計されたv,v,vの連打。なんとその数55回。

つまり、内容ですらも「文字の構造」と一体化している。それを別言語に翻訳することなど、もはや不可能であり、これだけの英語の発声の快感が成立してしまう。

「音そのものが意味を超える」典型例。その上で

  • vaudevillian(ボードビル俳優)
  • vox populi(ラテン語で「人民の声」)
  • vichyssoise(ヴィシソワーズ=冷製ポタージュ)

「文学・政治・料理・ラテン語・芝居」という複層的参照が、英語圏文化資本と知的遊戯の中で機能している。

日本語で再現しようとすれば、単語の頭韻を維持できない。意味を訳すと音が死に、音を訳すと意味が壊れる。しかもこの“V”という文字が象徴である以上、日本語ではそもそもラテンアルファベットの「V」文化が成立しない。そしてなによりも、ガイ・フォークス、英国王政、オリヴァー・クロムウェル、エリック・アーサー・ブレア(オーウェル)的世界観など、全部イギリス人であれば即座に通じる文化記号であり、他言語圏の観客にとっては「説明されなければわからない象徴」。

 

これにより、「セリフが意味すること」と「Vという存在が纏う意味」が一対一対応していない=翻訳できない。その上で映画では役者ヒューゴ・ウィーヴィングが仮面を外さずに“全てを声で演じる”。

 

逆に、原語への翻訳の困難ではなく、そもそも翻訳を前提としていない/不可能であることが表現の核になっている作品もある。たとえば、ネットミームでお馴染みの『コマンドー』は、日本語吹き替えによって独自の文化的価値を獲得した例であり、もはや原語とは別作品として機能している。そして『パシフィック・リム』は、アニメ文法を実写に適用したことにより、むしろ吹き替え音声での鑑賞が原作の演出設計に近づくという特異な構造を持っている。

ここにおいても、「音の意味構造」が文化設計に組み込まれていることは明らかだ。

 

 

この構造のなかで、現代において翻訳不能な声として最も象徴的な声優の存在は誰か?

答えは明確だ。羊宮妃那である。

 

・Mygo!!!!!の人気が証明した逆説

翻訳不能な声=声優という職能の到達点をMygo!!!!!は提示し続けている。前提は取っ払って事実レベルを列挙すると、中国でMyGO!!!!!が日本以上に熱狂的に支持されている。だがそれは「作品が良い」「キャラが可愛い」だけで済む話ではない。

なぜか?、平等に考えて、それだけなら旧バンドリ(Roselia・RAS等)でも起こっていてよいはず。ここに掛かるコンテンツとしての異物性は以下の記事で書いたので参照されたし。

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では”何が"がその人気を保持しているのか?そこには様々な要素がある。

とはいえ、それまでになくて、Mygo!!!!!にあるとものという点で羊宮妃那の存在は大きい。そしてご存知の通り、MyGOは歌詞も演出も完全に日本語=第一言語限定の表現。にもかかわらず、字幕ではなく声と音そのもので届いている。つまり、吹き替えも英訳も介さずとも、ただ「声」と「演技」で刺さっている。そしてこれは以前の記事でも述べたように表現として聴衆に刺さっていると言っていいだろう。

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つまりこの時点で「歌」=声=言語=表現と置き換えることができる。もちろんその垣根を飛び越えられる人は限られる、しかし羊宮はそこを超越できているからこそ、“声”そのものがメッセージとなり、意味を超えた情動表現が成立しているのだ。これは、歌が世界を変える、ではなく、「歌を通じて声が表現になるとき、それは世界に刺さる」という逆説の証明です。勿論、「なぜ受けたのか」というQに対して絶対的なAnswerはないし、先述の文章はあくまでも、こちらの解釈の一つでしかありえないが一種の言説として、「MyGO!!!!!の中国人気は、歌詞でも設定でもなく、声が翻訳されないまま届いてしまった」ということは言えるのではないか?

 

それは言語を超えた情動伝達=声優という職能が文化的臨界に達した瞬間であり、そこにいたのが羊宮妃那という名の、翻訳不能な一人称表現を体現する存在である。勿論このような翻訳不能な音の構造は、決して一人の声優に限定されるものではない。今、それを体現しているのが羊宮妃那である。

一例として、そもそもカバーであることは承知だが、『迷星叫』(パラレルver.)は本当パラレルであってくれというほど、そもそも合ってない印象をうける。演者が下手というのではなく、やはり羊宮ではないと楽曲そのものが成り立っていないということだ。

 

また、演技レベルでも非常に面白い。再現としてものを食べながらといった手法そのものは一般的だと思うが、「実演→演技」という過程(それは羊宮 妃那が枕の中で叫ぶ演技を実際に行うする)→演技変換という点においてはある思索がある。

通常、アニメーションにおける演技とは、実写の模倣として語られる。実際の身体や感情から導き出されたリアルな所作を、声優が音声で模倣・拡張する構造が一般的だ。

しかし『パーフェクトブルー』(1997年)で、岩男潤子が演じた風呂場での絶叫シーンは、この順序を逆転させた。声の演技、それもアニメという非実体的メディアにおける発声が、後年のダーレン・アロノフスキーの実写映画『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000年)において俳優の身体によって再現されるという逆転が起きたのである。これはもちろん今  敏の凄さが最も強く主張すべきだが、本来であれば、現実→再現→声、という順序で循環していたはずの演技が、この一例においては、声が身体の演技の雛型として機能している。この構造はまさに、羊宮妃那の演技が見せる逆転と同質のものだ。
先に身体を動かし、布団に潜り、枕に声をこぼしながら感情を演じた上で、
それを音声として作品に刻むというプロセスは、演技の順序をひっくり返している

 

むしろ、演技が演技される以前に既に発動しているという構造であり、その生理的な反応を起点として、あとから演技として再編成するというプロセスを踏んでいる。声優の演技が身体を追い越し、あるいは身体を呼び込む。その逆説がいま、再び現代の声優演技において現れているといっていいだろう。

表現が先に発動してしまった結果が演技となる生成である。多くは手段としての実演という意味での「再現」となる。役作りにおける徹底さという意味ではどのプロも意識としては同様であるはずだしそこに明確な差というものはないと思うが、あえて演技表現にかかる一例としてどういうアプローチを獲っている役者であるかという点を強調するために紹介した。

 

その意味では、どう系譜としては手前に上田麗奈もいる。

上田麗奈上田麗奈で、新条アカネを演ずる時にキャラクターに憑依するあまりに、次のようなコメントを残している

 アカネ役に入り込むあまり、飲み会で一言もしゃべらないまま帰ったこともあるそう。「SSSS.GRIDMAN」現場では毎週のように飲み会が開催されていたが、物語の中でアカネがどんどん孤立していくにつれて、上田自身も周囲と上手く話せなくなってしまったことを明かした。上田は、「何かしゃべったら嫌われるんじゃないか、みたいな。全然しゃべれない結果、『うふふ、あはは』だけ言って帰ったことが何回かあります。すごく苦しかったです」と苦笑いで振り返った。

役に入り込むあまり……上田麗奈、「SSSS.GRIDMAN」飲み会で一言もしゃべれなくなった理由明かす | アニメニュース | アニメフリークス

このように、特殊声優として特異的な場所にいるこの二人、は技術レベルも演技を行う時のアプローチも演者の目からはともかく視聴者からすると信じられないほど徹底しているのだ。

 

このように、羊宮妃那が「感情の先行発動」による身体→声という生成型演技を体現するのに対し、上田麗奈は「役が人格を侵食する」ことで内面→現実を逆流させるような憑依型の表現を成立させている。

いずれにせよ、この二人は「声優」という語では表現しきれない、構造的表現者とでも呼ぶべき存在であり、観客に届く“声”とは、単なる演技技術ではなく、人格・身体・音響が臨界で交差したときに初めて発動する現象なのである。

 

そんな、上田麗奈はその音の物語性によって「詩のように聴かせる」表現(ギギ・ミァハ・アカネ)に長けている。

ミァハセリフ集(公式)


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上田麗奈津田健次郎が混在するあまりにも面白すぎる映画です。


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羊宮妃那はそれとは異なり、「意味の手前で感情を投げる」ような即時性のある音響性を持っているからこそ、表現体としてのMygo!!!!!のポエトリーが成立する。加えて、あの声は「不思議っこ」的な感性だけでなく、妖艶さや不気味さをも包摂できる。つまり、以前なら上田麗奈的と目されていたであろう領域、たとえば『小市民シリーズ』の小佐内ゆきのようなキャラクター性すら、声の温度さえ調整すれば、羊宮妃那に変換可能である。その音域的レンジと、表現の含有率の広さこそが羊宮の役者としての凄さとして翻訳不能な声の最前線に押し上げている。

こういう時に演技集が公式ダイジェストであるのはありがたい。


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この即時性があるからこそ、MyGO!!!!!における詩的語り=ポエトリーが、単なる朗読ではなく、演技として成り立ってしまうのである。

端的にいえば声優という職能のなかに存在する表現類型の可視化よる差異として

  • 上田麗奈=物語化する声

  • 羊宮妃那=感情を先行させる声

ということだ。「可変か固定か」「内在か外在か」とでも形容できる。

では、「なぜ羊宮妃那なのか?」という問いに答えるとしたら、どうなるか。
率直に言えば──それは“そうなるしかない”という結論に近い。

 

声優という職業は、突き詰めれば「最初から“答え”がある声に適格する者だけが残る世界」である。すなわち、作品やキャラクターの成立に必要な“声の形”がすでに存在しており、そこに声優のほうが“寄る”のではなく、“適合する声を持っている者だけが選ばれる”構造になっている。一方で、声優という職能は「キャラクターのためにあてがわれる」というキャスティング的な側面も併せ持つ。つまり、“適格性”と“割り当てられ”が常に交錯している職業なのだ。この両立ができる者だけが、長く生き残る。

 

たとえば早見沙織は、あの清楚な声質で雪ノ下雪乃のような端正なキャラを演じられる一方、斧乃木余接のような変則的な存在にも適応できるし、なんなら鳩子もできるレンジの広さがある。まぁこと『やはり、俺の青春ラブコメは間違っている』は

早見沙織×東山奈央×悠木碧(ケビン・ベーコンゲームレベルで、この三人のうち二人は揃う法則どっかにあるんじゃないかっていうくらい成立した時の色味がすごい)が成立している黄金比キャスティングでもあったりするわけですが。それはともかく、だからこそキャラソンでも美しく楽曲と歌声のテンポがくずれていない。(『Bitter Bitter Sweet』は扱いこそ1期の12話の挿入歌ですけど)

 


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故に、アニメ化されていない原作キャラ(『ビブリア古書堂の事件手帖』栞子とか)でも「この声は早見」と想起される。これは音響設計が声優を予見するというキャスティングの逆説でもある。余談になるが──柊かがみ八九寺真宵、そしてキュゥべえ
実はこの三役はすべて加藤英美里が演じており、いずれも“ツインテール”のビジュアルを持っている。無論、これは偶然かもしれない。まず、キュゥべえツインテールなのかどうか問題もある。だが、キャスティングにおいて「髪型と声のテンポ・圧」に潜在的な連動性があるとすれば

 

  • 子供っぽさ/未熟さ(例:真宵)
  • 強気な外面と脆さの内面(例:かがみ)
  • ある種のアンドロイド的無機質性(例:キュゥべえ

 

つまり、見た目の主張さに反して、内側は別のものという構造とも言える。そしてこれをあの声のテンションや情報密度で支えられるのが、加藤英美里の演技でもあると言える。こうした“しょうもない飛躍かもしれないが意味があるかもしれない”という設計美学も、アニメ文化の文脈のなかでは立派なひとつの真実である。


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声優は演技だけでなく音響的存在論の位相そのものを変化させる表現者である。このことを象徴的に証明したもう一人の存在として、悠木碧の名前を挙げておく必要がある。

悠木碧という役者は、可憐さや少女的イメージを超えて、人間であることそのものを超越する声を持つ。その意味で、彼女が演じたキャラクターたちは、いずれも「感情では測れない」「存在論的に異質である」という共通項を持っている。

その代表例として以下の三つの役を挙げよう

  • ブギーポップ(『ブギーポップは笑わない』2019年版)
    人格分裂、存在の概念化、そして語りが時間性を持たない。悠木碧の“異質な平坦さ”がそれを支えていた。

  • キノ(『キノの旅』2017年版)
    一見して中性的で観察者的な主人公。感情の排除と合理主義の混在。
    悠木碧の「一歩引いた声」がこのキャラクターの知性と非人間性を際立たせていた。一番美味しい配役

  • 鹿目まどか(『魔法少女まどか☆マギカ』)
    劇中で最終的に“神”へと至る少女。つまりこれは「人間の声が神になる過程」を音声で演じるという意味で、声優史上もっとも難解な役割ともいえる。


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(どう考えてもこの三つが同じ演者ってバグだろ、、、と驚嘆を隠し切れないのだが)

いずれのキャラクターも、「感情的な演技」や「リアルな人間らしさ」で成立しているのではない。むしろ、この世界の論理から一段階浮いているということが前提条件であり、その浮遊性を担保できる声は、ごく限られた声優にしか与えられない。

ここで重要なのは、これらのキャラクターがいずれも「リメイク版」や「象徴的再演」であるという点だ。つまり、

 

「元からあった象徴的キャラに“新しい声”を与えたときに、それが違和感どころか“更新”になってしまった」

 

という事実こそが、悠木碧という声優の再創造力の証左である。『キノの旅』に関しては旧作でも出演していたという来歴があるからこそ、より「更新」という意味が強い。

この系譜を辿れば、こそれこそ林原めぐみがまさにそうで。「人間であることが保証されないキャラクターに“声”を与える」という難度の高い演技。それは綾波レイ、リナ=インバース、ある意味では灰原哀もそうであるように。

(まぁ灰原哀は原作者関連趣味で綾波レイ引用だし、その後のガンダム引用の嵐を見ればいかに、「前提」のイメージがありきで『名探偵コナン』のキャラとして落とし込んでいるかは今や定番化しているのだが。そもそもネーミングセンスの編述がうまい青山剛昌の技量に、文脈ミームが加わるという意味で基本的に『コナン』は多層なキャスティングと意味合いを持つ。)


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感情の制限下で表現を成立させることと通じている。よって、悠木碧は単なる人気声優でも技巧派でもない。存在論的に異なるものを、あくまで声で表現することのできる演者。踏み込んで言えばすでに確立された「象徴キャラの再演」で、原作イメージすら達成。

 

ここで大事なのは、悠木碧の声はキャラ性ではなく存在の位相を変える力を持つということ。つまり、「人間性を演じる」のではなく、「人間性を一時的に解除できる」という代物である。

 

では、逆に今度はまだ映像化されていないが、「この作品でこのキャラはもうあの声優しかいないだろう」という意味を文体から探るというでは、西尾維新の〈世界〉シリーズに登場する病院坂黒猫こそ、その最たる例と言える。そしてその声は、水橋かおり以外にありえない。


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なぜなら、病院坂黒猫〈物語〉シリーズにおける忍野メメ忍野扇臥煙伊豆湖阿良々木暦といった存在を一点に凝縮したような構造キャラクターであり、知的で不気味で、過剰に饒舌で、語りながら相手を呑み込んでいくような存在だからだ。

 

博識/不気味さ/饒舌/知的ユーモア/論理的強制力=病院坂黒猫

 

実際に『きみとぼくの壊れた世界』や未単行本化ながら雑誌メフィストで読める『ぼくの世界』第一問・第二問などを読めば、それが単なる萌えやヒロインといった軸ではなく、モノローグという名のキャッチボールで支配するキャラクターであることがわかる。見開き4ページ以上、二段組で延々モノローグという名の独り言が続き、それが実は相手に語りかけているキャッチボール。そうしたキャラクターに必要なのは、「可愛すぎず」「高すぎず」、落ち着いたトーンと、知性の抑制と、突発的な跳躍を両立できる声である。巴マミ的な包容と、忍野扇的な軽やかな毒を併せ持つ声──すなわち、水橋かおりなのだ。

 

 

 

というかそれ以外にまず考えられない。だってもう「忍野扇」をこれほどにまで美しく成立させてしまっているのだから、より素晴らしい原型を演じられないわけがない。

 

そしてこの「声が人格の輪郭そのものになる」構造を、アニメではなく実写において達成した象徴例が、『ライアーゲーム』における喜山茂雄の発話、つまりディーラーだ。

参考例として『ライアーゲーム -再生』『ライアーゲーム ファイナルステージ』の予告を


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無表情で、無感情で、発話の抑揚さえ最小限。だがその抑制の中に含まれる無限の虚無、知性、ほんのり冷笑のニュアンス──これは声がキャラクターのすべてを支配していることの証明にほかならない。まさに「言葉ではなく音で支配する」演技だ。圧巻である。ディーラーという「無感情」「無個性」な役柄に、あそこまでの異質感・妖気・知性を持たせたのは完全に声の力。

 

そしてこのニュアンスを声優ーアニメの中で完膚なきまでに体現しているのが中田譲治。この声が活きるのは、以下のような“二面性”を帯びた存在、つまりは表では微笑んでいるが、内心は冷徹、「我々は静観している」と言いながら全部仕込み、仲間に見えて、次の瞬間に銃を突きつける、それなんて言峰綺礼ってというわけですが、それこそああいう静かな陰謀が最も似合う声質、つまり深い低音に潤いがある(威圧にならず、信用も可能)含意を持たせられることで「意味以上の意味」が宿らせ、語尾やブレスに“間”を残せる(一拍おいて不安を出せる技量の高さ)。それが中田譲治です。

実質こいつが主人公だろといえる一編『HF』の第三章を挙げます。

洗礼詠唱(キリエ・エレイソン)はこの声でないと意味がないというのは全員が納得できるでしょう。それです。それができる資質。


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そしてその路線がもっとも活きた軸としては『コードギアス』のディートハルト・リートこそ、まさに中田譲治的キャラクターの真骨頂と言える存在だ。

 

あのキャラクターは基本的にイデオロギーではなく“理念”に殉じ、ルルーシュの“理想”に惚れこむが、個人には一切の忠誠心を示さない。それでいながら味方のようでいて、「理想のためなら裏切りも厭わない」という冷徹な存在。つまりゼロという存在に熱狂と同時に黒の騎士団という枠組みには冷徹を同居させる声であり、どれだけ饒舌でも「感情で動いていない」ことが音から伝わる。そして、語尾の落ち着きが狂気を包む、彼の「ですから…ゼロ」的な台詞が不穏でゾクっとするのは、“言葉”ではなく“間”と“呼吸”が含意を生んでいるから。

(マジでこのアニメそういう意味でも面白すぎるだろとか思うのだが)


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そしてキャラクターがメディア屋という設定だが、実際に人間の皮をかぶったメディアそのもの。ディートハルトは「自分の感情ではなく、時代を記録すること」に興奮している。こうした人間味の薄い情熱は、声優が乗りすぎれば台無しになるが、中田譲治は一歩引いたところから燃焼させるという芸当ができる。

 

と、なればここに対偶的に置くのはやはり、小山力也の「人生に疲れた声」。

この声には常に「重さ」「倦怠」「哀愁」「諦念」が伴っていて、それが生々しすぎる手触りを視聴者に与えている。『Fate/Zero』の衛宮切嗣はまさに「世界を救いたいのに、救えなかった男」の声。疲れ果てた使命感と、絶望の底を歩きながら立っている男のトーン。しかもそれでいて一人称が「僕」だし。


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(これは奈須きのこの設定を前提に虚淵が書いたという奇跡的バランス)

他にも吹き替えだと『24 -TWENTY FOUR-ジャック・バウアーもまさしく世界を救うために自分を犠牲にし続けた男の、疲労と怒りと諦めの混ざった声であり、言ってみれば2代目毛利小五郎も、時としてそういった場面が出てくるがこれもやはり元エリート刑事の落ちぶれ感。声に含まれる「栄光の残滓」と「酔いどれ中年の自嘲」という要素と噛み合っていると言える。だからこそ、小五郎がかっこいい回は異常な主人公感を発揮できるわけだ。


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つまり、小山力也の声には常に「過去に何かあった感」が漂う。まぁそれはどこか、舞台上がりだからこその声というのも絶対あるのだが。それだけではないと思うのが、それが演技ではなく、声質の時点で染み付いている。高音でも張り上げず、低音でも抑えず、「どこか途切れそうな持続性」を持っている。絶対的に声の奥に未解決の過去を感じさせる。一言で言えば「人生で取り返しのつかない何かを経験した声」というものが稀有すべき声帯の本質的なところであろう。その意味ではベストアクトは『アカギ 〜闇に降り立った天才』の南郷さんなかもしれない。あの冒頭の負けがこんでいる感と、その上でアカギに賭けるしかないという諦念と希望の混ざりこそ、小山力也にしか出せない味だと思う。

 

小五郎を挙げたという段階で『名探偵コナン』からこの枠組みで出すべきはやはり山口勝平という探偵声優の体現者であろう。彼が声を当てたキャラクターを振り返ると、その“探偵的属性”があまりに明白といえる。

それは工藤新一を担当する一方で、黒羽 快斗も演じられる「探偵/怪盗」の二面性を実際に出せるという意味もそうだが、そのあとの『DEATH NOTE』のLを担当したのは、ことの経緯はどうであれ、絶対系譜としてのキャスティング以外のなにものでもない。

どれもが観察者/推理者/傍観と主導の交錯した人物であり、キャラクターの役割として「探偵/知的ゲームの構成者」である。そのなかで山口勝平の声が共通して持つのは、「快活さの中に宿る知的鋭さ」、もしくは「ユーモアに紛れた緊張感」といった軽やかなのに背後に何かある音響的トーンである。とりわけ工藤新一と怪盗キッドを同一人物が演じているという事実こそ、声優における「知性の二面性=探偵と怪盗の鏡像性」をそのまま演技で提示できる稀有な例であり、役の対立構造すら一つの声で包摂できる演者という意味で極めて象徴的な事例である。

 

加えて、Lというキャスティングもまた、当時からして明らかに「山口勝平でなければならない」という確定事項であり、探偵的象徴=声による演技的配置がいかに作品の本質を左右するかという証左でもある。つまり彼は「探偵役をやっている声優」なのではなく、探偵という概念の音響的体現者であり、その声の在り方そのものが、推理/観察/対話による構造的駆動を作品にもたらす演技的エンジンとして機能しているのである。

 

ではここからさらに延長させて『アカギ 〜闇に降り立った天才』のアカギを例にとってみる。萩原聖人というひたすらに「天才キャラの恩讐を請け負う俳優」が声を当てるとはどういうことなのか?福本原作の博打アニメの『アカギ』『カイジ』そして甲斐谷忍の『ONE OUTS』の渡久地東亜を全て担当しているわけですが、これを分解すると、

  • アカギ(若年時代)=孤高の天才
  • カイジ非モテの天才ギャンブラー(感情型)
  • 渡久地東亜=天才の虚無の到達点

こう考えると前述の『アカギ』における小山力也との化学反応というのは

萩原聖人:天才に選ばれたがゆえの孤独
小山力也:敗北と現実を抱えた知性の塊
この両者で構成された福本世界=才能と諦観の舞台装置と言える。

ちなみに、ここで挙げた喜山茂雄/中田譲治小山力也萩原聖人の4名はいずれも俳優出身であり、それゆえ彼らの声には「演技=身体性=音声」という、声優とは異なる演技回路が自然と内在している。このこともまた、“なぜこの声が成立するのか”という理由のひとつとして、補助的に添えておきたい。これは単に「上手い声優」とか「声がいい」ではなく、舞台や映像で培った“生身の演技”が、声に変換されたときの物質性の厚みに関係しているといえる。

 

ここまで、声優=音響=構造という文脈を軸に論を進めてきたが、実写においてもこの“声が人格を形作る”構造は確認される。象徴的なのが、かつて『耳をすませば』で天沢聖司を演じた高橋一生が、20年以上の時を経て『岸辺露伴は動かない』で岸辺露伴を演じたという“キャラクターの成長を身体ごと引き受ける”キャスティングである。高橋一生の声が、「少年声の成熟系譜」であること(=天沢聖司岸辺露伴)は声質の成長=演技の深化=人格の可視化である。高橋一生という「声と身体を長期的に保持し続けた役者」が、演技技術ではなく声がそのものが人生を内包している。


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そして“声が人格の形式を先取りする”という意味で、俳優・堺雅人の名は挙げる価値がある。『戦闘妖精・雪風』にて演じた深井零(レイ)は、極度に抑制され、理知的で、生理的に人間味の乏しいキャラクターである。その声の浮きによって、逆に演技としての必然性を示した。若手時代にこれほど異質な声をアニメに投下した俳優は他に例を見ないが、その“冷たさの中の沸点”は、のちに『ジョーカー 許されざる者』で点火し、伝説のドラマ『リーガル・ハイ』『半沢直樹』の2本で完全に花開く。その演技はご存知の通り。つまり、演技というのは外見でも身振りでもなく、声がすでに語っているのだという証左である。


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雪風』と『耳をすませば』。どちらも“声の異物性”が物語の内実と交差する極めて誠実な作品である。堺雅人の抑制された深井零、高橋一生の不器用な情熱を孕んだ天沢聖司はいずれも「声が身体を持たずに存在している」場において、その“演技の先”を予感させていた。その後の俳優キャリアを踏まえて改めて見直すと、これらは“将来、演技と声が一致する役者”のプロトタイプ的表現であり、「声が人格の輪郭になる」ことの実証例であった。

 

端的に言えば「身体性が声に宿る」ということであり、この系譜は声優界隈ではすなわち悠木碧の存在にもつながる。そしてここにかかる含意は「声が演技であるためには、身体がそこにある必要がある」というわけだ。「言語」よりも「気配」、「技術」よりも「温度」すなわち、「声でキャラを演じる」のではなく、「人間の全体として喋ってしまう声」ということだ。

 

これを反転させるとすれば、Audibleのような音声読書メディアで「朗読」という形式に乗せられるかどうかは、実はその人物が声優的資質を有しているかどうかの試金石となる。がその前に、ここで、二つ振り返ってみたい。

 

一つは「村上春樹の『騎士団長殺し』を高橋一生が2022年~2023年の間に<第1部 顕れるイデア編><第2部 遷ろうメタファー編>の朗読を担当した。ご存知NHKドラマ版『岸辺露伴は動かない』は2020年の年末に第一期が始まり、2022年の年末に第三期までが展開され、連動するかのように2022/12/28『騎士団長殺し』の朗読の配信が始まった。

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これはどこか、岸辺露伴を演じ切った役者という路線図から生まれた展開なのではないか?

冒頭が

今日、短い午睡から目覚めたとき、〈顔のない男〉が私の前にいた。私 の眠っていたソファの向かいにある椅子に彼は腰掛け、顔を持たない一対 の架空の目で、私をまっすぐ見つめていた。 男は背が高く、前に見たときと同じかっこうをしていた。広いつばのつ いた黒い帽子をかぶって顔のない顔を半分隠し、やはり暗い色合いの丈の 長いコートを着ていた。

 

というところから始まり、「肖像を描いてもらいに来たのだ」という序章で始まる。ここにいたって、この怪異譚じみたイントロを違和感なく発話できるのは、『岸辺露伴』以後の想像力なのではないのか?

 

声の演技の本質が「表現対象を引き受けられるかどうか」にあるとするならば、高橋一生が演じた(役者・ナレーション)二つのキャラクター

岸辺露伴=「漫画家」「観察者」「具象化する者」

騎士団長殺し』の“私”=「肖像画家」「怪異との交信者」「内面を写す者」

これらはいずれも「描く者=観察者=語り手」という構造的な等式で結ばれている。これは単なる役柄の一致ではない。むしろ声という表現手段が、メタファーや怪異という“語りにくいもの”を語るに足る資質を備えているという、キャスティング美学の本質的な選定である。

 

つまり、この瞬間、音声表現の異質性 = 怪異の想起力 = 声の人格論という三位一体が成立し、演技とは何かという問いに対する一つの到達点が示されたのである。

騎士団長殺し』という語りの異質性は、NHKドラマ『岸辺露伴は動かない』によって“観察し、描き、語る声”の位相を獲得した高橋一生という演者を必要とした。これは偶然の一致ではなく、『岸辺露伴』以後において初めて成立した“声の必然”である。

 

もう一つは櫻井孝宏の生い立ちにおける「声優」という職を確立するに至った一言。

01.声優になったきっかけを教えてください。
子供のころ、テレビに出演してた声優さんの「声ひとつで色々なものになれる」という趣旨の発言に衝撃を受けたのがきっかけ。『ドラえもん』はドラえもんが喋っていると思っていたので。次に、中学一年生の国語の授業の時に「お前、声優さんみたいな声してるな」と言われ、自分に可能性を感じました。

櫻井孝宏さんに50の質問「声優の輪」【男性編・第2回】 | ダ・ヴィンチニュース

つまり、こと櫻井孝宏に関しては「国語の授業=おそらく音読の時間」において櫻井孝宏の声はあまりにも「声優的すぎると」とナチュラルに適格者であるということを国語を職にしている教員から初手で認定されているということだ。

 

声の演技は、映像やキャラクター性といった表現補助装置を持たない「朗読」という行為において、最も純化された形で問われる。ここにおいて演者は、視覚に頼らない表現力が求められ、それはすなわち「声が人格の原型であるかどうか」の試金石である。その意味で、「文字を読む=演技になる」という等式を、小学生〜中学生段階で無意識的に実装できていた存在であり、ここにかかる“読解力”ではなく“音読力”という点が特に重要で、「テキストを声にした瞬間に意味が発生する」声質を持っていたことが、教師=教育の専門職によって指摘されている。

 

 

結果、「語りの段階で“読まれるための声”を持っていた人間」が、後年フィクションの語り手(槙島聖護忍野メメ、霊幻新隆)として、その天賦を社会的な演技構造へと変換していったという事実。それを視聴者が体感するの数十年後の『PSYCHO-PASS』における槙島聖護役で思う存分発揮された「語り手」としての小説・哲学の引用作法そのものである。「紙の本を読もうよ、電子書籍じゃ味気ない」と言わせ、早川のキャンペーンコピーにもなり、ありとあらゆる視聴者を読書・本好きにしたあの「語り」を、櫻井が学生時代に「先生」から指摘されていた。つまりは、「選ばれた声」ということが、まず大前提となりそこで本人が「自分に可能性」を感じているという、他の略歴にはまぁない経歴であるということだ。身体性、キャラクター、適格者、声の位相、あらゆる点でこの二者のエピソードはこれまで書いてきたことと符合する。そして恐ろしいことに、この二人は両方とも「岸辺露伴」を演じているのだ。ゆえに、声はただの音ではなく、「その人が誰であるか」の形式を内包する。

 

高橋一生櫻井孝宏のキャリアが、“語る者”としての岸辺露伴に辿り着いたのは、偶然ではない。それは、選ばれた声が、演技と人格を一致させてしまう“語りの運命というだ。高橋一生櫻井孝宏がともに“岸辺露伴”を演じたという事実は、「語る者=描く者=観察する者=声を通じて世界を把握する者」という“語り手構造”の体現者が、二重に選抜された結果とみなせる。両者に共通するのは「内向の観察」と「発語による構築」であり、この役は“音の論理性”をもった俳優でなければ成立しなかった。

 

つまりこの音読に掛かるエピソードを逆説的に展開すると

仮にAudibleで1冊の小説を1人で朗読させたとき、物語として成立するか?

そしてこのクリア条件はおおよそ以下の3点に集約することができる。

  • 朗読で聴かせる力がある=声にドラマがある
  • 感情表現だけでなく、行間・沈黙・トーン変化を含めた構造的演技ができる
  • 言い換えれば、「ナレーションと演技の中間」を成立させられる声

この三条件を満たしている人間であり、まさに声優の原点=声で空間を支配できるかという問いに直結する。

 

だからこそ、たとえば自分が好きな声優の〇〇(ここで言えば羊宮妃那)がAudibleで一人朗読をしたとして、それが成立するか?と考えたときに、「おそらく成立するだろう」と直感できる時点で、その人物には声優としての“演技×言語×音”の三点交差が成立しているということです。

 

 

逆に言えば、声優という職能において“適格性”のない演者は、配役の段階ではバレない。だが、そのキャラクターを越えた応用、すなわち別役での変換がきかないと、主演級や多役の主軸にはなれない。よって複数のキャラを演じても成立する声”を持っているかどうかが、声優としての本質的な基準になる。

 

2000~2010年代にもまた、音が時代を象徴していた例がある。たとえば、中村悠一。その声は「最強・知性・統率・冷静」を一音で伝える力を持ち、『魔法科高校の劣等生』『呪術廻戦』『ガンダム00』『リゼロ』といった作品において、一歩引いた構造体的主役にしか許されない立ち位置を一貫して演じ続けている。

 

 

これらを可能にしているのは低音の包容力情報処理型のセリフ運び(=セリフが「情報」になる)、感情より構造で動く人物像といったものが結果として、あらゆる「知的・最強・不敗」なキャラクターを演じる音響的正当性があるからこそ、折木奉太郎という路線も可能に「なってしまう」し、このクラスになると、いい加減観客もある意味で象徴的すぎるが故に、音響現場と同じ意見が出てしまうという例外的な配役と言えるだろう。

 

その意味で櫻井孝宏との組み合わせはキャラや人物像ももちろんあるが、それ以上に、中村悠一が持つ「威厳と中庸のバランス・ 重厚で直線的、説得力のある低音」の真逆要素の対としての「陰性知性×諧謔的で抑制された毒気」のコントラストの極地的表現だと言える。演技ではなく声質の時点で完了しているのだ。

 

演者レベルと音のトーンを比喩するのであれば

櫻井が「相手を操る者」であり、中村は「自分が全てを制する者」

この一文は、彼らの代表作を一つでも知っていればすぐにわかるであろう。

 

やはり、キャスティングとは演技の上にある構造の設計である。
こと、五条×夏油における中村悠一×櫻井孝宏は、その最大瞬間風速の一例であり、声がキャラクターを支配し、ドラマを裏から支えるという声優批評の究極的事例。

それゆえこのキャスティングは構造的キャスティング美学の最高峰と断言できる。

ただ単に人気声優というカテゴライズではそもそも収まっているはずがない。

(というか、緒方恵美もその手で言えばシンジ君におさまらない象徴なんだが)

 


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また、同様の例で語るのであれば松岡禎丞は、「叫び」と「テンション」でラノベ的主人公を体現し続けた時代の記号である。『SAO』『ダンまち』『ソーマ』『ノーゲーム・ノーライフ』を筆頭に、彼の声がそのままラノベ主人公という文法になっていた時代があった。今では『名探偵コナン』の劇場版のゲスト声優を務めるほど大きい存在だが、演じたキャラといえばやはり地続きで、この文脈を知っている人であればやはり、感情爆発+知性暴走、そして天才的でありながら情緒不安定、天衣無縫という属性のキャラであったということはすぐにわかったであろう。

つまり通底して絶対的な駆動力のある「癖強な強さ」の象徴といえる。

以下53-54sを参照。


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櫻井孝宏が「存在することで不穏を呼ぶ/裏切り」を想起させることとは真逆に、存在するだけで「安心」あるいは「勝利」を想起させる設計された声というわけだ。

 

つまり、声が文体を持つとき、作品が“時代の音”になるという構図がある。これは、今まさに羊宮妃那が担っている「詩的情動の即時性」=MyGO!!!!!が示している地平とも重なる。声の時代性とは、声優個人の人気ではなく、時代の構造と一致した音を持てたかどうかで決まるのである。

 

この観点で歴代の声優を見渡せば、山寺宏一高山みなみ林原めぐみ大塚明夫大塚芳忠早見沙織宮野真守上田麗奈沢城みゆき、まぁあくまでもパッと思いつく布陣だが、いずれも「この人しかいない」レベルの適格性=“声の核”を持っている。
キャラクターを“声”から立ち上げられる表現者しか、結局は表現の歴史に残っていない。そして羊宮妃那は、その系譜に確実に入ってくるタイプの“声”を持っている。

 

高松燈、大河くるみ、小佐内ゆき─いずれも「低身長/理知的/妖艶/不気味/繊細」という属性の交錯がある。

『図書館の天才少女 ~本好きの新人官吏は膨大な知識で国を救います!~』の司書役も、知的さと少女性の両立という意味で、既に“羊宮妃那の声”が属性と結びついている。

 


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つまりようやく「こういうキャラ」なら羊宮 妃那という路線がすでに開拓されている。

 

逆に、『僕の心のヤバいやつ』の山田杏奈のように、“演技そのものは良くても、属性としての適格性がズレている”と感じさせることもある。つまり2010年代における活気ある声としての東山奈央のほうがキャラクターとの合致性という領域ではあったのではないか?ということだ。これは羊宮妃那が悪いのではない。むしろ、羊宮が“声をあてるべき領域”が明確に存在し始めていることの証左である。

 

声優単位以外でも、声優の声が、作品の構造において意味を持つことは、過去のアニメ史においても繰り返し示されてきた。


特に谷口悟朗監督による二作『無限のリヴァイアス』(1999年)『スクライド』(2001年)福田監督の『ガンダムSEED』(2002年)においては、声のペアリングそのものが物語の力学と一致していた。いずれの作品でも、保志総一朗(主人公)×白鳥哲(対立者)という図式が成立し、毎回「保志が白鳥を殴る/打ち勝つ」という物語上の決着が描かれている。


これは単なる役柄の因縁ではなく、「感情的勝者=保志」「知性的敗者=白鳥」という声帯の意味の構図が繰り返された事例と言える。

 

その構図を逆転させたのが『コードギアス』(2006年)だ。福山潤が本来“スザク型”の激情性を持つにもかかわらずルルーシュを演じ、櫻井孝宏が本来“ルルーシュ型”の陰性知性に適しているにもかかわらずスザクを演じた。これは、声帯の定番を意図的に外すことによって成立した、演出美学としての逆張りキャスティングである。

 

少し脱線するが、これはある意味で現在でも有効的であり、たとえば『MyGO!!!!!』における椎名立希役・林鼓子は、本来は高音域の明るい声質を持つ役者であるにもかかわらず、意図的に“抑制された低音”で演じるという方法を取っている。低音の声はMygo!!!!!の楽曲において、コーラスで最も目立つなぜなら声が低いから相対的に目立つからだ。

『焚音打』の47s-50sあたりにおける「それでも立ち上がった君を、笑うはずなんてない」の部分多分右に定位されている(片チャンネルに振っている)のでヘッドフォンで聴くとより明確にでます。

焚音打

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その選択によって立希というキャラの感情の抑圧と表現の瞬発性”が際立ち、むしろ元の声質とのギャップがキャラクターの輪郭を浮かび上がらせている。まさに声優という職能が“意図されたズレ”によって生まれる演技的構造を成すことの現代的応用例といえるだろう。そしてこれもまた、上手い演技ができる人ではないと成立し得ない。その意味で若くして「座長」という異名をもつ林鼓子は流石と言えるだろう。

チェリーボム

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  • 優木せつ菜 (CV.林 鼓子)
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SHOW

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『ワン・ツー・スウィーツ』は台詞があるので、より輪郭としてわかりやすい。

Let`s try トライフル!!

ワン・ツー・スウィーツ

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一番いいのは『りんごの木』ですかね。立希との差分としての楽曲という意味では。

りんごの木

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というわけで、これは手法の一つとしてみていいだろう。

話を戻す。ここには、先述の保志総一朗、白鳥的なアプローチが谷口監督作品ならではの一回きりのアプローチとして出たのではないかと勝手に思っている。

だが、その後の彼らの役歴を見れば明らかだ。櫻井は『PSYCHO-PASS』の槙島や<物語>シリーズのメメ(『傷物語』『化物語』)、『モブサイコ』の霊幻、『怪獣惑星』のメトフィエスなど、いずれも“冷静と知性の掛け合わせ”を持つ役に自然と還っていった。

いつ聴いても最高の声です。


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福山潤も象徴的な代表作として『暗殺教室』での殺せんせーに見られるような、「人格と情報を併せ持つ声」への回帰を果たしている。しかも低い声パート=人間=ルルーシュ現象もある。


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2010年代に入ると、上田麗奈という声優が現れたことで、女性声優においても、ある一点の演技領域において支配的な表現力を確立できる存在が出てくることが証明された。それはもう、代表作のキャラがあまりにも証明しきっている。往々にして、設計された声をもつ演者は演技技術を超えて「音そのものが空間を支配する」ような力があり、上田麗奈はその象徴の一角であることは誰も疑いようがないし、『レゼ編』『タコピーの原罪』の両方で声を当てるという現在地を踏まえてもやはり圧倒的な強さがある。


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では今、若手〜中堅(希少な枠組みの声帯という意味では世代かかわらず成立すること自体が珍しいのだが)として櫻井孝宏的、上田麗奈的な設計された声をもつの誰かと言えば、それぞれ内山昂輝と羊宮妃那の二人であると言える。前者は冷静な演技の奥に宿す苛烈な感情を、後者は繊細な音響に宿る即時的情動を。

 

この感覚は去年書いた「MyGO!!!!!とAve Mujicaの音楽的魅力とは?声優・構成・表現から探る。 - Music Synopsis」でも明らかに手前の趣味とはいえ、羅列しただけの文章を引用してみると

 

なんというかそれは「御冷ミァハ 」「ギギ・アンダルシア」「新条アカネ」を全て演じているが上田麗奈だから、ああいうキャラクターは全部上田麗奈がcvをやると最高だぜ、みたいな(男性声優でいうところの「忍野メメ」「霊幻新隆」というラインと「槙島聖護」「ジョン・ポール」というラインを持つ櫻井孝宏とでもいうべきか、今やその可能性は内山昂輝に取られる可能性が高いが、『ダンダダン』のサンジェルマン伯爵の台詞を読むだけでこれ絶対櫻井孝宏、、みたいな妄想もできるくらい、特定のキャラクターにおける「この人しかいない」というものは多分読んでいる人の中にもあるはず。)まぁ、だから、そういった点ではわかる人はわかると思うで容赦してほしい。それこそ羊宮 妃那な作品は『小市民』のヒロインである小佐内ゆきを演じ、なんなら『トラペジウム』で結構な役回りである「大河くるみ」を演じてるし、上田麗奈と共演もしている(そして主演が結川あさきという滅茶苦茶バランスのいい布陣)ので、これは中々熱いとともうわけです。

 

同じ枠みとして上田麗奈→羊宮 妃那/櫻井→内山昂輝 というフレームを感覚的には掴んでいたことを理屈で説明するとこうなるということだ。

そしてこの二人が、2025年10月放送の『ワンダンス』で交差する。

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つまり事実としてキャスティング美学として、「決められた設計声」の中でどのようにバランスを取るかというのが、数ある方法論のうちの一つであると言える。

だって『ワンダンス』って

  • 自己抑制的かつ内向的な「選ばれなかった側」のキャラクターとしての小谷花木
  • 身体で語る、天性のポエトリーダンサーとしての湾田光莉

これって 即時的身体性 vs 抑圧された知性という構図でしょう。

タイプ判断でいうところの天性の才でもっていく劇団つきかげ北島マヤ」タイプか、努力型でいく劇団オンディーヌの「姫川亜弓」タイプか、あるいは没頭型の「月島雫」タイプか、持ってるもので進む「キキ」タイプか?みたいな型をキャラクターレベルですでに確立された人物対比像的でもあり、ダンスを通じてそうした作品を映像におけるアニメで表現にするにはそれ相応の「特殊声優」が必要だということだ。

あんまり詳しくないがどうやら羊宮 妃那自身もダンスには一日の長というものがあるそうで、そう言った意味でもダンスの経験があるという側面と、今の声優業というものがかけ合わさったらそれは圧倒的に「答え」に近いはずだ。より簡単に図式化すればこう

  • 「マヤ vs 亜弓」=才能型 vs 努力型

  • 「雫 vs キキ」=抑制的内面 vs 天賦の外発

  • 「劇団つきかげ vs オンディーヌ」=地下表現 vs 正統表現

 

ということで、このアニメはその側面ではもう表現アニメとして確約されている。

「表現方法」!!いいサムネイル、まさに演者レベルの哲学。


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そしてこれはもっと演劇的に遡ればウィリアム・シェイクスピアの『ヴェニスの商人』のシャイロックに代表される外面と内面の乖離があるキャラ類型=「知的で整っているが内側は壊れかけている」という特異な演技属性があるということだ。これを更に言い換えるならば、昔、夜神月=ラスコーリニコフ的と言われ、それは『デスノート』自体がドストエフスキーの『罪と罰』的でもあったと言われている。

 

その是非はともかくとして、そのように言われたという事実。そしてアニメで夜神月を演じた宮野真守であり、その女性的翻訳あるいは別の形でその壊れた知性を演じられる数少ない存在こそが、羊宮妃那なのではないか。そしてこれは非可逆的=翻訳不能な表現の象徴であるという意味では先の、コロンボ、ジョーカー的な第一言語と第二原語における相関している。

 

ここで、一度声優の演技構造というものを解体してみる。そのためにはまず、ある一節を。それは『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博が、森博嗣の著作『地球儀のスライス』の解説にてこのような解説という名のコメントを残しております。

 

”私の定義では、「理系」とは「この世のすべてのもの」を指す。 そして「文系」とは、「理系」の中の特に「人と人との関わりによって生じる事柄」を指す。 殺人は「文系」だ。凶器は「理系」。トリックは「理系」で、それを使った者と見破ろうとする者との駆け引きは「文系」なのである。” 

 

まるで、クラピカが真顔でいいそうなこの文章。これは自分の中でも、冨樫という作家の論旨が非常に明快で、尚且つ置き換えが非常に可能な言い草としてとても、気に入っているからこそ、これを援用して、「声優」に当てはめると、以下のように言い換えられるのではないかと活かせると考えた。すなわち

 

声優=「音響的合理性(理系)」の上に、「人間的共感(文系)」を重ねる演者である。

 

理系的な側面は演技、文系的な側面はその役者の感情性に依拠するということになります。演技/声優という曲線ですね。つまり滑舌や、音量調整(ミキシング工程における整音等はその象徴)とか端的に絶対作業的に発生するノイズ処理は機械的でありながら、キャラとキャラとの空気感やその場の余白はやはり文系=その声優の本質が問われる。

畢竟、声優とは“音”であり、“言語”であり、“構造である”ということだ。

 

音響工学×文学的感情性」で再定義しているだけに、抽象思考で記述ではあるもの、声色が繊細でありながらも、表現が飛び抜けて強いというのは、実はここにおける一種の文系的な側面が非常に高く、それを理系的な音響がフォローしているからこそ、極限な表現が可能になっているのではないか?

この二つが天井となった時に無限のエネルギーが生まれる。そう解釈することはできないだろうか?だからこそ、いい加減しつこいが『回想浮』『栞』『過惰幻』のような楽曲が成立するのだと。以前から歌以上に表現とは書いてきた。

演者が歌以上に、表現と全面に出した作品くらい

が、今ならタイトル通り、「声=音=言語=演技」と形容できる。

回層浮

回層浮

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栞

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過惰幻

過惰幻

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一方で、非Mygo!!!!!の歌唱では相当抑えている歌唱もある。

君へ

君へ

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このバランスさ。つまりは、平均的な感情の含みというものが、圧倒的に高いという珍しい声色と表現の二つを兼ね備えている、稀有な声帯を持つ一角として羊宮妃那という声優は今の時代にいるのだと。それ以上に確かな理由があるのでしょうか?

 

追記<2025.6.4追記>

なんと『機動戦士Gundam GQuuuuuu』にてララァを担当するという跳躍!!!

これ、完全にきています。羊宮 妃那の時代が。

このキャラを担当するということは、感情ではなく“声”そのもので存在を成立させる必要がある。演技ではなく“響き”で人を惹きつける必要性。このこれらが揃ってないといけないキャラクターであるため、本論の成立の一助となります。

 


〈執筆後記〉

というわけで。声=音という謎概念を提唱した責任を取るみたいな形で色々書いてきました。本稿は「声優=音響=構造」という等式を軸に、個人の演技力を超えた“声の存在論”を照射してきたつもりです。

とりわけ前回の声優論的な感じで若山詩音と羊宮妃那という現在進行形の俳優を一つの起点としつつ語れなかった部分を、一度「Mygo!!!!!の歌唱表現引用で羊宮妃那に焦点」を合わせ、ほぼ趣味範囲で固めたとはいえ、古典・実写・映像・音楽をまたいで展開された思索のはずが、もはや音楽的視点での一声優論というよりも、声の文化的位相そのものとなってしましました。最初の理由からして無理があるとは思ったが、案外書けるという実感が得られたのでそこは個人的に嬉しかったです。

色々な役者をバランスよく配置できた気もします。あくまでもこの枠組みで捉えると、こうなるという話なので、もっと他の適格者はいるだろうとは思いますが、それはそれということでご容赦を。
なんか途中から文章のテンション変わったなと思ったらそれは正解。具体的な明示はしないが、(自分の趣味系統と思索系統を知ってる人は明確にチャンネル変えてるなって思ったはず)まぁ文章を書いてると、本来の意図とは違う寓意を引き寄せがちなのですがそれは別に、今に始まった事ではないのでどうか見逃してください。

 

元々温めていたネタ+、訳あって設計していた文章をある種論に展開したところから始まったのできついかなとも思ったのですが、うまいこと一つの論に落とせたのは幸いです。

part3

 

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【宣伝】『ブラインド vol.3』『型伝研通信 vol.3』に寄稿

まぁ、要はガールズバンドにおけるあれこれってなんだよっていう話ではありますが、なんとなく2024年に立て続け松竹配給で散々アイドルアニメ、バンドアニメの予告編をはじめいわゆる群像劇というものを主題においた作品が多く、そういうものが普遍的なテーマであることは当然わかるけどあまりにも本数が多いなぁくらいの距離感ではあったのですが、11月に『Mygo!!!!!』を見て、色々な意味で発見があり、そこからどうやら遡ると、近年は2022年の『ぼっち・ざ・ろっく!』2023年の『Mygo!!!!!』そして当時はまだ未見だった『ガールズバンドクライ』と、ここ三年たて続けに話題作として「バンド」で「青春群像劇」が展開されており、これは何かしら書いておいた方がいいなぁとか思ったら今年の初頭に『Ave Mujica』のアニメが始まり、これも色々な意味でまぁ盛り上がったわけです。

ということで、何か物語の枠組みという文脈で一本書くべきかどうか、という形で思索していたところ、以前寄稿させていただいた批評誌「ブラインド」さんが

まさか、まさかの『ぼっち・ざ・ろっく!』『ガールズバンドクライ』題材で募集という告知がありこれ、前回も全く同じ流れで『グリッドマン』『ダイナゼノン』『ユニバース』全部み終わったあと、感想をまとめていたところに、それらを軸にした特集号という形だからこそ、ここだ、と思い寄稿したという経緯があるのですが今回もまさにそういう形でした。ただのきっかけとはいえ、こういうのは大事ですね。

そして今回はジャンルが音楽を伴うバンドものということで、最初は音楽の手て行こうとも思ったのですが、既に

 

sai96i.hateblo.jp

本記事を書いてしまった手前、そのノリをまた繰り返すのも変だよなぁということで、どの作品にも通底する一種の作品における群像劇的な方向性で攻めようと思い、が、しかしそれだけでは成立しない。もっと別の何かが必要になると思い、補助線で色々と別の作品を意味合いを精査した上で、選出して色々書いた結果が本論考となっております。

タイトルが

 

『音楽×青春×人間関係ガールズバンドアニメにおける群像劇について

──或いは『響け!』から『トラペジウム』に至る病』

となっているのはその影響です。つまり、音楽と青春と人間関係がバンドアニメにかかる文脈であれば、副題の『響け!』から『トラペジウム』に至る病』は論評としての「群像劇」の補強。つまりなぜある種の暗さが作品にあるのかという文脈を色々と考えた結果、手前に『響け!』があることの意義を踏まえると色々と見えてくる補助線があるということを導けました。何よりもMygoの脚本家と、響けの作者とのインタビュー記事があったことという事実レベルでは2023年には知っていたので、そこがある種の軸足として始めることができたのも幸運。作品レベルでの作り手同士の繋がりがインタビューであることは作品同士の共通性があるということを、作り手側が意識していることに他ならない。

natalie.mu

と、いうことで論評として『響け』を引用する必然性が確保されていることもあり、飛躍と言われることもなく、今のバンドアニメの原点となる『けいおん!』を軸足に展開。というのが始まりの軸足になれたのも幸い。『トラペジウム』に関しては実際に読んでいただければと思います。

募集時期が12月初頭、で締め切りが3月。つまりこれは当時からもわかっていましたがアニメ『Ave  Mujica』の放映がギリギリされている状態で、やはり最新の作品も入れなければそれは嘘になると思い、主宰の方に一報を入れながら締切以降の話数の話を追加していき、なんとか最終話放映時にも原稿に手を入れる猶予が確保できたので、なんとなったという印象です。やはり音楽がどうこうという話をするのは難しいから作品について物語がどうこうみたいな話を文章として書くのは難しいなとか色々思いながらも、個人的には納得の行くものがかけたことが何よりです。まぁあまり書きすぎても原稿の意義が薄れるだけなのでこの辺りで締めます。

 

逆に音楽的な側面からの『Mygo!!!!!』と『Ave Mujica』については現時点でで先ほどあげた音楽的な側面における記事と、こちらのガルクラのOST、春日影の構造論がありますので、是非読んでいただければと思います。

 

sai96i.hateblo.jp

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で、その次に型月伝奇研究サークルの型月伝奇通信vol.3に
蒼崎青子(学生時代)のギターはなぜS-S-S型なのか?」を寄稿しました。

 

 

 

これはXでも書いた通りですが、そもそもこれ経緯としてもう少し書くと、前提として『Fate/staynight』(オリジナル復刻PC版、アニメ一群)『月姫』(同人版)『空の境界』(小説、アニメ)と、昨年一気に奈須きのこの四大タイトルの原点に当たりまして、そのラストピースとして『魔法使いの夜』をStemでプレイしている最中なのですが、知り合いに型月に詳しい人がおり、その人がいわゆるFGOでも蒼崎青子はコラボの関係でデータとして存在している的な話になり、共有されたのが、蒼崎青子(学生時代 )の情報であり、そこに書いてあった絵がギターを持つ蒼崎青子であったこと、そしてギター構成がSSS型であったこと。それをまだ途中とはいえ、蒼崎青子というキャラ性と照らし合わせると論としても成立するよなあという考えのもと書いた文章です。もう少し『魔法使いの夜』に詳しければ本編との繋ぎ合わせもできたとは思いますが、しかし知らないからこそ書けた新鮮さもあると思うのでそういう意味では書けたよかったと思える原稿となります。たかが1700文字ですが、これまでの経験上、面白い論考というのはこの段階で一定以上の面白さがないと成立しないので、もっと作品をしれたら本格的にこの論も膨らませられるなと思うのでその繋ぎと考えてもよしといったところです。

 

 

といったところで今回の文フリ東京40の寄稿の内容となります。

新刊は発刊されないものの、これまで寄稿してきた原稿を扱っている「もにも〜ど」も参加されているので、自分の論評どうこう以前にシャフトに関心にある方は是非、お手に取ってみてはいかがでしょうか?

というあたりで今回の宣伝を締めたいと思います。

 

 

『春日影』という音楽の蝕─MyGO!!!!!とCRYCHICの断絶構造

訳あって(というか、まぁ色々な理由があって現地へと)『分かれ道、その先へ』DAY2に参加できたこともあり、その感想を交えつつ、『春日影』という楽曲と、MyGO!!!!!/CRYCHICにまつわる構造的違和感について、あらためてまとめてみたい。

 

春日影 (MyGO!!!!! ver.)

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春日影 - From THE FIRST TAKE

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www.youtube.com

 

すでに、『MyGO!!!!!』という作品を象徴するセリフとして、「なんで春日影やったの!!」はあまりにも広く流通してしまった。いまやあの泣きの名シーンは、コミックシーモアのCM素材として映像・音声ごと流用されるほどで、公式自らがネタ化を推し進めているようにすら見える。

 

「感情の爆発」だったはずのシーンが、いつの間にか「使い勝手のいい泣き素材」にまで還元されていることに、静かな不快感が残る。あの涙は、小日向美香の芝居でもあり、長崎そよの人格でもあり、作品の痛みとして描かれていたのに。それを素材化した時点で、すでに何かが壊れている。

 

『Ave Mujica』はAbemaで全話リアルタイムで視聴していたが、第9話の幕間CMでコミックシーモア版が流れたとき、羊宮妃那による劇中アナウンスのシーンが差し込まれていた。それを知っていたからこそ、ライブ会場で無惨にも使われるブシロードのそのcmを見ながら、「どうせ使うなら、小日向という役者を起用して、作品の外側として当ててくれればよかったのに」と思うわけです。公式のパロディ化と、以前からそもそも『春日影』という楽曲の存在が、何かおかしい、異物なのではないかという違和感はあったのだが、考え続けた末にたどり着いた結論は、この曲が制度的にも音楽的にも作品構造を引き裂く異物であるということだった。


以下、その異物性の正体と、CRYCHICという壊されるために存在したバンドの意味について、あらためて述べていきたい。どちらかと言えばメタ視点で見た時にどうかという話です。

 

まず前提として、Mygo!!!!!の楽曲をメイン主軸で制作しているのどこか?という話です。それはSUPA LOVEです。本編に係る楽曲群(『迷星叫』『壱雫空』『碧天伴走』『潜在表明』『音一会』『詩超絆』) がそうであるように、ゲストライター楽曲はあれど基本的にはSUPA LOVEです。

しかし振り返ると例外が二曲存在する。それが『春日影』と『人間になりたい歌』がElements Gardenの手によるものだ。

ここまでは既存の記事でも言及されているポイントだが、ここに一つレイヤーを弾いてみたい。つまり、本来の「なんで春日影やったの!!」は、別バンドなのに、CRYCHICの曲をやるなっていう感傷的な台詞、であるのと以下の図式が成立する。

「なんで春日影やったの!!!」=『なんで旧バンドリ(=CRYCHIC=Elements Garden)の音楽を“今”の私たちがやるの!!!」

  • そよ視点では「春日影=思い出」であり、「再現=過去の焼き直し」。

  • しかし、要楽奈がそれをMyGO!!!!!でやってしまった。それも「旧時代の曲」を。

  • → そよの叫びは「個人の感情」と「音楽性の断絶」に対する二重の悲鳴

と読むことができる。

そしてここにおける旧バンドリ:今という図式は、元々『Mygo!!!!!』『Ave Mujica』かバンドリ!とは別の企画からスタートした企画であることが公式側から言及されていることがさらに補強される。そのことは実際に、制作陣の発言によって明かされてもいる。

 

もともとMyGO!!!!!とAve Mujicaは、2つのバンド、10人のドラマの企画として始まりました。その後『バンドリ!』シリーズに合流することが決まり、1クール目がTVアニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』(以下、『It's MyGO!!!!!』)、2クール目が『Ave Mujica』として展開する形が決まって、そこから改めて物語の構成を固めていきました。

BanG Dream! Ave Mujica:柿本監督が明かす、第9話までの制作秘話【インタビュー】 | アニメイトタイムズ

つまり、最初はバンドリではなかったものがバンドリに組み込まれたという歪曲した構図がそもそもの前提としてあり、組み込んだ後に話が形成されていったということ。すなわちCRYCHICの存在といい、『春日影』といい、これは「本来バンドリ枠ではないバンド」が「バンドリ枠」であるがために強制的に仕組まれたバンドとも言える訳だ。そして旧バンドリのメイン作曲家層はといえは、Elements Gardenがほぼ全面担当であることはご存知の通り。

elementsgarden-matome.blog.jp

だから、新しいブシロードのバンドリとしてのMyGO!!!!!というシリーズは、BanG Dream!の“アップデート”であり、ガワ(キャラ)を売るコンテンツから、音楽的・物語的リアリティを追求する方向へ舵を切ったプロジェクトであることは明白であり、 旧バンドリ(EG主導)とは明確に違うサウンドディレクションがある。それなのに「象徴的旧楽曲」をやった=企画の背骨を揺るがす行為にもなる。

もう少し詰めて整理するなら、これは「Elements Garden vs SUPALOVE」=「CRYCHIC vs MyGO!!!!!」というメタ構造の対立である。という制作メタ視を重ねることで、単に昔のバンド曲再現された悲しいですという単一な視点から

Elements Gardenの曲を今のバンドリがやることの重さって、キャラが一番感じてた」ことでもあり、春日影=旧バンドリ=そよの居場所という読みが成立する。と、なればこれは逆説的に言えばあの「なんで春日影やったの!!!」っていう叫びは、音楽的にも物語的にも、そよにとっての中間破壊点だったわけです。

それ以前(というか本質的には)

  • CRYCHICに戻りたい

  • 自分の居場所は“あの音楽”にある

  • MyGO!!!!!は仮の姿

という立場だったそよが、その旧時代(EG/CRYCHIC)に自ら涙し、それでもMyGO!!!!!に帰ってきた=新時代を肯定したという構造になる。

これは「音楽の血筋の断絶」を受け入れたってことでもあり、自分が過去の象徴であることを認めたうえで、未来に歩み出すってこと。

つまり、「なんで春日影やったの!!!」のもう一つの真の意味は、

「もう春日影じゃない。私たちはMyGO!!!!!なんだ」という、裏返しの宣言だったんですよね。10話での『音一会』を先駆けていた訳です。涙することで、MyGO!!!!!サウンドに向かう道が開けていたのである。「物語上はまだ否定していない」なのに「音楽制作構造ではもう否定済み」というとんでもないメタ発言であるのだ。

 

この線を引くことによって『春日影』は三つの視点における異物であると言える。

1. 音楽的に異物

  • 作曲:Elements Garden(バンドリ旧主流)

  • 現MyGO!!!!!楽曲群はSUPA LOVE製:全く違う音響美学・感性・構造

  • MyGO!!!!!のサウンドの文脈からは浮いている

2. 物語的にも異物

  • CRYCHIC時代の唯一のオリジナル曲

  • そよ・燈・祥子・睦・立希がかつて共有し、「壊れた」過去の象徴

  • MyGO!!!!!再始動後、明確に「その曲をやること」が忌避されている

3. 制度的にも異物

  • MyGO!!!!!はもともと「バンドリではなかった」構想

  • その中で唯一、「バンドリ文法(EGサウンド)」を含んだ遺物として居残っているのが「春日影」

  • 「組み込まれたバンドリ的なもの」=異物としての核心

しかし厄介なのは「異物」であるがゆえに、中心にある

だから、『春日影』は排除されるためにある曲ではなく、
むしろ「MyGO!!!!!という存在の矛盾・断裂・過去と現在の交差点」そのもの。MyGO!!!!!は、バンドリじゃなかったという根源的な異質さを『春日影』という形で内部に飼っている。『春日影』はMyGO!!!!!という存在が成立するうえで、
唯一不可避だった過去のトラウマであることが物語上の機能でありながらも、音楽的な内在する矛盾である。

 

だからCRYCHICはどうあがいても解散せざるを得ない。それは表層的な理由はアニメでも描かれたように、168億の負債がどうこう、みたいな流れで→解散。と同時に深層的な理由(メタ構造)としては、Elements Gardenによって作られた「バンドリらしさの極点」 → すでに時代遅れになりつつある音楽性の象徴と、そよの「春日影」への執着=EG的感情性への固着、そして、燈がMyGO!!!!!で「別の詩」を書きはじめる&SUPA LOVEの楽曲=音楽の世代交代という暗示を指している。

ここも実は変なんですよね。他のメンバーの、というか実際にはメンバー誰1人として亀裂はない 祥子は168億の損失を負ったけどそれは別に他のメンバーのせいではなく家の話だし実際は続けたい、 睦はコミュニケーションが不足しているだけ(自分のギターに満足が言っていないということが言い出せないだけ)で辞めたいとは思ってない そよ、立希、燈→続けるものだと思ってる。つまり、物語上「解散した」とされているCRYCHICは、実は誰も解散を望んでいなかったバンドであることの重みがより活きる。

つまるところ「バンドリじゃない」ところから始まった作品が「バンドリ」に組み込まれたことで生まれた「制度上」の問題であると

  • バンドは続けたい

  • そよや燈と離れたくない

  • 168億の損失は彼女の父が出したものであって、彼女の意志ではない

だから別に解散とまではいかなくても、一時停止くらいでもよかったはず

 

 

その上でMygo!!!!!が成立しているのだから本編における長崎そよにおけるあの暗躍というのはこの目線上だと「CRYCHICの再結成=バンドリの退化」もしCRYCHICが復活していたら、それはElements Gardenによるバンドリ文法の延命になっていた。でも、MyGO!!!!!という別の方法が生まれてしまった以上、CRYCHICは物語的にも制度的にも死ぬしかなかった=長崎そよの「春日影をやるな」は、「私はまだCRYCHICにいたい!」という叫びであると同時に、「もうそれじゃ駄目なんだ」という自己認識の断末魔でもあるわけです。この文脈に乗ると、『春日影』は葬送曲でもあるわけです。

 

長崎そよさん聞こえますか?俺たちからあなたへの鎮魂曲(レクイエム)です

 

大元を振り返ると祥子がCRYCHICを組み立てたのも、ポイントでつまるところ、「CRYCHICの始まり=モルフォニカに触発された」時点で、彼女たちは旧バンドリの申し子。

CRYCHICのルーツ=旧バンドリの正統継承者説

1.モルフォニカに触発されてバンドを始める

意訳:しかし、モルフォニカ=Elements Garden的感性の体現バンド

2.結成のきっかけも、音楽的志向

意訳:完全に前バンドリ的

3.『春日影』もElements Garden制作

意訳:文法・サウンド・動機、すべてが旧時代

 

Q.上記3点これらは何を指しますか?

A.つまりCRYCHICは、物語の外側から見れば前バンドリの精神を継ぐ者たちだった。

 

ここら辺はバンドリとしてみている方々からすれば何を今更、という感じなんでしょうが、大元として別企画であることを考えれば、実際のところこういう書き方の方がむしろ正しい。

CRYCHICの「終わり」は旧バンドリの終焉

だからこそ、CRYCHICを解体しないと、新しいサウンド文法(=MyGO!!!!!)が立ち上がらないでも、キャラはそんなこと知らない。(メタ視点故に)

なぜなら彼女たちはモルフォニカに憧れてバンド始めただけ→ その純粋な動機が、「次の時代には不要」と切り捨てられる。

ともすれば、

・最初の動機=旧バンドリ
・最初の曲=EG制作
・最初の涙=制度の更新

でありながらもCRYCHIC=崩壊を前提とした物語的装置

モルフォニカ=旧バンドリ的インスピレーション

楽曲もElements Gardenによる『春日影』=EG時代の象徴。

キャラたちのモチベーションや行動も、旧文法で成立している

つまり、CRYCHICとは「前バンドリ世界観を埋め込むことで、後に爆破するための時限ユニット」であるということだ。CRYCHICを排除するためにわざわざ解散ドラマを作ったのではなく、その存在と崩壊を

  • 物語上の情動

  • 音楽的断絶

  • 制度の更新

として儀式的に処理したのが「春日影」だった。そよの叫びは、その儀式における最大の発火点=カタルシス

そして繰り返すが

  • 元は別企画として立ち上がっていた

  • 音楽制作はSUPA LOVE/Diggy-MO’という新世代体制

  • キャラクター像、楽曲構成、サウンド美学が完全に再設計されている

つまり、これは文字通り(というかアニメ通りだが)MyGO!!!!!とAve Mujicaが本命であり、CRYCHICは旧制度の断絶を描くための通過ユニットにしかすぎない。もっといえば、CRYCHICは「バンドリという制度にMyGO!!!!!を無理やり入れた結果、
必然的に発生した異物」であり、だから壊されるしかなかった。壊されることでしか、新体制は純粋になれなかった。

 

で、ある意味でこの製作陣における歪曲さ、というか「入れてしまった」ことによる四苦八苦は『Mygo!!!!!』13話の存在も全く同じで

柿本 実は、最終話でAve Mujicaを出すというのは後付けだったんです。元々13話構成とは決まっていたのですが、シナリオを作りながら、キャラクターが紆余曲折するたびに展開を変えていった結果、少し早く話がまとまったんですね。では、残りの話数をどうしようかと脚本家チームと話し合い、祥子が裏で動いているわけだし、最後にAve Mujicaを先行して出して、次のクールはもう一つのバンドの話だということを提示するかたちになりました。

アニメージュ2025年1月号に関するお詫び | アニメージュプラス - アニメ・声優・特撮・漫画のニュース発信!

 

13話構成は決まっていた→けど早くMygo!!!!!の物語が12話であがってしまった→どうしよう→よし繋ぎの回を入れよう!!続編で繋げよう

という立て板に水の如く無理やり挿入されたのが放映された「Ave Mujica」結成編としての第0話なわけです。しかし、真っ当にみていれば『Mygo!!!!!』の物語は完成している。12話でそよの和解・自己受容・MyGO!!!!!としての確立が描かれ、完全な終幕を迎えているし、視聴者もそこで物語が完結したと納得しているそれにも関わらず、13話だけが不自然に「別の物語」になっている

ディートハルト的に言えば、「この物語は既に完結している。あなたがたは登場してはいけない!」みたいな現象がおきるわけです。

音楽プロジェクトとしてはMyGO!!!!!とAve Mujicaは対になる構造体、しかしアニメ構成的にはMyGO!!!!!の物語は12話で完全に完結済みにもかかわらず13話が存在し、そこだけ明らかに異なるテンポ/視点/構造これは、制作サイドが「本来いえば十人のドラマ」とはいえ、性質のことなる2つの企画を1つの連続作品に統合せざるを得なかった」ということだ。共通ことして祥子は動いていれど、MyGO!!!!!とAve Mujicaが本来別々に成立していたはずの企画であることが、13話という余白のはずの1話に無理やり接続されてしまったことで可視化されている。

 

つまり13話とは、構造的に本来なかったことにすべきだった話であり、そこにCRYCHICのような「制度に殺されたユニット」の存在理由が重なるわけです。どちらも「MyGO!!!!!という枠組に、本来異物であるはずの他者を制度の都合で無理に接続・処理した痕跡」それが「CRYCHICの解散」であり、「13話のMujica導入」であることは違いない。

Mygo!!!!!では

  • 過去の象徴=CRYCHIC

  • 未来の布石=Ave Mujica

という時間的にも文脈的にも異なるものを入れた→「物語を媒介にして、旧構造と新構造を一挙に処理した」という無謀さ。

 

なぜならどちらも本来は「別の場所」で描くべきもの。それをMyGO!!!!!という作品世界の中で無理やり完結・接続した。そしてその制度的歪みの衝撃を一身に受けたキャラが、長崎そよだったというわけです。このようにして、考えていくと、CRYCHICの解散は、旧バンドリの亡霊を始末するための制度的始末であり、13話のMujica導入は、本来別の物語を、制作都合でねじ込まれた異物であることもまた、確かである。

実際みている側として、13話は「Ave Mujica側のカメラ、演出、台詞回しすべてがMyGO!!!!!という作品文法と噛み合っていないにもかかわらず、それを「MyGO!!!!!というタイトルの13話」として続けているこの変な感じに苛まれた人は多いでしょう。

 

だから、この調子て、おそらくCRYCHICは消費されるために用意されたバンドとして用意されて(バンドリの枠組みに決まった後に話を考えたのなら尚更)いると思えば

  • 音楽的には旧バンドリ(EG)を象徴

というのは全くもって間違っていない。CRYCHICは旧バンドリの残滓として処理されることで、MyGO!!!!!の純粋性が確保されたCRYCHICが壊れた理由は「構造」だったにもかかわらず、物語上は「感情のすれ違い」に変換された。

これが『Mygo!!!!!』を見ている時の最大の違和感。誰も悪くないのに、結果的に、キャラたちの感情が制度の論理を覆い隠す謎の責任を負わされたことで変にギスっているという。そこには本来の意図として「狙ったギスり」もあるのだろうけれど。

ただ、実際に描かれたギスギスの大元は、たとえ、中学生であっても、相談や話し合いは当然可能特にあれだけ関係が深く、バンドという目的を共有していた仲間ならば、
誰かが一言「実は…」と話せば、全ては繋がっていたはずでも、それを「あえて誰もしない」ように物語が設計されている。

  1. 祥子は親の負債=自分の責任ではない → でも自動的に距離を取らされる
  2. 睦はギターが楽しくなかった → でも話す前に亀裂が決定している
  3. そよたち一向は誤解はあるが、修復の前に解散カードが強制発動される

キャラは何も悪くない、話せば済んだ。でも物語は話させない構造になっている。

はて、ここにかかる適切な距離の取り方はなんだったのだろうか?

  1. 祥子が「家計の都合で一時的に活動をセーブしなければいけない」と相談する

  2. 他のメンバーは「そっか、大変だね。でも待ってるよ」と言う

  3. CRYCHICは一時的に休止、または体制を変えて継続の余地を残す

これで何の問題もなく、物語もキャラも壊れない

し、このくらいだったら、そんな無理な話でもない訳だ。でもそれを構造的に無視しないとMygo!!!!!/Ave Mujicaは生まれない。だからやっぱり成立させるために必要な制度的解体行為であり、それ以上でも以下でもない。

 

改めて楽曲体制の話に戻ると、CRYCHICだけがEG体制で、文法的にも価値観的にも旧バンドリの再演であることそして『春日影』だけがEGによって書かれ、かつ演奏されるたびに壊れる「禁忌の曲」として描かれているこの楽曲構造こそが、CRYCHICの本質=旧時代の儀式化された亡霊であることを証明している。

アナロジー的に倣うのであれば、これは『ベルセルク』における1-13巻までの「黄金時代」みたいなもので、

祥子、睦という、品格、家柄、クラシック的気高さ=従来の「清潔な理想性」や、燈・そよ・立希:情緒・友情・努力=「絆で繋がったバンド」という古典的理想=バンドリの黄金時代美学=「友情」「成長」「絆」

  1. 音楽はElements Garden(旧バンドリの血)

  2. 結成動機はモルフォニカ(過去への憧れ)

  3. 名前にまでクラシック性がある

つまり、バンドリ的な何かがが最も美しい形で再現されたユニットそれを一度物語として再構築したのがCRYCHICであり、しかし、それは「成立したがゆえに、解体される運命にあった」まさにベルセルクにおける「蝕」あまりに美しすぎたがゆえに、一度神に捧げられなければならなかった黄金時代とも言える訳です。

ベルセルク』の蝕で、「グリフィス率いる鷹の団=理想の共同体」は、

未来の構造にとって邪魔だからという理由で、神の手によって儀式として抹消されたのと同じくCRYCHICは“旧バンドリ的美学”を体現しすぎたがゆえにMyGO!!!!!/Ave Mujicaという制度的刷新の前では、残してはいけない過去となった。

春日影=ベヘリット=蝕とでも形容しましょう

最も美しい曲、最も情感が深い曲、でも演奏するとバンドが壊れ、あの曲だけが、制度的に「殺すために選ばれた音楽」、そしてそれに抗うように叫んだそよは、かつての時代に引き裂かれる者の末路。

物語上の理由は「昔のバンドの曲を勝手に使われた」だけだが、果たしてそれだけであんなにもキレるだろうか?他になにか、もっと別のところで意味はないだろうか?

なぜ「長崎そよ」と「豊川祥子」だけが第7話で「泣いた」のか。そこにはもっと本質的な理由があるのではないか?

『春日影』の演奏=そよにとっての「蝕」の再演であり、CRYCHICの記憶=旧時代の死自分たちが「新しい制度の開始点に立たされている」ことを本能的に察知してしまったということの方が本質に近いのではないか?といことである。一方で、この二人はCRYCHICに未練をもっている=天動説を信じている二人であり、Mygo!!!!!による「春日影」を経てなお「天動説」にしがみつくそよと、「地動説的回転」として「Ave Mujica」を設計する祥子、という点で明確に差が出てしまっている。

かつて「CRYCHIC」という旧バンドリ=天動説的な絶対中心(そよ)を巡る構造に巻き込まれていた。自らは星を見る体験(三角初華との記憶)に基づき、音楽=記憶の反復/執着の器として生きてきた。CRYCHICが封印した楽曲を、MyGOが「無断で」演奏することで、「記憶(星)を他人に見られた」ことに近い感覚。

それにより、自分の中で「春日影=個人的な宇宙」が公共的演奏になったと受け取った。だからこそ、第7話で涙する/傷つく。ただし、三角の存在により再構成される。「星を一緒に見た者」として新しい世界=Ave Mujica=地動説的再編を選択する。そして 三角初華(祥子の過去の伴走者/Ave Mujicaのボーカル)は立場としては音楽ではなく、「星を見る記憶」によって祥子と繋がっている。旧バンドリにおける構造的しがらみがなく、記憶の共有者ではあるが、構造の外部にいた存在。結果として、祥子にとって唯一「自分の宇宙」を共有できる相手=新しい地軸になれる人物だ。

動機としての明示的な反応は少ないが、祥子の傷つきを受け止め、次の選択肢=Ave Mujicaへの転換を促す役割であり、彼女の存在により、祥子は「個人的な記憶の星空」を再編し、公開可能な音楽構造へと転換する。同じボーカルでも高松燈との出会いを振り返ってみると初華(三角)は実際の星空を仰いでおり、それは彼女たちが「過去の象徴体系(天動説/旧バンドリ)」に自らの感情や記憶を委ねている証左といえます。一方で、燈は「プラネタリウム=人工的な星」には行くが、空を仰がない。

燈はあくまでもプラネタリウムで星を見る者、つまり象徴を媒介する立場にとどまっていた。だが、実際に星を仰いだのは三角と祥子だった。この現実の天体観測の違いこそが、「象徴の反復」と「象徴の創出」の分岐点となる。祥子は旧象徴であり、春日影を通して制度に殉じる。三角はその制度を超えて、新たな地動説の語り部となる。
その中心に立つのがAve Mujicaであり、彼女たちは象徴の後に来る者、音楽制度を更新する者、制度の屍から立ち上がった者である。

 

また、第7話における「春日影」演奏は、単なるコピー演奏ではない。それはCRYCHICという旧世界=天動説の音楽体系を、MyGO!!!!!の身体によって演奏=儀式化することで、「旧制度の魂を引きはがし、供物として捧げる」儀式的行為である。

ここで鍵になるのは、MyGOが「春日影」を完璧に演奏してしまった」という事実が、祥子に対する暴力として機能していること。CRYCHICが築いた楽曲世界を、何の権利もない後発の存在が演奏する。それは制度の象徴=音楽が、もはや個人のものでないことそのものであり、だからこそ祥子は「傷つく」のである。

豊川祥子は、「春日影」=かつて自分たちが信じた宇宙の中心(天動説)を他者に歌われ、それが更新されてしまった現実を突きつけられた。それは否応なく「時代が変わった」ことを知る者の涙。

長崎そよは、地動説的世界に身を置きながら、なお中心に戻れるという幻想を抱き続けた者。それが 過去に戻れないと知った瞬間の涙。彼女の涙は、更新ではなく「拒絶」によって生まれたもの。

この2人だけが泣き、他のCRYCHICメンバーは泣かないし、演奏をすることも厭わない。(それは聴衆にした若葉睦を含め)それはつまり、もう「春日影」を歌っても泣かない次元に彼女たちはいるということであり、涙を流すことができる者こそが、「未だ天動説の内側にいた」ことの証明である。

もし「春日影」が本当に「禁じられた歌」であり、誰もがその神聖性を知っていたなら、高松燈も椎名立希も、要楽奈の演奏にのることはなかったはずです。
しかし彼女たちは演奏する。それはすなわち、高松燈や立希、にとって「春日影」は、もはやかつての呪いではない。それは「CRYCHICという文脈」ではなく、「今を生きる者が鳴らすべき音楽」になっている。だからこそ、彼女たちは「春日影」に込められた天動説的意味など知らずとも演奏できるし、演奏すべきと感じている。だからこそ

 

逆説─涙を流すのは、更新を受け入れられない者だけであり、演奏に立ち会いながら涙を流す豊川祥子という図式が論理的に成立する。この構造があるからこそ、CRYCHICという「春日影」の旧い文脈の象徴(=天動説)は、Ave Mujicaという新たな文脈(=地動説)に更新される必要があった。そしてそれを可能にしたのが、三角という「星を見る」存在、そして「外から来た者」としての新しい重心。

まとめていうのであれば、「春日影」を本気で大事にしていたからこそ、更新できる者とできない者が分かれた構図でありながらも本編ではそれが「感傷的」なシーンとして位置付けられている。だがその情緒は、「なぜこの楽曲で?」「なぜ彼女たちだけが?」という合理的・制度、そして論理としての裏付けが不足している。

 

(表面上の理由としては納得はできるが、それが全てだとは思えないという意味)

 

その理由こそが本質的に大事であるのにも関わらず。以上のことを踏まえればあの後に祥子がいうところの、「全部忘れさせて」=天動説から地動説への転換宣言であり、この台詞は、祥子がこれまで信じていた「天動説」的な価値観。すなわち、CRYCHIC時代の中心的存在としての自分や、過去の栄光を手放し、新たな価値観「地動説」への転換を決意した瞬間を象徴しているとしっかりと行動に対して、「感傷的な流れ」ではなく「理屈」としての行動として一致する。

 

この内面的な転換があったからこそ、祥子はAve Mujicaという新たなバンドを結成し、地動説的な価値観のもとで再出発を図ることができたのです。彼女の「全部忘れさせて」という言葉は、過去の忘却=未来へ進むための第一歩だったと言える。だからこそ、その決心をした後の祥子には長崎そよの代弁は同じ二人出会ったもの同士でも、それは「裏切った/られた」という単軸次元ではなく、既に明確な意識の差がある。

 

長崎そよは、Mygo!!!!!という地動説に乗って運ばれてきたのに、自分こそが世界の中心と錯覚している天動説をいまだに信じている、だからこそのあの対立があるのだ。

 

ではなぜこうした歪さが生まれてしまったのか。それは詰めていってしまえば

すべての原因は「MyGO!!!!!とAve MujicaをBanG Dream!にねじ込んだこと」

 

だからこそ、MyGO!!!!!とAve Mujicaは、BanG Dream!という制度から出ることで、
初めてキャラたちの感情や楽曲の純粋性を保証できるのではないか?と思うし、それはこの二つのバンドからBanG Dream!を知った人からすれば無意識的に「この二つだけアニメも音楽も異常にクオリティが高い」と思っている層もいるとすれば、もはや聞き手・受け手の中で脱色されているようにも思える。

前の記事で「音楽的に面白い」という文脈で書いたのがまさにそれであり、

 

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つまりバンドリではなくMyGO!!!!!とAve Mujicaという存在自体に惹かれた。という自分の体験は最初からバンドリを枠組みを突き破るほど、

MyGO!!!!!とAve Mujicaは、最初から音楽性・演技・構成文法すべてが違った。

この一文の尽きる。もう少し踏み込んで言えば、表現・技術の強度は、旧バンドリをごっこ遊びに見せてしまうほど純粋で、統合は文化的降格であり、構造的誤配だったとさえ思う。だからこそ、統合されない世界こそが、本当の意味であの作品群におけるキャラたちが輝くべき舞台だったというわけです。

 

ここで、ライブ会場の感想について一つ挙げます。座席隣の中国人の客がガッツリ盗撮してて、始まって数分後指摘されて、その数分後に強制退去させられていたんですよ。しかも『春日影』の演奏に入る手前だったんです。

どんだけのこの曲には因果!!というかだからこそ、ベヘリット的な何かがあるのかと思いました

(無論それは盗撮行為とは全然関係ないのだが強制退去のタイミングで『春日影』は本編的にはあってる) 

ベヘリット=運命を召喚する装置

持っているだけではただのモノ、でも流れた瞬間、現実の構造が変質する。つまり誰かが退場させられ、誰かが壊れ、何かが終わる。つまり自分がライブの出来事も含めて得た『春日影』の効果はすくなとも周りの人よりも変に面白くって、

『春日影』が演奏された時におきたこと

  1. CRYCHICが死ぬ(劇中)

  2. そよが壊れる(演出)

  3. 小日向が限界突破する(演技)

  4. 制度が分岐する(構造)

  5. 盗撮者が退場させられる(現実)

『春日影』という楽曲が演奏されるとき、何かが壊れる──それはCRYCHICだったり、そよ自身だったり、物語構造そのものだったりする。そして自分が会場で見たのは、まさに「演奏開始直前に盗撮客が強制退場させられる」という、現実がズレていくような瞬間なんですよね。偶然とは思えないタイミング。無関係ではあるが、本編との符合があまりに鮮やかだった。あのとき確かに、何かが発動していたし、そうとしか思えなかった。

 

もはや『春日影』はベヘリット、CRYCHICの命を供物にし、新たな世界の門を開く=Ave Mujicaの因果律のトリガーでもあった。そしてその門から現れたのがAve Mujica。彼女たちは旧世界を滅ぼし、新世界を始動させるための存在──それはもう、ゴッドハンドにほかならない。ボイド、スラン、ユービック、コンラッド、フェムト。
それに呼応するドロリス、ティモリス、アモーリス、モーティス、オブリビオニス。

三浦建太郎.『ベルセルク』(1996年).13巻.p120

神々の名に似た響きを持つその名は、あまりに象徴的だ。神名の呼応音(-is)構造。

奇しくもDiggy-MO`は自身のソロで『GOD SONG』という楽曲を発表している。

 


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GOD SONG

GOD SONG

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これは数学・天文学者であるプトレマイオスを題材にしたDiggy-MO'の楽曲『PTOLEMY』と対をなす『GOD SONG』における原初的テーマでもあり、視点の転回(丸の内からか外からか)というモチーフの中で、天球(そら)という語が天文学的秩序の象徴として機能している

そもそも宇宙(世界)の音楽(ムジカ・ムンダーナ)という基礎概念を考えればより、天球という単語はおしゃれでもずらしでもなんでもない。むしろ正当性をもつ。

古代ギリシアや、ボエティウスの『音楽提要』では概念として

  • Musica humana(人間の音楽)-魂と身体の調和

  • Musica instrumentalis(器楽音楽)-聞こえる音楽

  • Musica mundana(天球の音楽)-星々や宇宙そのものが奏でる、人間には聞こえない調和

というような意味合いを持っている。詳しく気になる人は調べていただきたいが

まとめてしまえば、ここでの「天球の音楽」は、理性・霊性の音楽であり、人間を越えた存在(神)や秩序そのものを象徴する。

PTOLEMY

PTOLEMY

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Diggyの楽曲は単なる韻や語感遊びではなく、構造美・主題回帰・対立の融合を一貫している。『PTOLEMY』『GOD SONG』などは、まさに天文学幾何学・神学をラップに変換したような作品。

月蝕=地球の影が月を覆い隠す瞬間。
ベルセルク』の「蝕」=運命に呑まれ、現実が影に飲まれる儀式。

そしてDiggy-MO’が『PTOLEMY』『GOD SONG』で扱っていたのは、まさに
天文学に隠された視座の転回=神と人の相対位置のずれ。

天文学 ≒ 世界の構造を定義する体系
蝕 ≒ その構造が破綻・発露する瞬間

ここに係る定義性において、つながります。

そして、Ave Mujicaの楽曲には『天球(そら)のMúsica』という楽曲があり、つまるところ、偶然にも『ベルセルク』の蝕と、史観としての天体という概念体はここで一致するのだ。本楽曲の”人は忘れていく”という歌詞含めものすごく意味がある。

これは「記憶=過去=構造の痕跡」が失われることへの諦念であり、それすなわち供物としてのCRYCHICを忘却しなければ新しい世界は始まらないという構造的断絶=蝕の本質を表している。

忘却とは祝福であり、同時に儀式でもある。だからこそ、春日影の演奏とともに世界は更新され、Ave Mujicaが現れる。

それは世界そのものの音楽として、すでに楽曲タイトルに刻まれていたのである。

 

つまり、この記事的に倣うのであれば、『天球(そら)のMúsica』の「人は忘れていく」という歌詞は、過去を供物にして未来を召喚する構造(春日影=ベヘリット)の真理をそのまま歌詞化したような一節となる。

Diggy-MO'が韻と構造を用いて「神」「天球」「因果律」を読み解いたように、Ave Mujicaもまた音楽という形式の中で、制度の裏面、感情の深淵、そして存在そのものを演奏している。そこにあるのは、キャラではない。演技ではない。構造としての問いであり、哲学としての音楽である。Ave Mujicaは、Diggyの後継である。

Diggyの楽曲は

  • 『PTOLEMY』=天動説的秩序

  • 『GOD SONG』=神学的対話と視点の転回

  • そして『天球のMúsica』=Musica Mundana=世界秩序の音楽

つまり彼の音楽思想自体が、ベルセルク因果律天文学的秩序と崩壊を共鳴させる地点にあるわけです。

大々的な結論を述べる。

『天球(そら)のMúsica』=Musica Mundanaであることを証明した上で、忘却と供物の構造=『春日影』=蝕に重ね、Diggyからの思想継承と概念的音楽の実装=Ave Mujicaに昇華にいたる。ということだ。

だからこそ、『春日影』=ベヘリット/CRYCHIC=供物/Ave Mujica=召喚された神々

に加えて、神になります発言は言い換えると

祥子=召喚者=神の媒介/制度そのもの
「神になる」=構造更新における中枢となる意志宣言でもあるわけです。

これは神話的構造でいえば「神になるために、旧時代を捧げる者」であり、祥子自身が「自らの理想と音楽(=CRYCHIC)を供物に、制度を召喚した」ともいえるわけです。

天球(そら)のMúsica

天球(そら)のMúsica

  • Ave Mujica
  • アニメ
  • ¥255
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より詩的にいえば、プトレマイオス的秩序(旧バンドリ)から、コペルニクス的転回(MyGO!!!!!/Mujica)への構造革命。

その天の転換の媒介こそが『春日影』=ベヘリット。 新世界を開いた存在=Ave MujicaはDiggyの音楽思想の実存モデルでもある。

そしてこれらの基盤はより広域的であり音楽が宇宙の秩序と結びついていた時代、人々は音を聴くこと以上に、音を「観想すること」に意味を見出していた。
その代表が、古代末期ローマの哲人ボエティウスである。彼は『音楽教程』の中で、musica mundana(世界の音楽)/humana(人間の音楽)/instrumentalis(器楽音楽)という三層構造を示し、可聴の音を超えて音楽を理性と宇宙の秩序のメタファーとして捉えた。

一方で、中世11世紀の修道士グイド・ダレッツォは、音楽を耳と手の届くものへと引き戻した人物である。彼が導入した四線譜や階名唱は、音楽を「伝える技術」にまで具体化し、神学的思索の対象だった音楽を、教化と再現可能性の領域へと転換した。

この二人の間には、音楽とは何かという問いに対する答えの方向性が根本的に異なっている。
ボエティウスの音楽観は観念=天上に属し、グイドの体系は制度=地上に属する。そして現代においても、音楽を「表現の霊性」とみるか、「制度化された演奏行為」とみるかという構造的な二項対立は、いまだに継承され続けている。

バンドリという制度の中で生まれ、制度によって壊され、制度に抗うように再起動する物語。そこにあったのは、キャラのドラマでも、演出の巧さでもなく、「構造そのものの劇」だった。

 

『春日影』は単なる過去の曲ではない。それは運命を呼び寄せるスイッチ。CRYCHICは、捧げられた理想。Ave Mujicaは、夜に降臨した神々だった。そして崩壊を経験し、それでも再び立ち上がる。美しさでも、正しさでも、強さでもない。迷うことに、もう迷わない、未完成であることそのものが、MyGO!!!!!の存在理由。

 

ガールズバンドアニメと音の関係─『ガルクラ』劇伴の意義

そろそろこのネタ(ガールズバンドアニメ枠)を引用して記事を書くのやめない?と思われそうなくらい最近の記事はその余波を引きずっているわけですが

sai96i.hateblo.jp

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ここにきて東映が『TVアニメ「ガールズバンドクライ」 (オリジナルサウンドトラック)』なるものを配信として流してきたこと、聴こえてなかったもの、サントラという名前の劇伴から見える面白さみたいなものが湧いてきたので、それらを列ねていきたい。

TV Anime

TV Anime "GIRLS BAND CRY" (Original Soundtrack)

  • 田中ユウスケ & トゲナシトゲアリ
  • サウンドトラック
  • ¥3565

まずは、この時代に最も適した形のサントラのあり方として率直に嬉しい。OSTなんてものは往々にして売れないから大体は円盤に付随されるおまけ程度の存在感で、よほどのビックタイトルにでもならなければ配信まではされないし、あるいはビックタイトルであったとしても配信されないケースもある。(これは前の記事で触れた『リコリコ』がまさにそう)そんな中で、ガールズバンドアニメ枠のサントラが、しかも『ガルクラ』で出てきたのはやはり単に作品力が牽引したものと言わざるをえない。なぜ、ガールズバンド枠の劇伴が希少で尚且つ、配信が嬉しいのかと言えば「単に音源化された楽曲」ではなく「劇中歌としての楽曲」という形で収録されているからだ。

空の箱 (井芹仁菜、河原木桃香(Live at 川崎駅東口駅前広場 edit))

空の箱 (井芹仁菜、河原木桃香(Live at 川崎駅東口駅前広場 edit))

  • トゲナシトゲアリ
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
声なき魚 (新川崎(仮)(Live at ラゾーナ川崎プラザ ルーファ広場 edit))

声なき魚 (新川崎(仮)(Live at ラゾーナ川崎プラザ ルーファ広場 edit))

  • トゲナシトゲアリ
  • J-Pop
  • ¥255
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視界の隅 朽ちる音 (新川崎(仮)(Live at Serbian Night edit))

視界の隅 朽ちる音 (新川崎(仮)(Live at Serbian Night edit))

  • トゲナシトゲアリ
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

前提として、『棘アリ』『棘ナシ』はどちらも良いアルバムだと思う。
特に『棘アリ』はテレビでは流れていない楽曲を中心に構成されており、本当の意味で作曲者の趣味やバックボーンが顕在化しやすい内容になっている。その意味で、タイトルに込められた意図を最も体現した楽曲群と言えるし、「アンチテーゼを掲げるバンド」としての「トゲナシトゲアリ」を理解する上でも、より本質的なアルバムだと思う。

実際、本編で使用されている楽曲の多くは『棘ナシ』に収録されている。このことからも、『棘アリ』がより内省的/実験的な性格を持つことは明らかだろう。
本編を観た上で「アンチテーゼにしてはずいぶん売れ線っぽいな」と感じた視聴者も少なくないはずだ。そういう人には、ぜひ『棘アリ』の方を聴いてほしい。

極私的極彩色アンサー

極私的極彩色アンサー

  • トゲナシトゲアリ
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
傷つき傷つけ痛くて辛い

傷つき傷つけ痛くて辛い

  • トゲナシトゲアリ
  • アニメ
  • ¥255
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つまり、商業音楽としてある程度の「聴きやすさ」や「汎用性」に寄せる必要がある一方で、バンド自身の理念としてはその媚びに対して反発している──という構図がこの二つのアルバムには透けて見える。

だからこそ、本編で使われた主要楽曲──たとえば、

『空の箱 (井芹仁菜、河原木桃香)』

『声なき魚 (新川崎(仮))』

『視界の隅 朽ちる音 (新川崎(仮))』

『空白とカタルシス

──といった、まだ“アンチテーゼとしてのスタンス”を保っていた楽曲群に加え、
それとは本編でも、意を決した自分達の今をこめたという意味でも明らかに異なる文脈で作られた、『運命の華』のような曲が、同じパッケージの中に収められている。

このようにして成り立っている『棘ナシ』というアルバムは、本来は分けて収録されるべき性質の異なる曲たちを一つにまとめてしまったがゆえに、結果的にバンドの理念と商業的な方向性のねじれそのものを象徴しているようにも思える。

 

だからこそ、これまでは『棘アリ』がバンドとしての本線であり、『棘ナシ』は表向きの完成度とは裏腹に、構造的に非常に複雑なアルバムだと感じていた。

しかし、今回配信されたサウンドトラック、いわゆる「劇中歌」としてのedit版を聴いたことで、楽曲の主張そのものは変わらないにせよ、別の意味合いが浮かび上がってきた。というのも、このアニメは物語の進行に合わせて、ライブや音出しのシーンが毎話挿入される構成になっている。その中で鳴らされる音楽は、単なる挿入歌以上に、物語の呼吸やキャラクターの情緒の延長として機能している。

だからこそ、通常のパッケージ版で楽曲を聴いたときは、それがアニソンとして優れていても、「物語に沿った音の機能性」や「キャラクターが抱える葛藤」といったレイヤーは削ぎ落とされてしまう。結果として、『ガールズバンドクライ』という作品の音楽としては、やや萎縮して聴こえてしまうのだ。

 

これまでの考察を前提とした上で、改めてサウンドトラック版(edit版)を振り返ってみる。すると見えてくるのは、「ガールズバンド」という物語構造、そして「毎話ライブを挿入する」という演出形式を採る以上、本質的な音楽体験は、楽曲単体ではなく劇中で鳴る音楽=劇中歌版にあるのではないかという事実だ。

実際、同じ曲でもサントラのedit版で聴くと、パッケージ版(楽曲アルバム)とは明らかに異なる空気をまとっている。そこには、本編の映像やキャラクターの感情が自然と重なってきて、楽曲が「記憶」と「文脈」の中で再び機能し始める感覚がある。

だからこそ、すべてを完璧に再現するのは難しいにせよ、「本編ではこう使われた」というedit版を、サウンドトラックという形で提供することには、非常に大きな意味があると言える。むしろ、ブシロードもそれに追随して、本編使用ver.の楽曲が持つ文脈の力を体感できるようなサウンドトラックを出してみてはどうかと思うわけです。

たとえば、『Ave Mujica』13話で、MyGO!!!!!パートのなかに流れた『焚打音』をアルバム版と同時に聴き比べてみると、確かに両者の違いは絶妙に小さいかもしれないが、劇中での印象と一致するのは明らかに本編ver.の方だ。Ave Mujicaの『顔』なんてなおのことそれが出ると思う。だって舌打ちがあるのだから。

そのわずかな違いこそが、物語とのリンクを作り出し、楽曲を「機能」させる。どちらのバージョンも存在していいし、そうした並立はむしろ受容の幅を広げる。誰も損はしないし、むしろ作品世界の解像度が高まるだけなのだ。

以上のを踏まえて、OSTにおけるedit版というものが今後その価値が本来バンドものということを踏まえて、今後ますます活性化していくことを願う。

 

次は、劇伴そのもの楽曲ではなく音としての機能について、もう少し踏み込んで特筆すべき2曲について考えてみたいと思う。

 

本編ではあまり意識しなかったというよりも、どこでそんな曲あったっけ?という感じだが、それはそれとして、音楽的に面白いトラックがあったのは全視聴者が感じていると思うが、中でも最も印象に残っているのは『鳩のアレ』だろう。

『鳩のアレ』

鳩のアレ

鳩のアレ

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これは主人公が打ち込みを始めて熱心になったあまりに朝まで続けてしまったというのを、リズムがだんだんと鳩の鳴き声と同調するという、いわゆるネタの側面が高い劇伴だが、これはある意味ではもの凄く前衛的な劇伴と言える。なぜかというとこれはビートに対して、それが鳩の鳴き声と重なるという自然の音との合成をしているという意味でピエール・シェフェールのミュージック・コンクレート的だと言える。当然、そんな側面で作られてはおらず、「ビートと鳥の鳴き声重ねたら面白いじゃん」程度の触感で作れたのものだと信じたいが、捉え方としてはそういう見方もできるという意味ではこの劇伴はまず面白いといえる。

 

もう一曲は個人的に劇伴として最も美しいと思っている『アンダー・ザ・オニオンズ』

アンダー・ザ・オニオンズ

アンダー・ザ・オニオンズ

ピアノをメインに構成されたこの楽曲は、展開から終盤への繰り返される落としに入る際、イヤフォンで聴くと右耳のみに定位されている(つまり、モノラル音源を片チャンネルに振っている)ことに気づく。さらに、その音色はEQによってフラットかつ優しく整えられており、刺さるというより、よりフラットような質感を持っている。

わずか1分39秒の短尺ながら、空間設計と音色処理へのこだわりが凝縮された劇伴として、静かに強い存在感を放つ一曲だ。多分プリセットもSteinwayだと思います。Steinwayは往々にして覇王のような存在ですが、改まって劇伴で強調されるとより存在感が出ると感じます。実際どうかはさておき、聴いた側としてはそのような受け止め方ができる非常に稀有な音楽です。

 

このように、そこまで劇伴が目立つわけではないと思いながらも、(当然ではあるが)しっかりと作り込まれていることがこの2曲を聴いていくと分かる。その他の楽曲でも印象深いものとしては

・『聞かせてくれ、叫んでくれ、エグってくれ』

聞かせてくれ、叫んでくれ、エグってくれ

聞かせてくれ、叫んでくれ、エグってくれ

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・『東尋坊

東尋坊

東尋坊

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・『ただいま、おかえり。』

ただいま、おかえり。

ただいま、おかえり。

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と、ただの劇伴にはおさまりにくい要素がたくさんあるので、意味合いを考えながら聴くのも一興だと思いますので、是非、「なぜこの音、展開なのか?」を踏まえた上で聴くと見えてくるものがあると思います。

 

以上が、『ガルクラ』におけるOSTから見えてくる劇伴の意義の一つです。本作のOSTの魅力がある程度伝わればなによりであります。本来は「じゃあこの楽曲の方向性はどこに依拠するのか、なぜ『心象的フラクタル』がああなのか?という軸足や、系譜としてどこの線を引っ張ってきているのか?という複数の点を

劇伴の『フェスで人気でそうなバンドの曲』

フェスで人気でそうなバンドの曲

フェスで人気でそうなバンドの曲

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から紐解いてどうこう、という文章も書こうとは思っていたのですが、劇伴の意義でうまいことまとまったので、今回はこれであがろうと思います。

ヒントを言えば『青春脱出速度』

青春脱出速度

青春脱出速度

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これが肝と考えております。ガルクラの根底にある「疾走=逃避=抗い」、「否定/否定の否定」によるアイデンティティの反転と確立という形で転換して、ガルクラの主題は「青春をやり直す」じゃなくて、「青春を否定しながらその構造に囚われている私たちの、音楽による突破」。という形でね。

そして思い出してください、『ガールズバンドクライ』の総集編前編のタイトルを

「青春狂走曲」

 

つまり、もう何回か「ガールズバンド」文脈、引きずります。はい。
冒頭で書いたのに、まだ懲りていません。でも、それだけ語る価値があるということで、なんとかご容赦を。

 

 

【寄稿文】黒くなった指の数だけ 〜日本語ラップ 90’sアナログ発掘記〜 文:藤吉なかの

2年前くらいに、熱量のある音楽文章を募集したものの、からっきしという状況なので(人望の不足と自分で書いてしまえという自己完結的性格)、となれば自分が普段書かないジャンル系を書ける人でいて、なおかつそこまで難しくはないフラットな記事がいいと思い、普段はアニメ・映像を軸に論評を書いていらっしゃる藤吉なかのさんに寄稿していただきました。面白い人で、会うたびに必ず「DISK UNION」の袋(あるいはカバン)をもって登場するという気さくな方ということもあり、noteの記事での熱量を音楽に注ぐとどうなるのか?という点も気になったので快諾していただき誠に嬉しく思います。この場を借りて感謝します。

藤吉さんご本人の一推しということで、『ゆゆ式』の記事が良いということでしたので、こちらで紹介いたします。気になる方はぜひチェックをしてみてください。

note.com

 

 

なお、寄稿文は本人の文調を優先するため、内容などの手入れはほとんど行っていないため、純度は高いと思います。当ブログでの熱量とはまた別のベクトルで音楽記事というのも一興だと思うのでぜひ読んでいただければと思います。


本編

 

 

はじめに(SUPER HEAVY REVIEW INTRO)

MCバトルのブームや多くの才能あるアーティストの台頭なども手伝って、今や日本語ラップは押しも押されぬメジャーな音楽ジャンルの一つとなった。Creepy Nutsが数えきれぬほどのメジャーヒットを飛ばして名実ともに国民的アーティストになって久しいことからも、日本語ラップが史上最も多くの人々に口ずさまれる、つまりは聴かれている時代と言って差し支えない。

 

しかしその一方で、豊かなこのジャンルを築いた黎明期から「さんピンCAMP」後の日本語ラップ黄金期(80年代〜90年代後半)に発表された音源は、近年の若年層世代からは十分に語られていないと感じることが多い。該当時期に発表された作品はサブスクが解禁されている音源も限られ、自ずと振り返られることも少ないのが現状なのではないだろうか。

 

この時期の音源は90年代を愛するヘッズにとってはメジャーなものであったとしても、市井の音楽好きにはあまり知られていないと言っていい。

 

例えば、フジロック2022の時にPUNPEEが、SP1200を用いて『ECDのロンリーガール』を演奏する感動的なシーンで、当の観客が全く沸いていない様子を踏まえると、悲しいかな……それが現実であると分かる。

 

CD化されていないアナログレコードオンリーの音源の数々は尚更だ。今や歴史の闇に埋もれつつあるアナログオンリーの90’s 日本語ラップは着々と「レアグルーヴ化」していると思う今日この頃である。

 

この記事はそんな日本語ラップのアナログオンリー秘蔵っ子音源をただただ列挙していくだけの無芸な文字の羅列だ。この記事はクラシックな日本語ラップの再評価を志す文章としても、まだ見ぬ新たな観点で日本語ラップを掘り下げる文章としても、ましてや豊かな知識を持つヘッズがやっと書くことを許されるような「日本語ラップ・ディスクガイド」としても読まれることを望まない。この文章は約2年半前、RHYMESTAR『リスペクト』・スチャダラパー『5th wheel 2 the coach』を入り口にして日本語ラップの深みにどっぷりハマった人間が記す個人的なオススメに過ぎない。

 

日本語ラップというジャンルを考える上で不可欠な歴史的意義を持つ楽曲もあれば、好き者たちが語り継いできたdopeなレコードまで、まとまりのないこの文章はどこまで行っても雑文に過ぎない。筆者である自分の極めて浅い知識を総動員して書かれるこの文章に、一体どこまでの価値があるかは不明だ。

 

しかしひとつの事実として、こうして90’s日本語ラップのアナログ音源について語られたweb記事は(その文化的意義と反比例するように)未だ少なすぎるのである。これは主観と客観が混ざり合う不確かで稚拙な文章ではあるが、自分のような90‘s日本語ラップを愛する若いヘッズの情熱が伝わる「何か」となれば幸いだ。

 

また本記事に挿入されている画像の一部は、自分などが並ぶベくもない生粋のディガー・takuchiさんが運営されているブログより引用させて頂いた。

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この場を借りて、日頃より懇意にして頂いていること・画像提供を快諾頂いたこと心からの感謝を!

 

The Hardcore Boys『俺ら東京さ行ぐだ(ほうら いわんこっちゃねえ MIX)』(1985)

皆さんも同僚や友人などに「昔の日本語ラップが好きなんですよ」なんて話をして、「日本語ラップってアレでしょ!?吉幾三から始まってんでしょ(笑)」としたり顔で切り返された経験が100万回あることだろう。しかしそんな至極つまらない連中が鬼の首でも取ったかのように掲げがちな吉幾三俺ら東京さ行ぐだ』起源論だが、実は決して真っ赤な嘘というわけではない。俗に言う「ラップ歌謡」を代表する名曲という観点からも無視することが出来ないが、それ以上にストレートな形で日本におけるHIPHOPミュージックの原点に深く関係しているからだ。

 

日本語ラップ史の大きな転換点であり、宇多丸(RHYMESTAR)をして「日本のヒップホップ史はじまりのうた」と言わしめたクラシック『業界こんなもんだラップ』と殆ど同時期である1985年の暮れのこと……『俺ら東京さ行ぐだ』をネタにして、この歴史的なレコードが誕生した。

 

日本テクノミュージックシーンの先駆者であるDJ K.U.D.O.、DJ OYANAGI、そして日本最初のダブバンド「MUTE BEAT」のメンバーである屋敷豪太とDub Master Xの4人から成るThe Hardcore Boysと、言わずと知れた先駆者・いとうせいこうの共演作にして、日本語ラップ史上でも有数のメガレア盤である『俺ら東京さ行ぐだ(ほうら いわんこっちゃねえ MIX)』。惜しくも発禁処分にされてしまったこの一枚の音盤から、歴史は大きく変わったのである。

 

この楽曲は既存曲をエディットする試みの先駆的作品としても捉える事が出来るし、或いはいとうせいこうによる「日本語ラップ」・「日本のヒューマンビートボックス」の先駆けとしても高く評価する事が出来る。リリックからいとうせいこうHIPHOPに賭ける情熱を感じることが出来る『業界こんなもんだラップ』も問答無用のクラシックだが、こちらもまた言わずもがなの記念碑的作品だ。

 

ここまでは楽曲が持つ歴史的意義にばかり光を当ててきたが、純粋に単一の楽曲としても完成度は高い。先述した吉幾三俺ら東京さ行ぐだ』をエディットして鳴りが強烈なbangerビートに魔改造、痛烈な社会風刺までも盛り込んだ先進的な仕上がりは一度でも聴けばやみつきになること請け合いだ。「テレビもゲイ ラジオもゲイ(中略)おまわりヤクザとぐーるぐる/エイズもそれほど流行ってねえべ/角さんと中曽根と数珠を握って空拝む」……こうして一部を引用するだけでもその攻撃性が察せられることだろう。

 

こんなのはありふれたリリックで社会問題を笑いの種にする「演芸/話芸」の延長に過ぎないと切り捨てる人もいるかもしれないが、そういった話芸と今日の日本語ラップが近似したルーツを持つという事実そのものが重要ではないか。実際いとうは後年に日本語ラップの根源を辿る営みの中で「演説」の研究に行き着き、その(ひとまずの)研究成果として凄腕トラックメイカー・BAKUと『DHARMA』という名曲を残している。

 

エッヂの効いた選曲に定評があったラジオ番組『サウンドストリート』1985年11月12日放送回にてこの楽曲の基となるエディットが流された際、スタジオの坂本龍一もこの楽曲を聴いて「最高ですね」と声を漏らしたというのだから、その圧倒的なクオリティは折り紙付きだ。500枚限定のトップレア・レコードであるため入手は相当に困難だと考えられるが、聴く機会があればぜひ丹念に向き合って頂きたい。そしてこれを読んでいるヘッズの中にこのレコードを持っている強者がいたら、ぜひ言い値で買わせて頂きたいと願うばかりだ……



四街道ネイチャー『HIGH-NEKKEN』(1996)

四街道ネイチャー『HIGH-NEKKEN』

続いては、スチャダラパーを中心としたクルー「リトルバード・ネイション(LB Nation)」の一員にして、1998年発表の大名盤『V.I.C.tomorrow』 でシーンに衝撃を与えた実力派グループ・四街道ネイチャーのアナログオンリー音源をご紹介。

 

セルフタイトルのEP1枚と先述したアルバム1枚のみを残したこのグループは、最高級のトラックに最低のリリックを乗せ、独自のリアルさを表現するスタイルが持ち味と言える。なんといっても四街道のプロデューサーであるKZAとDJ KENTは後に「Force of Nature」名義でnujabesらと共にTVアニメ『サムライチャンプルー』に参加する腕利きの仕事人だ。彼らの生み出すトラックはゆったりとしたチル系からバッキバキのエレクトロニカ まで全てが極上で、ただの一曲も外れはなし!

 

しかしそんなトラックに乗せて歌われるトピックはどれも「サンダル履く時くらいは靴下を履け」「おなかを大切に」「冬は手がかじかむから家事を溜め込んじゃう」といった等身大すぎるものばかりだ。LB Nationの先輩にして「社会派なんてクソ食らえ」というパンチラインを残したキミドリですら怯む程の自然体っぷりと個性に、我々リスナーはもう諸手を挙げて降参するしかないだろう。ある意味では今回紹介したアーティストの中でも、最もHIPHOP外のリスナーに響きうるサウンドを持っているアーティストだと言えるかもしれない。

 

そんな彼らが1st EPとアルバムの間に残したシングルが、今回紹介する『HIGH-NEKKEN』だ。1992年から音源を残すベテラン・MC JOEを客演に迎えたA面の同名楽曲は、ファットなビート上で一度聴いたら忘れられない印象的なリフが多幸感を振りまくモラトリアム酒飲み賛歌!(余談だが筆者が成人後に初めて飲んだお酒は、この楽曲の影響でハイネケンである。)聴けば聴くほどに各MCの持ち味が爆発していて、なんとも素晴らしくLBらしいマイクリレーだと言えるのではないだろうか。

 

楽曲のオープナーを務めたマイクアキラは度肝を抜く変態フロウで簡潔にテーマを説明しつつ、客演のMC JOEや相方KZAとのテンポ最高な掛け合いまで難なくこなしていて、おどけたようでも確かな実力派であることを否応なく分からせてくるのが渋い!バトンを受け取ったMC JOEはレコード片付けをする何気ない幸せな一日をフリーキーかつコミカルにラップ。KZAは労働に押しつぶされる日々のなんとも言えない閉塞感を、得意技である2文字ライミングを駆使した巧みな情景描写で表現していたりと、リリック面にも見所は多い。

 

特に「良いもの探そう一生~♪(中略)グッと飲み干すハイネケン」というHOOKのフレーズは、レコードマニアに留まらず、あらゆるオタクの心に刻まれうるパンチラインと言えるだろう。今回の記事で紹介するアナログの中でならばダントツで入手難易度が低い盤なので、ハイネケン片手にぜひ手に入れてみて欲しい。




Yitto『虚無僧DEMO』(1996)

Yitto『虚無僧DEMO』


これまで紹介してきた作品の中でも、頭ひとつ抜けた激カルト盤を紹介!インターネットにも殆ど情報が無い謎のMC・トラックメイカーYitto(プロデュース名は「Yitto the 外道」)のプロモオンリー・1996年作。レコードの中心ラベルに手書きで電話番号が書いてあり(!?)そこから察するにどうやら東京の人であるようだが……彼についての詳細は歴史の闇に葬られたか、全く素性が不明であるというのが現状だ。

 

どうやら1995年からTOKYO-FMでオンエアされていた伝説的番組『ヒップホップナイトフライト』内のデモテープ紹介コーナーで流れたことがあるらしい……という情報を耳にしたことはあるが、それだけ。90’s日本語ラップの素性不明なアンダーグラウンド・クラシックといえば、今や都市伝説的にじわじわと支持を集めるニッポニア・ニッポン『怠け者』を真っ先に連想する人も多いだろうが、このYittoは正真正銘の謎である。

 

本盤は全8曲収録で、うち7曲はボーカル無しのインスト。ラップ入りなのはB面ラストのみだが、それでも全く飽きが来ないアブストラクトな音世界はまさに地下に眠る秘宝といった趣がある!全体的に煙ためでダウナーな音像であるものの、B面1曲目『真実 too real to live』なんかは一転して大胆にピアノリフをチョップ&フリップ、軽快かつ広がりあるループに仕上げるなど手数の多さが伺えるのも筆者好みだ。後のTemple ATS降神)的とも感じられる陶酔感が充満した空気の中を、稀にUSアンダーグラウンド・Company flow影響下のイかれたリズム&クラッとくる上モノが通るような……とでも例えれば想像が付きやすいだろうか。

 

そして待ちに待ったラップ入り楽曲『己の世界 My World Is Born』に差し掛かると、本盤の盛り上がりは頂点に達する。呟きと呻きの中間のような独特の発声 ・聞き取り不能なリリック・喋るようでしっかりリズムを掴んでいるフロウ……これらの要素だけでもアングラすぎて最高だが、この曲の最も素晴らしい点はトラック構成にあるのだ。この楽曲は最初、シンプルなドラム&ベース&ハンドクラップのみをバックにラップが始まるのだが、小節が進む毎に金管、木琴、木管、呻き声などの上ネタがじわじわと増えていくのである!

 

この構成は決して斬新とは言えないかもしれないが、少なくともここまで作品に耳を傾けてきたリスナーの予想を裏切る一撃であることは間違いない。何故ならこの『虚無僧DEMO』という作品を通して、Yitto the 外道は完成したワンループを重視する-つまり曲中のフレキシブルな展開に乏しいとも言える-スタイルをリスナーに印象づけてきた。

 

そんな中で大事なオーラスに、HIPHOP版『ボレロ』とでも呼びたくなるダイナミズムに溢れた『己の世界 My World Is Born』をぶつけてくるのだ!これまで7曲かけて丁寧に刷り込んだ自己のイメージは、全て締めくくりへ向けての壮大な布石。シンプルながら練り上げられたリズムパターン上で次第に上ネタが増えていき、圧倒的な地下のグルーヴへと結実していく本楽曲は、まさに題名通り「世界の誕生」を思わせる決定的なクオリティだ。

 

90’s日本語ラップの深淵とも言える本楽曲を聴くためだけにでも、ぜひ『虚無僧DEMO』をレコ屋の棚から掘り当ててみて欲しい。きっと、そう悪くない音楽体験が貴方を待っているはずだ。

RHYMESTAR『B-BOYイズム パチアツRemix』(1998)

RHYMESTAR『B-BOYイズム パチアツRemix』


日本語ラップの歴史を語る上で絶対に外すことが出来ないクラシックの、知る人ぞ知るRemix盤。レコードマニアからしたら「寧ろこれは人気盤だろ」ともツッコまれそうだが、今回はその筋のマニア向け記事ではないので「知る人ぞ知る」とさせて欲しいところである。まずは一旦Remixされる前の原曲の素晴らしさから語っていくことで、本楽曲の素晴らしさに迫っていこう。

 

『B-BOYイズム』はRHYMESTARが1998年にリリースした大クラシックアルバム『リスペクト』からの先行楽曲であり、日本でHIPHOPに関わる人間「B-BOY」とはどうあるべきかを示した金字塔的な楽曲だ。そもそも大前提として「HIPHOP」という言葉は音楽ジャンルではなく、ラップ・DJ・ダンス・グラフィティの4要素から成る文化を指す言葉である。

 

つまり音楽的にどうこう……という基準も重要ではあるものの、それ以前にまずHIPHOPという文化のマナーに則って各々がプレイヤーとして意識的な言動を取っているか?それぞれがHIPHOPをどう読み替えてオリジナリティーを獲得していくか?も同じくらい重要なトピックなのだ(と自分は思っている)。先駆者として日本人がHIPHOPをすることを様々な角度から分析・実践してきたいとうせいこうに影響を受けてB-BOYとなった宇多丸からすれば、どこかでこの問題に対して自分なりの返答をしなくてはならないと考えていたことだろう。雑誌『FRONT』での連載 などを経て、彼およびRHYMESTARが出した答えが「決して譲れないぜ この美学/ナニモノにも媚びず 己を磨く」だったのだ。 

 

話題を本筋へ戻そう。このように『B-BOYイズム』は名実ともに日本のHIPHOPアンセムと称するに相応しいわけだが、そのアンセムにこれまた偉大なHIPHOPアンセムを思いっきりぶつけ合わせることで生まれたのがこの『パチアツRemix』だ。

 

原曲『B-BOYイズム』では、映画『フラッシュダンス』で使用されたことなどからブレイクダンスカルチャーの火付け役となった有名ネタ・Jimmy Caster Bunch『It’s Just Begun』をサンプリングしているのに対して、『パチアツRemix』ではIncredible Bongo Band の『Apache』という楽曲がサンプリングされている。

 

この『Apache』はHIPHOP文化を形成した偉大な3人(Afrika Bambaataa, Kool Herc, Grandmaster Flash)に寵愛され「HIPHOPの国歌(アンセム)」とまで称された楽曲。まさに二つの意味で“擦られまくった”ブレイクビーツのクラシックと言えるだろう。

 

そんな『Apache』の上でRHYMESTARが『B-BOYイズム』をラップするというRemixの妙といったら感動モノである。言わずと知れたHIPHOPアンセムの煙たいドラムブレイクから、極東で新たなアンセムが孵化する瞬間の決定的な美しさ。HIPHOPの歴史を知っていたならば感涙必至の名Remixと言えるだろう!これも『俺ら東京さ行ぐだ(ほうら いわんこっちゃねえ MIX)』程では無いものの激レア盤なので、どなたか僕に言い値で譲って欲しい。




牙『隠れ家/叫び』(1998)

牙『隠れ家/叫び』


1990年代後半、それは伝説的ライブイベント「さんピンCAMP」のビデオが全国へ出回ったこと等が影響して、地方から多くのクルーが台頭し始めた時期である。名古屋のILLMARIACHI、北海道のTHA BLUE HERB、横浜のOZROSAURUS、水戸のLUNCH TIME SPEAX、熊本の餓鬼レンジャー、博多のTOJIN BATTLE ROYALなどなど……個性と確かな実力が滲む珠玉の音源が大量にリリースされてシーンを賑わし、集大成としての各地方代表が集まった傑作コンピレーションアルバム『RAP WARZ DONPACHI』へと繋がっていくうねりの時代。

 

そんな群雄割拠の状況下、当たり前ながら先述したようなクルー達のように今日まで知名度を保っていられる者ばかりではない。そんな知る人ぞ知る地方アーティスト音源の中でも特にオススメしたいのが、静岡の沼津出身と推測されるクルー「牙」による唯一作『隠れ家/叫び』である。とにかく荒削りでキャラ立ちした90’sらしい日本語ラップが楽しめる快作で、ごく一部のマニア間ではカルト的な人気を誇っている。

 

牙のMC陣の名はなんと、亢龍・白虎・青龍・朱雀 。四神獣をモデルにしたこのいなたいネーミングからして、既に男の子ゴコロがくすぐられるが……そんなアク強めのMC達が確かなクオリティのビート上で「マッハ超えて飛べ俺の唾」(by G.K.MARYAN)とばかりに、前のめりなラップを披露!A面「隠れ家feat. Shima」は古畑任三郎のOPばりの上ネタが印象深いハードナンバーで、「朱雀暴く裁き下す闇の使者」とハネ感に溢れるフロウをかます朱雀が素晴らしい楽曲。

 

そしてB面収録の「叫びfeat. Sally・Shima」は問答無用でクラシック認定したい大傑作だ。スタンダードなブーンバップのリズムと背筋が震えるような上ネタのピアノがガサガサとした本質的なLo-Fiさを残したまま合体した存在感あるトラックだけでも最高だというのに、何よりそのサウンドに対してMC陣が一歩も引かず、対等以上に渡り合っているのがもう鳥肌モンの完成度!90年代日本語ラップの醍醐味がこの楽曲には詰まっている。

 

空へ昇るようなフロウで魅せる白虎・地面を踏みしめるようなフロウで首を振らせる青龍のラップを聴くと「お前らMCネームとラップスタイルが逆すぎるだろ」と思わないこともないが、相変わらず口から火を吐かんばかりに熱くラップする朱雀のバイブスにはやはり一聴の価値がある。そして他の誰よりも注目すべきMCは、当時としては珍しいフィメールラッパーのSallyだろう。とにかく形容しがたい特異なフロウでビートの間を泳ぎ切る卓越したラップスキルは一度聞けば忘れる事など不可能で、何ともクセになる。小節の中で一度たりとも同じ音程に留まってたまるか!とでも考えているかのよう、とにかく動き回るマグロの如きフロウコントロールは後にも先にもSallyによってしか実現されなかった離れ業なのではないだろうか。

 

これぞアンダーグラウンド日本語ラップと太鼓判を押したくなるMC陣の荒削りなラップスキルとゴツゴツと前面に襲い来るトラック、本作で彼らが見せつけた圧巻のB級スタイルは再評価されたら瞬く間に価格が高騰しそうな予感に溢れている。そうなる前にこのレア盤を、なんとしても手に入れたいものだ……




ガリガリ亡者『花/リベンジ』(1998)

ガリガリ亡者『花/リベンジ』


黎明期の日本語ラップシーンが東京中心の構造だったことは先述したとおりだが、そんな不遇の時代において最も東京に肉薄していた地方都市と言えば名古屋であろう。

 

日本語ラップ随一の天才MC・TWIGYと任侠魂溢れるサンプリングでお馴染みの最狂音術師・(DJ)刃頭によるBEATKICKSは80年代後半から世界的に見ても最先端であろうパフォーマンスでクラブをロックしていたというし、なんと言ってもあのStevie Wonderが行った日本ツアーに若干20歳にしてゲスト参加していた(!?)という功績には無視できない重さがある。そんな一癖あるB-BOYが生まれる名古屋という地に、秘蔵の音源が眠っていないわけがない。ここで紹介するのはそんな名古屋の「一癖」なアクが詰まった音源、ガリガリ亡者の『花/リベンジ』だ。

 

A面には『花(カリオストロ城ミックス)』とそのインスト『カリストゥルメンタル』を収録。そのMix名の通り、『ルパン三世 カリオストロの城』サントラを元ネタ使用した豪快な調理にマニア心をくすぐられる一曲で、そのクオリティは折り紙付き。思わず抜き足差し足……と歩きたくなってしまう不穏なイントロから、突如入ってきた笛の音に合わせるようにしてどこか牧歌的なメインループへ展開していき、アウトロでまた不穏なイントロ部へ着地する……というトータルの構成力は見事の一語に尽きる。間奏でちゃっかり同作ヒロイン・クラリスの声ネタを組み込んじゃう遊び心も何ともB級で良い!

 

そしてB面には『リベンジ(J.A.C. Mix)』とそのインスト『(ジャパンアクトゥルメンタル)』を収録。千葉真一氏が創設した「ジャパン・アクション・クラブ」の名を冠したMixということはその人脈が出演した映画サントラからのサンプリングだったりするのか?とは思いつつも、こちらは元ネタが発見できず……先輩ヘッズの皆さん、ぜひコメント欄とかでサンプルネタを教えて欲しい。

 

しかし何と言っても本楽曲のトラックメイカーは先述した御大・DJ 刃頭!イントロこそゆったりと癒やされる上モノから始まるものの、邦画ネタと思われる声ネタ「一人前の漢になれぃ!」に呼応するような形で、一気に楽曲の空気はハードな漢の空気感へ。「リベンジ」という単語を軸に数々の声ネタを矢継ぎ早にねじ込むハードアタックっぷりは必聴ものだ。

 

タイトルやテーマを軸に声ネタを積み重ねていく本楽曲の刃頭ワークは、もう完全にILLMARIACHI 節としか言いようがない仕事ぶり!キャラ立ちした両ビートに乗っかるMCのロカ、そしてドラエマンの力量には疑問符が付くというのが個人的な印象であるものの、やはり一家に一枚……いや、B-BOYなんだから二枚は置いておきたいB級クラシック。




010(霊獣)『言論の自由/蝶』(1999)

010(霊獣)『言論の自由/蝶』(1999)


今度は一転、東京に眠るアナログ秘宝をご紹介!1990年代後半の東京アンダーグラウンドシーンで存在感を示したグループのデビュー12インチシングルだ。

 

MCのUN-KEIとYUYA、DJ/トラックメイカーのSENBE・DJ KENZOによって構成されるグループである010はその名からも分かるとおり、とにかくdopeな地下サウンドが持ち味。DJ KENZOは煙たさの中にNaked Artz(DJ TONK)を思わせるメロウなサンプリングを行って世界観を作り上げるタイプなのに対して、相方のSENBEが他の追随を許さないブリッブリでillな方面へ傾倒しているのが端から聴いている我々からしても丸わかりで面白い。2ndシングル『ケモノ道/ 2 type』でもこの傾向は変わっていないのだが、特にそうした手癖がバキバキに感じられるのがこの『言論の自由/蝶』だ。

 

A面がSENBE side、B面がDJ KENZO sideという具合にトラックメイカーが異なる2曲を収録した本作だが、やはり一番ソソられるのは狂ったSENBEビートの魅力が存分に堪能できるA面だろう。「言論の自由掲げる霊獣/言葉の手裏剣が命中」という弩級パンチラインが耳を突き刺すHOOKのキャッチーさもさることながら、やはりビートの攻撃性が段違いである。

 

モコモコッと膨らんだ規格外の低音が不規則なリズムを刻み、その上でさらに破壊的な鳴りのドラムが高音部に真っ黒の花を添えるビートは信じがたいほどのクールさで、個人的に日本語ラップのビート史でもベスト10に数えたい。

 

4分の楽曲のうちイントロが1分半弱を占めるという攻撃的な構成も納得の圧倒的クオリティ、このビートを作り上げた際にSENBE氏が浮かべた自慢げな顔がありありと浮かぶようだ。また、この悪魔がかったillビートを活かすMixも本当に素晴らしく、レコードの針を落とそうものなら、たちまち建物全体が揺れるような圧倒的な低音に窓ガラスを粉々にされること請け合いである。

 

こういったillビートを聴くとまず想起されるのはアンダーグラウンドの帝王・K-BOMB率いるTHINK TANKだが、正直このシングルのみならば010はサウンド面で全く引けを取っていないと言い切れる。寧ろ010『言論の自由』発表の前年にそのTHINK TANK人脈からリリースされたSTILL NAP『火に油/開かずの扉』 を聴いてみると、(掛け値無しにカッコいい曲ではあるものの)モコモコッとした低音の鳴りには若干物足りなさを感じてしまうというのが本音だ。モコモコッとした音を鳴らそうという方針自体は素晴らしいのだが、もう少しその「音塊」に迫力があって欲しいなと思ってしまうのである。そりゃ1998年なのだからこうした理想の音をスタジオ録音された作品に昇華するのが難しいという事実は想像に難くないのだが、なら010のこの驚異的なクオリティは何なんだ!?と思ってしまうわけである。トラックのillすぎるクオリティに加えて、アナログ特有と思われる低音部分の頭抜けた存在感は圧倒的だ。決して入手が簡単ではない作品だが、その苦労をチャラにするかのようなどす黒いビートが貴方を待っていることだろう。




おわりに(NOSTARGY 220919)



音楽について言葉で語るという行為は、根本から破綻している。楽曲が持つ有り余る魅力を言葉にしようと聞き込めば聞き込むほど、その魅力は到底言葉などでは表現しきれないからこそ-言葉に落とし込むことが出来ないからこそ-魅力的なのだと気づかされるからだ。

 

しかしそんな無理は承知である。そんな無理を承知で、なお語り継いでいかねばならないのだ。偉大な先人達が巨木に刻み込む年輪のように創造・蓄積してきたレコードの溝に秘められた秘蔵の音楽を、今一度振り返るべき時が来ている。その一助にこの文章がなれたかは分からない。しかし分からないならば分からないなりに、スチャダラパーよろしく「世間に風穴を/あくかな?でもやるんだよ」の精神で文章を書き続けるだけだ。

 

最後になってしまったが、この記事を読んで一人でも多くの同世代がアナログの呪いに取り憑かれてくれたら、この上ない喜びである。毎日毎日指を黒くしてレコ箱を密漁しにかかる、どうしようもなく最高な人生に幸あれ!

 

劇伴・声・音──若山詩音・羊宮妃那という座標

2020年代における劇伴の存在感としてドラマでは『岸辺露伴は動かない』において菊地成孔御大が最高級を尽くしたことが絶対的であることはおそらく満場一致のはずだ。この件に関しては進行形でありならも部分的には以下の二つの記事に列挙しているので気になる方は参照されたし。

sai96i.hateblo.jp

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あと変則で「石野卓球中田ヤスタカ」記事もあったりします。

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では、アニメでは何がそれに該当するかといえば、恐らく『リコリス・リコイル』の睦月周平が書いた楽曲群であることは、これもまた想像に固くない。

そして、国際的な側面においても、『プロジェクトKV』のティザーに若山詩音の声(クレジットないけど確定です)と、まるで『リコリコ』を想起させるキャラデザ、そして音楽が(流石に睦月周平テイストすぎた)あったことからも、海外からみた直近の日本アニメの最大の作品というのもおそらくこの作品ということになるのだろう。残念ながら配信がないのだが、作品と音楽があれほど一致した作品もそうそうない。ヒットの有無ではなく、「音楽を聴けば作品が立ち上がる」こと。アニメファンでなくともOSTを聴く人は多く、あれを聴いていれば、もうすでにその音は記憶されているはずだ。そして『リコリコ』は音響設計においても緻密に構築された作品であり、その劇伴は2020年代のベストと言っていい。というところから、この記事の基本ベースを始める。

(ここを延長させた劇伴論もいつかは書きたいが)

地続きとして『ガルクラ』で書けたので貼っておきます。

 

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では、ここから少し変わった切り口ではあるが、声優の話を展開する。あまりにも直球すぎると思うが、推しがどうこうという話よりももう少し踏み込んだ話を、直感と感性と、実際の類例を踏まえた上で、ではどうか?という話である。タイトルに挙げた二人の声優についてはそういう文脈を兼ねている。

 

・若山詩音編

まず、若山詩音だが、最近では一躍時の人として話題作に出演を決めている現行において波に乗っている声優であることは間違いない。では、そこに至る過程はなんだったのか?というあたりから整理していきたい。

発露は『空の青さを知る人よ』(2020年)であることは疑いようもないが、アニメ層にその存在感を届いたのは『SSSS.DYNAZENON』における南夢芽の演技である。元々前作の『SSSS.GRIDMAN』が2010年代後期のアニメの中でもヒットした部類ということもあり、その一種の後発(元々は両方とも『電光超人グリッドマン』がベースとはいえ)としての作品ということもあり、注目度は高く実際に評価された。ここで一つ思考の補助として入れておきたいのは、坂本勝のキャラクターデザインが、ヒット要因の一つになっている点だ。それだけでは当然あのようなヒットにはならないが、しかし現実として、『SSSS』シリーズにおけるヒット要因においてキャラクターデザインの妙があったことは、以後のキャラクター商法における展開をみてもまず違いない。

そしてこの話は前作がヒーロー響優太の話であったことに対して、人間関係をベースに構築していくタイプということもあり、キャラが全員どこか鬱屈している。そのような作品でもあったため、人間同士の会話、しかも南夢芽は姉の絡みといい、決して明るい話は回ってこない。こうした作品において、キャラデザの魅力もあった上でしっかりとそれに対応する演技とキャラクターに息を入れることができたという点は非常に大きい。そして、その次に来るのが先にも紹介した『リコリコ』における「たきな役」。本作はオリジナルアニメでありながら相当なヒット作として評価を受けたこともあり、その中で主演級を担当したことが、手前二作に対応する形で代表作としてアニメ視聴者には記憶されて、以後の『ダンダダン』『負けヒロインが多すぎる!』といった作品に繋がり現在があるといっていいだろう。

 

そしてここに至るまで『SSSS.DYNAZENON』『リコリコ』『マケイン』の3本において、浮かぶ要素がある。それは「安済知佳」の存在と、キャラクターデザインの通底さである。

『SSSS.DYNAZENON』では飛鳥川ちせを、『リコリコ』はメインキャラの錦木千束、『負けヒロインが多すぎる!』では志喜屋夢子を担当している。

さて、三作立て続けで人物としてのはり方に違いはあれど、若山詩音とここまで共演するのは果たして偶然といえるのか?といえば個人的にはむしろ設計された音響監督の意図を見出し方が正解ととる。

安済の演技には「逸脱」や「異形」の気配が常に宿っている。まともな人間を演じるよりも、壊れていたり、どこか人間でないキャラクターにおいてこそ、その声の特質が最大限に引き出されるのだ。

クズの本懐』の花火のような繊細かつ屈折した心理描写、『地縛少年花子くん』の七峰桜、そして『リコリコ』の千束に潜む重さと明るさの共存、これらすべてが「声による逸脱」を物語る。対比的に、若山詩音は詩性と感性によって微細な陰影をキャラクターに宿し、安済知佳の異質さと共演することで、作品全体の音響構造に多層性を与える結果となっている。「逸脱型」の力がある声優で、むしろナチュラルなリアル演技よりも、声だけで奇異を成立させられる類の声優。音響監督がその特質を理解した上で、「どこかおかしな女の子」「現実との距離感がズレた人物」に起用する傾向が増えているのも納得だ。

この「詩性/逸脱」のツインエンジンが2020年代の音響設計にどれほどの影響を与えたか、その起点としてこの三作は再検証に値する。

無論オーディションで勝ち上がっての起用など色々あるのでしょうが知らない世界のことは語れないので、語れる範疇という意味でもやはりこのツーペアは安定の組み合わせとして認識されていると読む。少なくともそういう意識がどこかにないと立て続けの連続起用はそうそうないだろう。というのも、若山詩音の場合は、今まさに波に乗っている声優だが、安済知佳は2015年の『響け!ユーフォニアム』で脚光を浴びた中堅にあたる存在だ。そういった役者が、直近の話題作において若山詩音と並んで起用される機会がここまで続くことに、自分としては偶然だけでは済まない音響的な相性を見出したくなる。

そこに加えて『リコリコ』『マケイン』はキャラデザが同一のいみぎむる氏であることも含め、恐らく奇跡的にこの三者というものは噛み合ったのではないか?と思うのだ。つまりキャラデザの側面が強いアニメでもあった『SSSS.』シリーズにおける坂本勝の潮流がいみぎむるにより移り、声優二人がそのまま延長としても機能してしまったという側面が機能している。実際問題、この二人が今後も何かで共演したところで、視聴者はむしろ信頼しか出てこないと思う。それがある意味で音響的な証明にもなりうるのだ。そういった作品におけるキャラクターの声あえまで信念深く考えるのが音響監督の仕事でもあるはずだから。

そして個人的には、『マケイン』において、若山詩音で『CRAZY FOR YOU』という10年以上前の楽曲を歌わせたことも相当含意がある。

CRAZY FOR YOU

CRAZY FOR YOU

  • 焼塩檸檬(CV: 若山詩音)
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

というのも、原曲の『Crazy for you』は当時kz(livetune)をして以下のような発言が出たほどryo(supercell)テイスト軸なのだ。

つまり、かつて活性出会った時のsupercellのフォロワー楽曲が時を経て現代の最前線の声優が歌ことで生まれる存在感、というよりも再定義されるとでも形容すべきか。この事実は以下の3点に集約できる。

  • 音楽的文脈(ryoイズム)

  • 歴史的文脈(2010年代J-Pop感性)

  • 演者の音響的特性(若山詩音の存在的声)

演技以外にも、音楽的にどうか?という点において意識したかどうかはともかくとして若山詩音の存在感を極めて強調させたカバーであったことには違いない。

 

2025.7.6追記

『モエチャッカファイア』のカバーによって現状、ダウナーと呼ばれる暗い気分、だるさを表に形容した歌い方というのも一流であることがわかりました。

先述の『Crazy for you』との真逆をここまで成立させる演者。

やはり只者でありません。というか2020年代の軸として若山詩音を入れないことが嘘になります。

www.youtube.com

 

・羊宮 妃那編

BanGDreamの『Mygo!!!!!』で今や新規気鋭から脱し次期を代表する役者間違いなしの羊宮 妃那だが、この声が持つ魅力はいくつかあり、それらについて過去の記事で何回か言及したが改めて整理する。

sai96i.hateblo.jp

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要は、声の質感としてとても上田麗奈の属性に近いということだ。これは別にジェネリックとかそういった意味合いではなく、あくまでも近い声という意味では上田麗奈に似ているという点であることは留意したい。そしてここにかかる「上田麗奈的」な属性というのは何かといえばこれも散々語られていることだが「このキャラ、風貌、空気感はこいつ!!」というのはアニメをある程度見ている人であれば誰しもが一人くらい思いつけると思うが、ようはあれに近いもので、ここにかかる要素として上田麗奈のベストアクトキャラは『ハーモニー』のミァハ、『SSSS.GRIDMAN』(!)の新条アカネ、そして『閃光のハサウェイ』のギギ・アンダルシア、そしてこれからでいえば『チェンソーマン レゼ篇』であり『タコピーの原罪』でありと、キャリアワークスを知っている人からすればむしろ他に誰が演じるのか?というくらい、やはり音響的な設計が究極を極めている、独走状態を走っている。ということだ。

そう考えた時に羊宮 妃那が直近で演じた『小市民』の小佐内ゆきは、間違いなく10年前だったら上田麗奈が担当していたタイプのような属性を持つキャラであり、(それくらい上田麗奈の声が持ち味として非常に鋭角出会ったことの証左でもあるのだが)それを上田麗奈ほど視聴者を突き刺すような冷徹さだけはなく、それこそ『Mygo!!!!!』の燈における不思議っこを演じられるタイプの声質をも兼ね備えている羊宮 妃那だからこそ、というところに、この役者の素晴らしさが内蔵されている。そして、これは=ではない。しかし≒であることには違いないということは誰もが気づいているし、それは案外証明されていたりする。それは『トラペジウム』で上田麗奈と羊宮 妃那が共演していることからも、汲めるところがあると言えるだろう。

この両者の表現者としての特質的な点は歌における表現にこそ本質的な「凄さ」と「技術」が否応なく余すことなく出てしまうところ。

上田麗奈も羊宮 妃那も元々は自己表現として「歌が苦手」という点で共通点がある。

natalie.mu

もともと私は歌うことがすごく苦手というか……嫌いと言ってもいいくらいなんですよ、実は。

──ええー。

なので「アーティストとして活動しませんか?」と言っていただいてから、1年ほどお返事を待っていただいたんです。

「MyGO!!!!!」高松燈役 羊宮妃那インタビュー:歌が苦手だった、でも逃げずに向き合い続けた━━約3年間の軌跡

羊宮氏:
歌って、馴染みあるものじゃないですか。
みんなとカラオケに行く中でも、身近に「歌える人」はいっぱいいました。

そのうえで、歌が好きだったり、歌が上手い人たちもいっぱい周りにいたんです。だから、より「自分の声は歌が上手い人のものじゃないな」「自分の歌い方は音痴だな」と思うことが、何度も何度もありました。「自分は上手くなれないな」と、めちゃくちゃ思っていました。

なので、歌を頑張ろうと練習に向き合い、少し自信がついたとしても、何かできないことにぶつかると、”やっぱり私は下手なんだ”という鎖のようなもので、スタート地点に戻されるような…お芝居の練習のときの気持ちとはまた違った気持ちがたくさん、たくさんありました。

 

それでいて、いざ音源を聴くとお分かりの通り、もちろん巧いですが、それ以上に歌を使った表現にまで昇華されているといえる。異常な表現(演技)というものが単純に歌いあげる以上に発露してしまい、Mygo!!!!!の楽曲なのに、実質羊宮 妃那の叫びに全てが収斂される(それは主役のキャラの同期性以上に羊宮 妃那の一種の圧が上回る)。ということだ。そうでなければ以前より最高傑作としてあげている『回層浮』『過惰幻』

回層浮

回層浮

  • MyGO!!!!!
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
過惰幻

過惰幻

  • MyGO!!!!!
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

のような楽曲を聴いた時に顕在化する暴力的なまでの叫びというのはそもそも歌い上げることができない。つまり「歌」は苦手だが、「表現」としての素質がそれをも包括することで、結果的に生まれたものがMygo!!!!!の楽曲群であるということだ。そしてこういうタイプは普通の声優ソングとしては中々タイプとして存在しない。ここで例外的に同一として語るに足り得る対象が上田麗奈なのだ。

Empathy

Empathy

新条アカネソング

いつか、また。

いつか、また。

  • provided courtesy of iTunes

御冷ミァハソング

旋律の糸

旋律の糸

  • provided courtesy of iTunes

『Empathy』が最も通底しているアルバムであるが、本作も「巧さ」よりも自身が担当してきたキャラクターをどのように歌詞に当てはめて、そして歌い上げるのか?という軸足で構築されているという点からもわかるように歌<表現という側面がとても強い。そしてそれは、『Nebula』における「scapesheep」に最も集約されていく。

(ちなみに音楽的なアプローチは当時喝采を浴びていたビリー・アイリッシュの『Bad guy』というチョイスも絶対影響しています)

Nebula

Nebula

scapesheep

scapesheep

bad guy

bad guy

  • provided courtesy of iTunes

つまりは音楽を通した上田麗奈の作品と言っても過言ではなく、それは先のインタビューは最初から意図されているとみていいだろう。歌が苦手ならそれを作品の一環として還元されている。

今回はどの曲も、私が今まで声優として演じてきたキャラクターたちに対して、私自身が共感した部分をすくい取って、それを歌を通して表現しようという気持ちで1曲1曲作っていったんです。なので、まず「私はこの作品のこのキャラクターのこういうところに共感しました」というリストを作ってお送りして。そのうえで、各作家さんが書いてくださった歌詞に対して、場合によっては少しニュアンスを変えていただいたり、そういうディスカッションをしながら詰めていきました。

このように、まず直感的に誰もが思う「声質」の類似性があり、そして歌が苦手であるのにもかかわらず、実際に作品として出てくる歌唱のパワーは通常のそれとはとても言い難いほどの禍々しさで帯びている。

このように整理すると両者とものやはり表現者としては破格であり、そんな二人がメインではないにしろ『トラペジウム』にて四人組アイドルの2名を担当したことはやはり、声優史的な意味合いを持つ。

 

なりたいじぶん

なりたいじぶん

  • 東ゆう(CV:結川あさき), 大河くるみ(CV:羊宮妃那), 華鳥蘭子(CV:上田麗奈) & 亀井美嘉(CV:相川遥花)
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
方位自身

方位自身

  • 東ゆう(CV:結川あさき), 大河くるみ(CV:羊宮妃那), 華鳥蘭子(CV:上田麗奈) & 亀井美嘉(CV:相川遥花)
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

その上で、主演の結川あさきはまだデビューまもないがまた、非常に適合してくる。

それは、一見してアイドルアニメという枠組みで一風変わった「東ゆう」というキャラクターを演じ切ったことと、その後『逃げ上手の若君』でボーイッシュな北条時行を見事に演じ切ったという2点だけで事足りる。つまりキャラクターとして距離を置かれやすいタイプのアイドルになりたい主人公と、真逆の意味で松生優征という稀代のストーリーテラーであるが、非常に曲(癖)のある人物像を描くことで有名な作家の人物を違和感なく演じ切っている点にある。角が立ちすぎているキャラと、ジャンプ的でありながら造形が様変わりなキャラをまだキャリア初期に演じ切ってしまっているという意味ではやはり、破格なスキルを持っているといっていいだろう。つまり対上田麗奈、羊宮 妃那という変種的な幻想憑依型が二人もいる中でその両者に引けを取らない演技を共演作で成し遂げているのだ。

(だいたいなんだよ

とか思うわけですが、この予告で凄さ一発でわかるほど有望以上にもう確定的に上手くそれは先の二人とはまた別種の演者であることが視聴した観客は一発でわかる。そのくらいの自信がなければ映画の一番肝となるシーンを抜粋して予告として昇華するという荒技はまぁ方法論としては一般的ではない。

www.youtube.com

これはどちらかといえば『トラペジウム』がいかにすごいキャストなのか?という話の転換でもあるのだが、凶悪、禍々しさがでる演者がそういう味の演技はしていないとはいえ、存在感を出すというのはただごとではない。

(羊宮 妃那もこの作品ではかなり叫びの演技が出てきます)

こうした作品を通した上で『逃げ上手の若君』pv1にフォーカスを当てると抑揚のコントロール以上とか、そういうもの以上に、まず声質が間違いなく少年声もいける素質も兼ね備えていることがわかる。

つまり現時点でに確定事実としては結川あさきは中性的なバランサーの声質を持つ役者であり少年役で化ける可能性も秘めながら正統派な役もこなせるしそれが既に証明されてしまっている。

www.youtube.com

以上の条件から、ちょっとした閉鎖空間にて

なんて決めたほど演技力にかなり可能性があり、そして見事に受賞された。

たった一年でこの二作を演じ切ったのだから受賞を読めない方がおかしいと思うほど

www.animatetimes.com

 

その上で西尾維新ルートのキャラも

(しかも夕方多夕!!というベストオブベスト!!!)

確立しているというこのルート確立感。

 

そしてこれによって2014年に上田麗奈、2022年に若山詩音、2023年羊宮 妃那そして2024年に結川あさきという文脈に綺麗に落ち着くのだ。つまりこれまで書いてきた声優の凄さというものはその時の一番波にのっている演者という象徴としての「新人声優賞」を受賞という一点に収斂してゆく。偶然ではなく全てが必然として結果として「時代を担う声優」として新人賞を獲っているのだ(上田麗奈は主演女優も獲っているし、安西千佳は新人はとっていないものの主演女優も獲っているという意味で今回名前を出した役者はみな結果的に圧倒的な評価を得ている)。

 

 

では最後に、ここまで語ってきたすべてを一つの仮説として提示したい。

2020年代、新人声優賞という確かな実績を持ち、音響設計においても「呼応」し続けてきた若山詩音と羊宮妃那という2人が、もし今後Wヒロインとして並び立つ作品が出たとしたら、それは音楽・演技・音響・キャラデザすべての文脈が交差するアンセム作品になるだろう。もはやそれは「キャスティング」という次元ではなく、構造的必然であり、音の文脈の到達点である。というのが自分なりの結論だ。

 

声優の声=音という感覚で思索すると以上のようなことが自然と点と点で結ぶことができる。そしてこればかりは放言でも譫言でも戯言でもなく、その直前まで世界はすでにそこに近づいている。

2025年4月より放送される『小市民』二期では、『SSSS.GRIDMAN』でヒロイン立花を演じた宮本侑芽が、主人公小鳩常悟朗の彼女にあたる仲丸十希子役を担当しているのだ。そう、もう一歩ズレていれば(『SSSS.DYNAZENON』)そこに若山詩音がいたかもしれない。つまり、現実そのものがこの文脈に近づきつつあるということを留意しながら、今後アニメ作品の音を咀嚼しながら鑑賞していきたい。

 

part2

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part3

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Hipgnosisジャケットアーカイブ─視覚が導く音楽の記憶

2月に公開された映画『HIPGNOSIS』を、その道(デザイン)に精通している知人と観に行った。

www.hipgnosismovie.com

(まだ微かに上映している気がするので興味がある人は足を運んでください)

想像以上に実録ドキュメンタリー寄りの作品で、ほとんどが大物ミュージシャンのインタビューと当時の映像を交えた記録集のような構成だった。意外性はあったが、内容自体はある種のカオスさがあり、時代を感じさせるものだった。

特に印象的だったのは、当時のドラッグ文化と創作の密接な関係だ。70年代の音楽シーンでは、LSDなどのドラッグが創作の一部として扱われることが珍しくなかった。その中でアーティストやデザイナーが意気投合し、ヒプノシスHipgnosis)の数々のジャケットが生み出されていく。あまりにも破天荒な制作過程に、「このノリ、どこかで見たことがある」と思ったら、それはほぼ『ホドロフスキーのDUNE』と同じだった。

違いは、ホドロフスキーの『DUNE』が未完に終わったのに対し、Hipgnosisの作品は実際に世に出て、音楽史に名を残しているという点だ。

例えば、Pink Floydの『Wish You Were Here』のジャケット。

 

現代ならCGやデジタル処理で簡単に実現できるが、当時は当然すべてアナログ。つまり、実際にスタントマンに防火装備を施し、本当に火をつけて撮影していたのだ。いま考えればあまりに無茶な撮影方法だが、それが当時の常識だったというのが面白い。

この映画を観たあと、パンフレットを眺めていると、Hipgnosisが手掛けたジャケットのリストが掲載されていた。「これは良い資料だ」と思いきや、パンフの製本形式だと見づらさが増していたり、そもそもこの映画をみる層ってだいぶ上の年代であることが予見するため、おそらくこのリストはより広い世代には伝わりにくいと考え、伝播の意味も込め、骨子としてこのリストを活用しつつ、改めて他の情報と突き合わせて精査する必要があると考えた。

 

究極的には、『ヒプノシス全作品集』を読めばジャケット以外のLive用広告を含めて全て網羅されている。しかし、書籍は音楽と直結しているわけではないため、ジャケットを見て気になった作品にすぐアクセスできるわけではない。そこで、本記事ではリストをデジタル上にまとめ、音源リンクと直結させることで、より実用性のある形を目指した。

 

そのため、情報の精度としては可能な限り正確性を期しているが、完全なリストを求めるならば、最終的には『ヒプノシス全作品集』を手に取って確認してほしい。とはいえ、ここで掲載したものは8割以上は網羅できているはずなので、入門としては最適なリストになっていると思う。

 

ジャケットデザインというのは、音楽とは別に、人間の記憶や視覚に強く焼き付くものだ。特に70年代~80年代の代表的なロック/プログレ作品のジャケットの多くはHipgnosis(あとロジャー・ディーン)が手掛けており、それらを一覧化することには十分な意味がある。たとえば、この記事のサムネイルは 10cc『Look Hear?』 のジャケットなのだが、これは 『Atom Heart Mother』の想像力の延長線上にある ことが容易に分かる。さらに、一番制作過程が面白く、シュールな作品だからという理由もある。牛も羊もすべて本物を使って撮影しているというだけで、その労力は計り知れない。おそらく、まったく知らない人が考えても、その撮影の大変さは想像に耐えないだろう。

 

 

また、音楽を聴く入口として、ジャケットから興味を持つというのも一つの方法だ。音楽を聴くきっかけとしてジャケットの魅力が大きな役割を果たすのは、今も昔も変わらない。だからこそ、Hipgnosisのデザインを体系的に整理する価値があるのではないか。

本記事では、非公式ではあるものの、アクセスサイトとして最もまとまりが良いという観点から hipgnosiscovers.com を一次ソースとして整理し、その上で書籍やその他の資料も参考に補完しながら、Hipgnosisのジャケットデザインを網羅した一覧を作成することにした。

また、追加の情報があれば定期的に更新していく予定だ。itunes電子音楽の登録がないものについては アーティスト名-『アルバム名』 にとどめている。本来であれば画像を挿入して補うべきなのだが、はてなブログの仕様上、音源データと画像を同時に多数掲載するとエラーが発生するため、今回は画像を省略している。

1967年

Laurel Aitken-『Says Fire』

Fire

Fire

  • ローレル・エイトキン
  • レゲエ
  • ¥1069

Pink Floyd-『The Piper at the Gate of Dawn』

1968年

Alexis Korner-『A New Generation of Blues』

Aynsley Dunbar Retaliation-『Doctor Dunbar`s Prescriptin』

Doctor Dunbar's Prescription

Doctor Dunbar's Prescription

  • Aynsley Dunbar Retaliation
  • ブルース・ロック
  • ¥1528

Aynsley Dunbar Retaliation-『Aynsley Dunbar Retaliation』

Aynsley Dunbar Retaliation

Aynsley Dunbar Retaliation

  • Aynsley Dunbar Retaliation
  • ブルース・ロック
  • ¥1528

The Gods-『Genesis

Genesis

Genesis

  • ゴッズ
  • ロック
  • ¥1630

Love Sculpture-『Blues Helping』

Blues Helping

Blues Helping

  • Love Sculpture
  • ポップ
  • ¥1833

Pink Floyd-『A Saucerful of Seacrets』

 

1969年

Aynsley Dunbar Retaliation-『To Mum, From Aynsley And The Boys』

Gun-『Gunsight』

Gunsight

Gunsight

  • Gun)
  • ハードロック
  • ¥1528


Hugo Winterhalter And His Orchestra-『big themes volume II』

Humble pie-『town and country』

Town And Country

Town And Country

  • ハンブル・パイ
  • ロック
  • ¥1528

PANAMA LIMITED JUG BAND-『PANAMA LIMITED JUG BAND』

Pink Floyd-『More』

Pink Floyd-『Ummagumma』

Ron Goodwin-『Elizabethan Serenade』

1970年

Atacama-『Atacama』

Aynsley Dunbar Retaliation-『Remains to Be Heard』

Remains to Be Heard

Remains to Be Heard

  • Aynsley Dunbar Retaliation
  • ブルース・ロック
  • ¥1528

Cochise-『Cochise』

Gravy train-『Gravy Train』

The Greatest show on Earth-『Horizons』

Horizons (2024 Remastered Version)

Horizons (2024 Remastered Version)

  • The Greatest Show On Earth
  • ロック
  • ¥1528

Helmut zacharias-『The Sensational Sound Of Zacharias』

Jackson heights-『King progress』

King Progress

King Progress

  • ジャクソン・ハイツ
  • ロック
  • ¥1428

The NIce-『Five Bridges』

Five Bridges

Five Bridges

  • ザ・ナイス
  • ロック
  • ¥1731

Orange Bicycle-『Orange Bicycle』

Orange Bicycle

Orange Bicycle

  • Orange Bicycle
  • ロック
  • ¥1681

Panama Limited – 『Indian Summer』

Pepe jaramillo-『Till There Was You』

PinkFloyd-『Atom Heart Mother』

Pretty Things-『Parachute』

Quatermass-『Quatermass』

Quatermass

Quatermass

  • Quatermass
  • ロック
  • ¥1528

Rhet stoller-『Zada  Zada』

Sounds Nice-『Love at First Sight』

Syd barrett-『The Madcap Laughs』

Syd barrett-『Barrett』

Barrett

Barrett

Toe Fat-『Toe Fat』

Toe Fat

Toe Fat

  • Toe Fat
  • ロック
  • ¥1222

Toe Fat-『Toe Fat Two』

Toe Fat Two

Toe Fat Two

  • Toe Fat
  • ロック
  • ¥1222

Twink-『Think Pink』

Think Pink

Think Pink

1971年

Alan Bown- 『Stretching Out』

Stretching Out

Stretching Out

Argent -『Ring of Hands』

Ring of Hands

Ring of Hands

  • ARGENT
  • ロック
  • ¥1833

Audience -『The House on the Hill』

The House On the Hill

The House On the Hill

  • Audience
  • Pop
  • USD 7.99

 

Birth Control-『Birth Control』

Birth Control

Birth Control

  • Birth Control
  • ロック
  • ¥1528

Buddy Bohn-『A Drop in the Ocean』

A Drop in the Ocean

A Drop in the Ocean

  • Buddy Bohn
  • ロック
  • ¥1630

Climax Blues Band-『Tightly Knit』

Tightly Knit

Tightly Knit

  • Climax Chicago
  • ブルース
  • ¥1528

Daddy Longlegs-『Oakdown Farm』

Daylight -『Daylight』

East of Eden -『East of Eden』

East of Eden-『New Leaf

The Nice-『Elegy』

Elegy

Elegy

  • ザ・ナイス
  • ロック
  • ¥1630

 

Edgar Broughton Band-『Edgar Broughton Band』

Edgar Broughton Band

Edgar Broughton Band

  • エドガー・ブロートン・バンド
  • ロック
  • ¥1630

Electric Light Orchestra -『 Electric Light Orchestra (E.L.O. 1)』

The Gun -『The Gun』

The Hollies -『Distant Light』

John James -『John James』

John Kongos -『Kongos』

Kongos (2014 Remaster)

Kongos (2014 Remaster)

  • John Kongos
  • ポップ
  • ¥1528

Marvin, Welch & Farrar /-『Marvin, Welch & Farrar』

Marvin, Welch & Farrar

Marvin, Welch & Farrar

  • Marvin Welch & Farrar
  • ポップ
  • ¥1630

Marvin, Welch & Farrar -『Second Opinion』

Second Opinion

Second Opinion

  • Marvin Welch & Farrar
  • ポップ
  • ¥1630

Master's Apprentices -『Choice Cuts』

Choice Cuts

Choice Cuts

  • The Masters Apprentices
  • ロック
  • ¥1222

Matthew Ellis-『Matthew Ellis』

Nine Days Wonder -『Nine Days Wonder』

Peter Bardens -『Peter Bardens』

Pink Floyd -『Meddle』

Principal Edwards Magic Theatre -『The Asmoto Running Band』

The Asmoto Running Band

The Asmoto Running Band

  • Principal Edwards Magic Theatre
  • ロック
  • ¥1630

Quiver -『Quiver』

Quiver

Quiver

  • Quiver
  • ロック
  • ¥1324

Reverend Gary Davis-『Ragtime Guitar』

Rockin' Horse -『Yes It Is』

Rory Gallagher-『Rory Gallagher』

Southern Comfort -『Southern Comfort』

Stackridge -『Stackridge』

Stackridge Expanded Edition (2023 Remaster)

Stackridge Expanded Edition (2023 Remaster)

  • Stackridge
  • ロック
  • ¥1019

Stray -『 Saturday Morning Pictures』

T. Rex -『Electric Warrior』

Electric Warrior

Electric Warrior

  • T. Rex
  • ロック
  • ¥1935

Tear Gas -『Tear Gas』

Tear Gas (Remastered Edition)

Tear Gas (Remastered Edition)

  • Tear Gass
  • ロック
  • ¥1528

Trees-『On the Shore』

On the Shore

On the Shore

  • Trees
  • コンテンポラリー・フォーク
  • ¥1528

Wishbone Ash -『Pilgrimage』

1972年

Allan Clarke-『My Real Name Is 'Arold』

My Real Name Is 'Arold

My Real Name Is 'Arold

  • Allan Clarke
  • Rock
  • USD 8.99

Atacama-『The Sun Burns up Above』

Audience -『Lunch』

Blue Mink-『A Time of Change』

Danta -『Danta』

David Elliott-『David Elliott』

Edgar Broughton Band -『 In Side Out』

Inside Out

Inside Out

  • The Edgar Broughton Band
  • Rock
  • USD 9.99

Emerson, Lake & Palmer-『Trilogy』

Fumble -『Fumble』

Flash-『Flash

Flash

Flash

  • フラッシュ
  • ロック
  • ¥1935

Glencoe -『Glencoe』

Graham Bell -『Graham Bell』

The Hollies-『Romany』

Labi Siffre-『Crying,Laughing,Loving,Lying』

Crying, Laughing, Loving, Lying

Crying, Laughing, Loving, Lying

  • ラビ・シフレ
  • ポップ
  • ¥1375

Minnesota -『Minnesota』

The Nice -『Autumn '67–Spring '68』

Autumn 1967 / Spring 1968 (Remastered)

Autumn 1967 / Spring 1968 (Remastered)

  • ザ・ナイス
  • ポップ
  • ¥1630

Olivia Newton-Jon-『Oliva』

PinkFloyd-『Obscured By Clouds』

Pretty things-『Freeway Madness』

Roger Cook-『Meanwhile Back At The World』

Meanwhile Back At the World

Meanwhile Back At the World

  • ロジャー・クック
  • ポップ
  • ¥1375

Renaissance-『Prologue』

String driven Thing-『String Driven Thing』

Tennent-『Morrison』

Wishbone Ash-『Argus』

1973年

Allan Clarke-『Headroom』

Headroom

Headroom

  • アラン・クラーク
  • ポップ / ロック
  • ¥1681

Al Stewart -『Past, Present and Future』

Past, Present and Future

Past, Present and Future

  • アル・スチュワート
  • ロック
  • ¥1833

Argent -『 In Deep』

In Deep

In Deep

  • ARGENT
  • ロック
  • ¥1833

Audience -『You Can’t Beat ’Em』


Capability Brown-『Voice』

Voice

Voice

  • キャパビリティ・ブラウン
  • ロック
  • ¥1120

The Creation -『’66/’67』Flash -『Out of Our Hands』

Out Of Our Hands

Out Of Our Hands

  • フラッシュ
  • ロック
  • ¥1731

Edgar Broughton Band -『Oora』

Oora

Oora

  • エドガー・ブロートン・バンド
  • ロック
  • ¥1630

Electric Light Orchestra -『elo 2』

Led Zeppelin -『Houses of the Holy 』

Hank Marvin & John Farrar-『Hank Marvin & John Farrar』

 

Paul McCartney and Wings -『Band on the Run』

Peter Banks -『Two Sides of Peter Banks』

Two Sides Of Peter Banks

Two Sides Of Peter Banks

  • Peter Banks
  • ロック
  • ¥1528

Pink Floyd -『The Dark Side of the Moon』

Public Foot the Roman -『Public Foot the Roman』


Renaissance -『Ashes are Burning』

Roger Cook -『Minstrel in Flight』

Minstrel In Flight

Minstrel In Flight

  • ロジャー・クック
  • ポップ
  • ¥1375

Roy Harper -『Lifemask』

Lifemask (Remastered)

Lifemask (Remastered)

  • ロイ・ハーパー
  • シンガーソングライター
  • ¥1681

The Shadows -『Rockin’ with Curly Leads』

Rockin' With Curly Leads (1999 Remaster)

Rockin' With Curly Leads (1999 Remaster)

  • ザ・シャドウズ
  • ロック
  • ¥1528

Sir John Betjeman -『Betjeman’s Banana Blush』

String Driven Thing-『The Machine That Cried』

The Machine That Cried

The Machine That Cried

  • ストリング・ドリヴン・シング
  • ロック
  • ¥1681

vinegar joe- 『Rock`N`Roll Gypsies』

Rock 'n Roll Gypsies

Rock 'n Roll Gypsies

  • ヴィネガー・ジョー
  • ロック
  • ¥1935

Wishbone Ash-『Wishbone four』

Wishbone Ash-『Live Dates』

 

1974年

10cc-『Sheet Music』

Sheet Music

Sheet Music

  • 10cc
  • ロック
  • ¥1528

Babe Ruth-『Amar Caballero』

Bad Company-『 Bad Company』

Big Jim Sullivan-『Big Jim’s Back』


Blue Mink-『Fruity』


Climax Blues Band-『Sense of Direction』

Sense of Direction

Sense of Direction

  • Climax Blues Band
  • ブルース
  • ¥1528

 

 

CYRIL HAVERMANS-『Mind Wave』


Darryl Way’s Wolf-『Night Music


Dragonfly-『Almost Abandoned』


Fumble-『Poetry in Lotion』


Gary Shearston-『Dingo』

Dingo

Dingo

  • Gary Shearston
  • シンガーソングライター
  • ¥1375

Genesis-『 The Lamb Lies Down on Broadway』

The Hollies-『Hollies』 

Humble Pie-『Thunderbox』

Thunderbox

Thunderbox

  • ハンブル・パイ
  • ロック
  • ¥1426

Hydra -『Hydra』

The King`s Singer-『Out of blue』

Les Walker-『Whatever Mood You're In』

Life-『Life after Death』

Life After Death (Remastered)

Life After Death (Remastered)

Nazareth-『Rampant』

Rampant

Rampant

  • Nazareth
  • ロック
  • ¥1375

 Peter Frampton-『Somethin`s Happenig』

Pink Floyd-『A Nice Pair』

The Portsmouth Sinfonia-『Hallelujah』

Pretty Things-『Silk Torpedo』

Renaissance- 『Turn Of the Cards』

Turn of the Cards

Turn of the Cards

  • Renaissance
  • ロック
  • ¥1324

Robert John Godfrey-『Fall Of Hyperion

Fall Of Hyperion

Fall Of Hyperion

  • Robert John Godfrey
  • ロック
  • ¥2037

Roy Harper-『Flashes from the archive of Oblivion

Flashes from the Archives of Oblivion

Flashes from the Archives of Oblivion

  • ロイ・ハーパー
  • フォーク
  • ¥1375

Roy Harper-『Valentine』

Valentine

Valentine

  • ロイ・ハーパー
  • フォーク
  • ¥1375

The Sharks- 『Jab It In Yore Eye』

String Driven Thing-『Please Mind Your Head』

Sweet-『Desolation Boulevard』

Desolation Boulevard

Desolation Boulevard

UFO-『Phenomenon』

Phenomenon (Deluxe Edition)

Phenomenon (Deluxe Edition)

  • UFO
  • ハードロック
  • ¥5820

Unicorn-『Blue Pine Trees』

Blue Pine Trees

Blue Pine Trees

Uno-『Uno』

Wishbone Ash-『There`s The Rub』

 

1975年

10cc-『The Original Soundtrack』

The Original Soundtrack

The Original Soundtrack

  • 10cc
  • ポップ
  • ¥1222

Al Stewart-『Modern Times』

Modern Times

Modern Times

  • アル・スチュワート
  • ロック
  • ¥1833

Bad Company-『 Straight Shooter』

Bob Sargeant-『First Starring Role』


Caravan-『Cunning Stunts』


Clifford T. Ward-『Escalator』


Dave Edmunds-『Subtle as a Flying Mallet』

Eddie Howell-『The Eddie Howell Gramophone Record』


Edgar Broughton Band-『A Bunch of 45s 』


Gentle Giant-『Free Hand』

Free Hand

Free Hand

The Greatest Show on Earth-『The Greatest Show on Earth』


Headstone-『Headstone』

Howard Werth & The Moonbeams-『King Brilliant』

King Brilliant

King Brilliant

  • Howard Werth & The Moonbeams
  • ロック
  • ¥1528

Hydra-『Land of Money』


Jukka Tolonen『Cross Section


Nazareth-『Hair of the Dog』

Hair of the Dog

Hair of the Dog

  • Nazareth
  • ロック
  • ¥1375

Pink Floyd-『Wish You Were Here』

Pretty Things Savage Eye-『S.F. Sorrow & Parachute』


Renaissance-『 Scheherazade and Other Stories』


Roy Harper-『HQ』

HQ (Remastered)

HQ (Remastered)

  • ロイ・ハーパー
  • シンガーソングライター
  • ¥1681

Sassafras-『Wheelin’ ’N’ Dealin’』

Wheelin' n' Dealin'

Wheelin' n' Dealin'

The Shadows-『Specs Appeal

Specs Appeal (Expanded)

Specs Appeal (Expanded)

  • ザ・シャドウズ
  • ポップ
  • ¥1630

Solution-『Cordon Bleu』

Cordon Bleu (expanded & re-mastered)

Cordon Bleu (expanded & re-mastered)

  • Solution
  • ロック
  • ¥1528

Strife-『Rush』

Rush

Rush

  • Strife
  • ロック
  • ¥1528

String Driven Thing-『Keep Yer ’and on It』


UFO-『Force It』

Force It (Bonus Track Version)

Force It (Bonus Track Version)

  • UFO
  • ハードロック
  • ¥1833

Wings-『Venus and Mars』

Venus and Mars (2014 Remaster)

Venus and Mars (2014 Remaster)

  • ウイングス
  • ロック
  • ¥1630

 

1976年

10cc-『How Dare You! 』

How Dare You (Remastered Version)

How Dare You (Remastered Version)

  • 10cc
  • ポップ
  • ¥1731

AC/DC-『Dirty Deeds Done Dirt Cheap』

Dirty Deeds Done Dirt Cheap

Dirty Deeds Done Dirt Cheap

  • AC/DC
  • ハードロック
  • ¥2343

 

Alan Parsons Project-『Tales of Mystery and Imagination (Edgar Allan Poe)』

music.apple.com

Alberto y Lost Trios Paranoias-『Alberto y Lost Trios Paranoias』

Alberto Y Lost Trios Paranoias

Alberto Y Lost Trios Paranoias

  • Alberto Y Lost Trios Paranoias
  • ポップ・パンク
  • ¥1528

 

Black Sabbath-『Technical Ecstasy』

Technical Ecstasy

Technical Ecstasy

Brand X-『Unorthodox Behaviour』

Unorthodox Behaviour

Unorthodox Behaviour

  • ブランドX
  • ロック
  • ¥1069

Dirty Tricks-『Night Man』

Night Man

Night Man

  • Dirty Tricks
  • ロック
  • ¥1528

Genesis-『A Trick of the Tail』

Genesis-『Wind&Wuthering』

Golden Earring-『To the Hilt』

To the Hilt

To the Hilt

  • Golden Earring
  • ロック
  • ¥1528

The Hollies-『Russian Roulette』

John Miles-『Stranger In the City』

Stranger In The City

Stranger In The City

  • ジョン・マイルズ
  • ポップ
  • ¥1731

Jon Anderson-『Olias of Sunhillow』

Olias of Sunhillow

Olias of Sunhillow

  • ジョン・アンダーソン
  • ロック
  • ¥1019

Kevin Coyne-『Heartburn』

Led zeppelin-『Presence』

Led zeppelin-『The Song Remains the Same』

Montrose-『Jump On It』

Jump On It

Jump On It

Nazareth-『Close enough for rock`n`roll』

Close Enough for Rock 'n' Roll

Close Enough for Rock 'n' Roll

  • Nazareth
  • ロック
  • ¥1375

Sailor-『The Third step』

UFO-『No Heavy petting』

No Heavy Petting (Deluxe Edition)

No Heavy Petting (Deluxe Edition)

  • UFO
  • ハードロック
  • ¥3880

Unicorn-『Too Many Crooks』

Too Many Crooks

Too Many Crooks

William Lyall-『Solo casting』

Solo Casting

Solo Casting

  • ウィリアム・ライオール
  • ロック
  • ¥1528

Wing-『Wings at the Speed of sound』

Wings At The Speed Of Sound (2014 Remaster)

Wings At The Speed Of Sound (2014 Remaster)

  • ウイングス
  • ロック
  • ¥1630

Wing-『Wings over America』

Wings Over America (Live) [2013 Remaster]

Wings Over America (Live) [2013 Remaster]

  • ウイングス
  • ロック
  • ¥1935

Wishbone Ash-『New England』

 

1977年

10cc-『Deceptive Bends』

Deceptive Bends (Remastered)

Deceptive Bends (Remastered)

  • 10cc
  • ポップ
  • ¥1731

Alan Parsons Project-『I Robot』

Al Stewart-『The Early Years』

Bad Company-『Burnin`Sky』

Brand X-『Moroccan Roll』

Brand X- 『Livestock』

Livestock (Live)

Livestock (Live)

Electric Light  Orchestra-『The Light Shines On』

Hawkwind『Quark,Strangeness and Charm』

The Moody Blues -『Caught Live +5』

Percy Thrillington-『Thrillington』

Peter Gabriel-『Peter Gabriel

Pink Floyd-『Animals』

Roy Harper-『Bullinamingvase』

Bullinamingvase (Remastered)

Bullinamingvase (Remastered)

  • ロイ・ハーパー
  • シンガーソングライター
  • ¥1681

Sammy Hagar-『Sammy Hagar』

Sammy Hagar

Sammy Hagar

  • サミー・ヘイガー
  • ハードロック
  • ¥1426

Sammy Hagar-『Musical Chairs』

Musical Chairs

Musical Chairs

  • サミー・ヘイガー
  • ハードロック
  • ¥1630

Space-『Deliverance』

Deliverance

Deliverance

  • Space
  • エレクトロニック
  • ¥1530

Status Quo-『Live!』

Steve Harley&Cockney Rebel-『Face to Face :A Live Recording』

Face to Face (A Live Recording)

Face to Face (A Live Recording)

UFO-『Lights Out』

Lights Out (Bonus Track Version)

Lights Out (Bonus Track Version)

  • UFO
  • ハードロック
  • ¥1833

Unicorn-『One More Tommorrow』

One More Tomorrow

One More Tomorrow

Wishbone Ash-『Classic Ash』

Wishbone Ash-『Front Page News』

Yes-『Going the One』

Going for the One

Going for the One

Young Bob and Micky M-『Young&Moody』

1978年

10cc- 『Bloody Tourists』

Bloody Tourists

Bloody Tourists

  • 10cc
  • ポップ
  • ¥1528

Adrian Wagner-『The last Inca』

Alan Parsons Project-『Pyramid』

Al Stewart-『Time Passages』

Time Passages

Time Passages

  • アル・スチュワート
  • ロック
  • ¥1630

Alvin Lee&Ten Years Later-『Rocket Fuel』

Bardot-『Rocking in Rhythm』

Rocking In A Rhythm (Expanded Edition)

Rocking In A Rhythm (Expanded Edition)

  • Bardot
  • ロック
  • ¥1528

Be-Bop Deluxe-『Drastic Plastic』

Drastic Plastic

Drastic Plastic

  • ビー・バップ・デラックス
  • ロック
  • ¥1069

Bethnal-『Crash Landing』

Black Sabbath-『Never say Die!』

Never Say Die!

Never Say Die!

Bunk Dogger-『First Offence』

The Cortinas-『True Romances』

David Gilmour-『David Gilmour

Fabulous Poodles-『Unsuitable』

Unsuitable

Unsuitable

  • Fabulous Poodles
  • ニューウェイヴ
  • ¥1069

Genesis-『...And Then There Were Three』

Hot Chocolate-『Every 1`s Winner』

Every 1's a Winner

Every 1's a Winner

  • ホット・チョコレート
  • R&B/ソウル
  • ¥1630

John Miles-『Zaragon』

Zaragon

Zaragon

  • ジョン・マイルズ
  • ポップ
  • ¥1935

Manset-『2870』

2870 (Remasterisé en 2016) - EP

2870 (Remasterisé en 2016) - EP

  • Manset
  • フレンチポップ
  •  

The Motors-『Approved by the Motors』

Neil Ardley-『Harmony of the Spheres

Novalis-『Vielleicht Bist Du Ein Clown?』

Peter Gabriel-『peter Gabriel 2:Scratch 』

Pezband-『Laughing in the Dark』

Racing Cars –『Bring On The Night』

Renaissance-『A song  for all Seasons』

A Song for All Seasons

A Song for All Seasons

  • Renaissance
  • ロック
  • ¥1528

Richard Wright-『Wet Dream』

Robin trower-『Caravan to Midnight』

Sad Cafe-『Misplaced Ideals』

Misplaced Ideals

Misplaced Ideals

  • Sad Cafe
  • ロック
  • ¥1528

Steve HIllage-『Green』

Green

Green

Strawbs-『Deadlines』

Deadlines

Deadlines

  • ストローブス
  • ロック
  • ¥1630

Styx-『Pieces of Eight』

Pieces of Eight

Pieces of Eight

  • スティクス
  • ロック
  • ¥2546

Synergy-『Cords』

Cords

Cords

  • Synergy
  • エレクトロニック
  • ¥1528

Throbbing Gristle-『D.O.A』

Todd Rundgren-『Back to the Bars』

UFO-『Obsession』

Obsession (Bonus Track Version)

Obsession (Bonus Track Version)

  • UFO
  • ハードロック
  • ¥1833

 The Walker Brothers-『Nite Flights』

Nite Flights

Nite Flights

  • ウォーカー・ブラザーズ
  • ポップ
  • ¥1833

Wings-『Wings Greatest』

Wings Greatest

Wings Greatest

  • ウイングス
  • ロック
  • ¥2241

Wings-『London Town』

London Town (Expanded Edition) [1993 Remaster]

London Town (Expanded Edition) [1993 Remaster]

  • ウイングス
  • ロック
  • ¥1935

Wishbone Ash-『No Smoke Without Fire』

XTC-『Go 2』

Yes-『Tormato』

Tormato

Tormato

1979年

10cc-『Greatest Hits 1972–1978』

Airwaves-『Next Stop』

Alan Parsons Project-『Eve』

Ashra-『Correlations』

Correlations

Correlations

  • Ashra
  • ロック
  • ¥1324

Bad company-『Desolation Angels』

Brand X-『Product』

Product

Product

  • ブランドX
  • ロック
  • ¥1120

Broughtons-『Parlez-Vous English?』

Parlez-Vous English?

Parlez-Vous English?

  • The Broughtons
  • ロック
  • ¥1528

The Dukes-『The Dukes』

Gary Brooker-『No More Fear of Flying』

Godley&Creme-『Freeze Frame』

Harlequin-『Victim of a song』

Victim of a Song

Victim of a Song

  • Harlequin
  • ポップ
  • ¥1833

Judie tzuke-『Welcome to the Cruise』

Led Zeppelin-『In Through the Out Door』

Mark Ashton-『Solo』

Marseille-『Marseille』

Mick Taylor-『Mick Taylor』

Ralph McTell-『Slide Away  the Screen』

Rostal & Schaefer-『The Beatles Concerto』

Sad Cafe-『Facades』

Facades

Facades

  • Sad Cafe
  • ロック
  • ¥1528

Scorpions-『Lovedrive』

Lovedrive

Lovedrive

Steve Hillage -『Live Herald』

Live Herald (Remastered)

Live Herald (Remastered)

Streetheart-『Under Heaven  Over Hell』

Under Heaven Over Hell

Under Heaven Over Hell

  • Streetheart
  • ロック
  • ¥1375

Throbbing Gristle-『20JazzFunk Greats』

UFO-『Strangers in The Night』

Strangers In the Night (Live)

Strangers In the Night (Live)

  • UFO
  • ハードロック
  • ¥1833

UK-『Danger Money』

Danger Money

Danger Money

Voyager-『Halfway Hotel

Halfway Hotel

Halfway Hotel

 

1980年

10cc-『Look Hear?』

Look Hear

Look Hear

  • 10cc
  • ロック
  • ¥1731

Brand X-『Do they hurt?』

Do They Hurt?

Do They Hurt?

  • ブランドX
  • ロック
  • ¥1069

Chevy-『The Taker』

The Taker

The Taker

  • Chevy
  • ロック
  • ¥1528

Ginger-『Ginger』

Harlequin-『Love Crimes』

Love Crimes

Love Crimes

  • Harlequin
  • ポップ
  • ¥1833

John Wetton-『Caught in the Crossfire

Leo Sayer-『Living  in a Fantasy』

Living In a Fantasy

Living In a Fantasy

  • レオ・セイヤー
  • ポップ
  •  

MIchael Schenker Group-『MIchael Schenker Group』

The Michael Schenker Group (Remastered)

The Michael Schenker Group (Remastered)

  • マイケル・シェンカー・グループ
  • ハードロック
  • ¥1528

Mike rutherford-『Smallcreep's Day』

Peter Gabriel-『Peter Gabriel(3)』

Pretty Thing-『Cross Talk

Scorpions-『Animal Magnetism』

Throbbing Gristle-『Heathen Earth』

UFO-『No Place to Run』

No Place to Run (Bonus Track Version)

No Place to Run (Bonus Track Version)

  • UFO
  • ハードロック
  • ¥1833

Voyager-『Act of Love』

Act of Love

Act of Love

Wishbone Ash-『Just Testing』

Wishbone Ash-『Live Dates Volume 2(Live』

 

1981年

Billy Karloff The Extremes-『Let Your Fingers Do the Talking』

Cozy Powell-『Tilt』

Tilt

Tilt

Def Leppard-『High`N`Dry』

Foreigner-『4』(元々は『Silent Partners』) 

Herman Rarebell-『Nip in the Bud』

Nip In The Bud (Remastered)

Nip In The Bud (Remastered)

  • Herman Rarebell
  • ロック
  • ¥1375

Jakob Magnusson-『Jack Magnet』

Jack Magnet

Jack Magnet

  • Jakob Magnusson
  • ロック
  • ¥1528

 

Midnight Flyer -『Midnight Flyer』

Midnight Flyer

Midnight Flyer

  • Midnight Flyer
  • ブルース・ロック
  • ¥1528

 

Nick Mason-『Nick Mason’s Fictitious Sports』

Nick Mason's Fictitious Sports

Nick Mason's Fictitious Sports

  • ニック・メイソン
  • ポップ
  • ¥917

 

Pink Floyd -『A Collection of Great Dance Songs』

 

Rainbow-『Difficult to Cure』

 

Difficult to Cure

Difficult to Cure

  • レインボー
  • ハードロック
  • ¥1731

Rainbow -『The Best of Rainbow』

Rick Wakeman -『1984

Riff Raff-『Vinyl Futures』

Roger Taylor -『Fun in Space』

UFO -『The Wild, the Willing and the Innocent』

Yumi Matsutoya -『昨晩お会いしましょう』

Zingara-『Zingara』

1982年

Alan Parsons Project-『Eye in the Sky』


Bad Company-『Rough Diamonds


John McLaughlin-『Music Spoken Here』


Led Zeppelin-『Coda』


Paul McCartney-『Tug of War』


Rainbow-『Straight Between the Eyes』

 

1983年

10cc -『Windows in the Jungle』

Windows In the Jungle (Re-Presents)

Windows In the Jungle (Re-Presents)

  • 10cc
  • ロック
  • ¥1731

 


De Blanc -『De Blanc』


Katia and Marielle Labeque-『Gladrags』

Gladrags

Gladrags

  • カティア・ラベック
  • クラシック
  • ¥1681

McLaughlin, Di Meola & Paco De Lucía-『Passion, Grace & Fire』

Prototype -『Prototype』


Rainbow-『Bent out of Shape』

Bent Out of Shape

Bent Out of Shape

  • レインボー
  • ハードロック
  • ¥1120

Robert Plant -『The Principle of Moments』

 


UFO -『Making Contact』

Making Contact (Bonus Track Version)

Making Contact (Bonus Track Version)

  • UFO
  • ハードロック
  • ¥1833

UFO -『Headstone』

Headstone: Live at Hammersmith 1983

Headstone: Live at Hammersmith 1983

  • UFO
  • ハードロック
  • ¥1528

Yumi Matsutoya -『Voyager』

Voyager

Voyager

1984

Alan Parsons Project-『Ammonia Avenue』

Barry Gibb-『Now Voyager』

David Gilmour-『About face』

Tony Carey-『Some Tough City』

Some Tough City (2018 Expanded Edition)

Some Tough City (2018 Expanded Edition)

  • Tony Carey
  • ロック
  • ¥1375

 

 

 

 

 

小林武史が影響を受けた洋楽名盤集

記事というよりも個人的なまとめです。今は無き、2018年~2019年の頃の記事の時は知る人ぞ知るという世界ですが、延々「小林武史ってさぁ!!」と狂っていた時がありました。この記事はその時の影響が強い。つまり、「分かりたい」が先行していた時期。

(もう6年も前です)

sai96i.hateblo.jp

 

あの時から数年経った今、はてなブログの使い方も当時よりかは理解できる脳みそを持てるようになったのでログ(あるいはアーカイブ)として、以下のアルバムが小林武史サウンド骨子としてあるという記録として残す記事です。

というかそれ以上に、調べれば出ますが、この記事は自分がその昔からずっとブックマークに入れている記事のリファインのようなものなのです。

洋楽を知らない人から、知ってる人、小林武史に興味がある人や彼が手がけたサウンドが好きな人まであらゆる趣向性を持った方への案内の一つになればこれ幸いです。

ソースは「SWITCH vol.26 No.12」です。深掘りしたい人はぜひ。

元々は69枚で邦楽(この書き方好きじゃないですが)含め記載はあるのですが、敢えて分けたほうがいいと思い、その中には彼自身のプロデュース作品もあるため、なら余計に影響を受けた/そこから派生した作品という線引きをすべきかと思い敢えて割愛しました。

各作品についていろいろ書くかもしれないという意味でこの記事も定期更新の可能性有

 

この手の、残すだけでも意味があるまとめはもういくつか用意しているので時間を空けないで出せればと思います。

 

1. The Smashing Pumpkins-『Mellon Collie and the Infinite Sadness』

2. Gorillaz - 『Gorillaz

3. Travis - 『The Man Who』

4. Radiohead - 『OK Computer』

5. Coldplay - 『Gift Pack』

(2CDとDVDのパッケージ版のため音源リンクはなし)

6. Ben Folds Five - 『Whatever and Ever Amen』

7. Underworld - 『Beaucoup Fish』

Beaucoup Fish (Remastered / Super Deluxe)

Beaucoup Fish (Remastered / Super Deluxe)

8. Keane - 『Hopes and Fears』

Hopes and Fears

Hopes and Fears

  • キーン
  • ロック
  • ¥1222

9. Björk - 『Debut』

10. Beck - 『Odelay』

Odelay

Odelay

11. The Cardigans - 『Life』

Life

Life

12.Rickie Lee Jones - 『Pirates』

13. Oasis - 『(What’s the Story) Morning Glory?』

14. Jeff Buckley - 『Grace』

15. Alanis Morissette - 『Jagged Little Pill』

16. Jamiroquai - 『Jamiroquai

17. Lenny Kravitz - 『Mama Said』

18. U2 - 『The Joshua Tree』

The Joshua Tree

The Joshua Tree

  • U2
  • ロック
  • ¥1935

19. Nirvana - 『Nevermind

20. Miles Davis - 『Kind of Blue』

21. Keith Jarrett - 『The Köln Concert』

22. Keith Jarrett - 『My Song』

23. John Coltrane - 『Olé Coltrane』

24. Bruce Springsteen - 『Born to Run』

25. Joe Jackson - 『Night and Day』

26. The Police - 『Synchronicity』

Synchronicity (Remastered 2003)

Synchronicity (Remastered 2003)

  • ポリス
  • ロック
  • ¥1069

27. Peter Gabriel - 『So』

28. João Gilberto - 『João Gilberto in Tokyo』

29. Talking Heads - 『Remain in Light』

30. Pink Floyd - 『The Dark Side of the Moon』

31. Pink Floyd - 『Atom Heart Mother』

32. Brian Eno - 『Music for Airports』

33. Led Zeppelin - 『Physical Graffiti』

34. Steely Dan - 『The Royal Scam』

35.Steely Dan - 『Aja』

Aja

Aja

36. David Bowie - 『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』

37. Stevie Wonder - 『Songs in the Key of Life』

38. King Crimson - 『In the Court of the Crimson King』

39. King Crimson - 『Red』

40.The Velvet Underground & Nico - 『The Velvet Underground & Nico

41. Paul McCartney & Wings - 『Band on the Run』

42. John Lennon & The Plastic Ono Band - 『John Lennon/Plastic Ono Band』

43. Todd Rundgren - 『Something/Anything?』

44. Carole King - 『Tapestry

Tapestry

Tapestry

44. The Who - 『Quadrophenia』

45.The Beatles - 『The White Album

46.The Beatles - 『Rubber Soul』

Rubber Soul

Rubber Soul

47.The Beatles - 『Magical Mystery Tour』

48.The Beatles - 『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』

49.Robert Wyatt - 『Rock Bottom』

50.Mike Oldfield - 『Tubular Bells』

51.Carly Simon - 『No Secrets』