amazarashiもそうだろといえばそうだが、基本的に自分の中で、アニソン系統以外で普通に好きっていうだけで過去にデカい記事1本とアルバムレビュー1本を出していて、そこまで音楽家として飽きも来ていない日本ミュージシャンという括りの中でamazarashiはかなり頑張ってる方でなので、普段ALレビューとかは率先して書かないのですが、今回は『永遠市』の音源を聴く前から書こうと決めていたので書きます。どんなに守備範囲が広い人でも、結局は収まるところってあると思います。その意味では自分の中ではamazarashiは収まっている側のアーティストなのかもしれません。そこまでの熱狂さするほどではないが、新作が出ると聴かずにはいられない。という意味ではある種の税金みたいなものですね。良作であろうと、駄作であろうと「amazarashi税」みたいな。
ということで、新作レビュー記事になるわけですが前作の『ロストボーイズ』は例外で、気軽に聴いていたら最高傑作が来てしまったので急いでこの凄さを伝搬せねばならないと思ったのでわりと偶発的です。sai96i.hateblo.jp
・枕詞/前置き&本作にタイトルについての考察と答え合わせ
七枚目にしてモチーフがSF。これは正直驚きました。amazarashiというと、今やかなりその色は晴れているとは思いますが、初期こそは厭世感を太宰や宮沢賢治、寺山修司の言葉を引用して音楽に合わせて詩的な歌詞を歌うというアーティストだったので、そこから考えると随分とテーマ性がSF寄りになったなと。勿論オーウェルの『1984』(一九四七年)や『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(一九六八年)及びその映画『ブレードランナー』(一九八四年)やをモチーフにした傾向はもとよりありました。しかし上記二作は最早文芸やアート、カルチャー全域に渡り、普通の作品としては考えられないほどの広がりをみせている作品であるため、媒体は何であれ、むしろその手の作品を出さない方が難しいところまで来ていいます。この点に関しては、最早文脈は一切無視して、かっこいい・響きがいいとかそれだけの理由で、邦訳SFネタを使う人が増えたせいで安直に使う人とかも結構いたりします。
Music Synopsisの読者的にローカライズして書くならMarprilの作品だったり
(キミエモーションおすすめ)
長谷川白紙楽曲提供で、随一の狂い具合を誇る楽曲『光る地図』が収録されているALはこれだし
まぁ今なお、こういう領域ですら、(あるいはこういう領域だらこそ)血気盛んなにSFネタをあて擦るって使われます。そう考えていくと、表現者という人たちがこういう行為をすることはある種の通過儀礼的なものでしかないのです。勿論、その中にはしっかり意義がある作品と、そうではないただの借り物でしかない愚作の両方があるわけですがそれは別の話として。
秋田ひろむ今回、アレクサンドル・コルバコフという、旧ソ連のSF作家の作品『宇宙の漂泊者』という大昔の作品を提示してきました。普通ならストルガツキー兄弟あたりの引用で想像力が止まってしまう人も多いなら、アレクサンドル・コルバコフを引用したのは中々面白いと思います。
作劇における「永遠市」というのは端的に書くのであればホールドマンの『終わりなき戦い』が一番分かりやすい例だと思うのですが、ああ言った形で、宇宙空間生活が長すぎて、地上時間軸と乖離差が出てしまった人を「相対性人」と呼び、そういう人たちがクラス空間を「永遠市」と呼ばれている。というのが単語の由来です。しかしここまできても、SF的なものをアプローチしていると、断言してしまうのもまた疑問。恐らく秋田ひろむは「永遠市」と呼ばれる概念そのものに着目したのであって、SF的な世界観で作品を出すというのはどうも想像しきれない。SFにはタイトルの響きで決めるタイプの作品があって、これも分かりやすい例で書けば故・伊藤計劃の『ハーモニー』(二〇〇八年)とかがまさにそうなのですが、単語の持つ響きはいいけどそれが意味するものが凄い怖いというような、タイトルにおける映画的対位法とでも形容すべきでしょうか。つまり「民族浄化」という言葉がもつ響きと、それが意味するもの。というのを考えた時の差異みたいなものに秋田ひろむも惹かれたのではないかなと思ったりします。もっとも安直に言って仕舞えば、秋田ひろむは村上春樹も当然通ってはいると思うのですが、それでいうと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』における、「世界の終わり」or「ハードボイルドワンダーランド」の世界・空間を作品内テーマとして取り上げたい。そんな気がするのです。むしろそういうある種の内閉的異空間に焦点を当てて作品を紡いでいく。そういったアプローチのほうが強いのかなと思ったりします。完全にSF調でいくにはamazarashiの音楽性ではちょっと厳しいものもあります(ベクトルが違うという意)
なんて書いたんですけど、HPみたらしっかりと基調されていました。
音楽で生きてゆくと腹を括った瞬間があった。それは、そのころの僕にとっては、世間一般でいうところの”幸福”や”安定”との決別と同義だった。
社会的に生きてゆく術も持たず、属する場所もない僕は、この星の人間ではないのだろうと感じていた。そんな僕が生きてゆくにはこの地球とは別の価値観を持つ他の世界を探す必要があると思われた。そしてそれを実現できる可能性があるとすれば、唯一音楽だけがその方法たり得ると考えた。僕にとっての探査機になり得ると。
僕にできることは限られていた。というより、僕ができることで人の心を動かすことができるものは限られていた。孤独や疎外感、怒りを音楽にした。僕が望んでそうした部分もあるが、大半は人が褒めてくれる方へ、認めてくれる方へと導かれた気がする。少なくない共感者が僕らを見つけてくれた結果、僕の世間外れで独りよがりな音楽は不思議と社会性を帯びてきた。以前は居場所がなく疎外感を感じていたこの地球に「居場所がないと歌う」という居場所が与えられた。それはときに滑稽に思えたが、嬉しくもあった。戸惑いももちろんあった。その居場所に抗ってみたこともあったし迎合したこともあった。新しく出会うこの世界の住人と、相容れない思考と言葉をなんとか駆使し、この社会とコミュニケーションを図った。その過程がこのアルバムだ。
この秋田ひろむのお言葉は長いので、いい感じにを要約すると
- 現実に適応が難しい≠地球の生物ではない。ゆえに別の価値観をもつ世界を探す必要があり、移動手段的を可能にしてくれるロケットみたいな装置が音楽である。
- 限られた手法で手練手管で自分なりの厭世観をもった音楽をやっていたら案外受け入られたので、そういう場所で出会う住人=相対性人が暮らす社会=地球とのコミュニケーションを音楽的に録ってみました。
みたいな感じなるので、やはり、異なる場所というモチーフとして引用したことみるほうが正解に近いと思えます。それにしても、しっかりと引用元を提示した上で作品を作るというスタンスは本当に素晴らしいですね。全ミュージシャン様はこうあるべきだと思います。コラージュの時代だからこそ引用元を提示すること自体は当たり前であって欲しい。どうせ隠してもバレるのだから。
・本編
では早速作品内世界について入っていきます。
その前に一言加えるならトラックリストの順でタイトルを読むと『超新星』からの『クレプトマニア』=盗人マニア、『ディザスター』=大惨事がおきて、更地ならぬ、『まっさら』というのがいい感じに終末的な世界へ向かっているなと思います。
amazarashiは基本風景として夜が多いけれど、今回はあくまでもイメージとしての感覚だけれど、朝っぽい感じします。それ加えてトラック名に色々隠されている感がすごいですがそれは各トラックの感想で書きます。あらかじめ書くと割と厳しめです。
01.『インヒューマンエンパシー』
冒頭トラックとしては正直弱い。だって『ボイコット』のno.1は『拒否オロジー』だし、『七号線ロストボーイズ』では『感情道路七号線』で
生きるために死んで 享楽にえずいて 欲しいのは機関銃
という感じで始まる強烈さというものが前作と前前作ではしっかりと積み込まれていたのに、今回はトラック1から引き込まれる感覚がない。どっちかというと3トラックあたりに入っている感が強いなと。
02.『下を向いて歩こう』
ご存知、タイトルは『上を向いて歩こう』のパロディではあるものの、こういうアプローチものって思いつきそうで思いつけない微妙なラインではありますが、このタイトルで出してくるのが如何にもamazarashiという感じがして流石だなと思います。
03.『アンチノミー』
アンチノミー、二律背反。
・感情を持つな→先が辛くなる
・人を愛するな→弱さにつながる
・自ら選択するな→安寧がゆがる
・情けはかけるな→白黒の間のさまざまな色彩(グレーみたいな)に戸惑ってしまう
・知性はもつな→真実を知ってしまう
というまず否定から始まってなぜなら、、という歌詞を語る作品です。
歌詞は過去作『古いSF映画』からの発展系みたいな作品だなと思ったりした。『古いSF映画』では
人が人である理由が
人の中にしかないのなら
明け渡してはいけない場所
それを心と呼ぶんでしょ
と説いていた。ここでは、創りものの世界だとしても人であるという規定に達するもとして受け入れないといけないものが心であるという歌詞になっている。
今作では、
機械仕掛けの涙 それに震える心は誰のもの
という歌詞が象徴的な一文になっている。全体として見た時に、あらゆるものが最初から全て設計されている。そうした造り物の中で発生する心情は誰のものだという展開が待っている。歌詞の中で展開されるいくつかのキーワードの中でも最もamazarashi的にキレのある歌詞は
世界は数多の問、繰り返す 返答だけならば機械にだってできる
僕だけの迷いこそが 人の証左となるなら
意味を捨て 意思をとれ
でしょう。応答だけなら機械でいいじゃん。そこで迷うことが人の証明という一文はいかにも秋田ひろむっぽい歌詞だなと思います。
04.『ごめんねオデッセイ』
冲方丁における『バイバイ、アース』みたいなネーミング。そしてお馴染みのポエトリーリーディング。この曲は独白がメインで曲というよりかはメッセージ性を高いタイプの楽曲だと思います。過去作でいうところの『メーデーメーデー』にあたります。
だからその具合は流石です。今回のコンセプト性を上げるために小ネタとして挙げられるのが
後に分かるメッセージ、
次元を超えるクーパーとマーフ
これは『インターステラー』ですね。この歌詞はあの映画におけるホルヘ・ルイス・ボルヘスの『バベルの図書館』を彷彿とさせる本棚と次元が繋がっているみたいな展開や主人公とその娘の名前の引用をしていることからも明らかです。今回の世界観はSFだからこその採用だとは思いますが、一映画ファン的には『メッセージ』(原題:arrival)を採ってほしかったなという謎の願望が生まれたりしました。他にも、秋田ひろむは今後、ボルヘス的な世界観を採用して欲しいなと思ったり。
05.『君はまだ夏を知らない』
純粋にいい曲というのが感想としてあります。夏というとそれこそ『夏、消息不明』や
名曲『夏を待っていました』
とかをやっていた時代からすれば、こんなにも明るい詩で夏を書けるようになったのかとか色々と感慨深いものがあります。amazarashi大特集の時書けなかった小ネタを披露すると、一度ツイートはしているのですが
amazarashiの夏を待っていました(2010)の構成って、よくよく聞けばステレオフェニックスのKeep Calm and Carry Onに収録されている100MPH(2009)な気がしてきたな。仮にそうだと仮定すると、秋田ひろむの音楽的ルーツはイギリスのポストロック派ということで、もっと読み解ける。
— rino (@Articlecrafter_) 2022年7月3日
『夏を待っていました』はステレオフェニックスの『100MPH』が元ネタです。
なので、某ボカロPの作品と併せて比較してみると面白いです。
06.『自由に向かって逃げろ』
『明日にむかって撃て』とか『俺たちに明日はない』を彷彿とさせるネーミングセンスは流石。これは多分意識的ですね。理由:「自由」と「逃げる」が同居しているのはそういうタイトルは往々にしてアメリカンニューシネマにかぶれている人だから。あるいあ
『自由からの逃走』でも読んだか。まぁ真偽はどうでもいいのですが、タイトルはそういう意味合いが強いなという意味です。
冒頭から間奏みたいなメロディから始まるこの楽曲は、
07.『スワイプ』
amazarashi初期からある、昔〇〇だけど今じゃ××という芸風の作品ですね。ただ、コンセプトを考えるとちょっと弱いかなと。『ボイコット』における『夕立旅立ち』みたいなポジションを感じずにはいられない。
08.『俯きヶ丘』
lofi的なbgmに惹かれ過ぎて歌詞なしで、インスト楽曲でもいいのではないかと思ったりした。少ない楽曲で色々詰め込んだ感はありますが、それこそこのテーマで5mくらいで作ってくれたら最高だなと思ったり。
09.『カシオピア係留所』
宮沢賢治の影響〜というのは最早誰もが理解するところではある。そしてこの手の楽曲で秋田ひろむが仕掛けてくるのであればそれは絶対外してくるわけがない。イントロが結構amazarashi的には『スターライト』的な味を残しつつ、新しいタイプだなぁと思いました。そしてあのイントロんがら、『スターライト』的な感じには繋げないのもいいですね。多分アルバムの中で一番完成度が高い楽曲になっていると思う。応援歌的な側面もありながら物語的な視点、そして体系的な目線が入っている歌詞という真骨頂を感じました。
その痛みは共通言語だ
あらゆる詩を歌い、最終的に「それでも」痛みだけは共通というテーマは雨晒し的な側面も感じました。
10.『超新星』
韻を踏む、tha blue herb的な感じでラップを連ねていく曲で、単純にいい曲としか感じない一方、小ネタの方にむしろ反応してしまいます。
幸福は過ぎた願い 目を背けた青空 虚飾も卑下も脱いでなお残る我がアートマン
多分これって『暗黒神話』におけるヤマトタケルの転生した山門 武がブラフマンからのアートマンに選ばれるっていうあそこから来ていると思います。というよりも日本においてアートマンの認識は諸星大二郎の影響が強すぎるので。
11.『クレプトマニア』
セルフパロというべきか
書き下ろした数千行と等価
最後につじつま合わせる僕等
あたりでちょっと笑ったことと、イントロがnujabesの『ordinary joe (feat. Terry Callier)』
みたいな感じで、8もそうですけど、どこかlofiの匂いがするなという感じ。多分これは編曲者の趣味かなと思ったり。秋田ひろむの指示ならそれはそれで色々と可能性を感じますが、正直そういうタイプの音源を作るタイプの作家かどうかといえばNOだと思います。作れって言われたら作れるのでしょうけれど笑。
12.『ディザスター』
秋田ひろむの表現者としての心情性が強い所はいいです
延々待っても来ない順番は 不名誉が僕らの名誉で
が、タイトル負けしてるという印象が強い。十分歌詞としての強さは感じるが、それでもタイトルの『ディザスター』という言葉の持つ力と同程度の強度を持っているかどうかといえば、もう少し踏み込んでほしかった感があります。
13.『まっさら』
ギター一本という秋田ひろむの歌唱が一番光るタイプの曲だなと思うのですが、このトラックリストから想像する「まっさら」とは違い、上書き保存の積み重ねで、ゼロの状態=白紙には戻れない僕らというモチーフで進む楽曲だったので、SF的な意味でディザスターが降ってきた終末です。はいおしまい。という空気を勝手に感じていた身としては、このアルバムでこのテイストを入れるんだっていう感じですね。いい曲だけど『永遠市』のビジュアルや世界観からはあんまり想像できないタイプの曲なので、全体的にクオリティに文句はないが、別のアルバムで聴きたかった感がすごくあるという意味では惜しい楽曲だなと思います。
総評
10点満点中6.5点くらい。前作のあまりにも出来が良すぎたアルバムに比べたら本作は印象に残る曲も少ない。歌詞の一文で面白いところや共感する部分は多少なりともありますが、全体的なアルバムとしての統一感もない。特に8,11の3分にも見たいな系の曲は、アルバムでは聴きたくないと思うわけです。あと「こういう世界でアルバムを作りたい」という心意気はわかりますしそれは各楽曲にもしっかりと込められているのですが、上手く落とし込めていられているかといえば正直微妙ですね。イメージだけが先行していて楽曲が追いつけていない気がします。まだ一周しただけのファーストインプレッションなので、断定までしきれないが、過去作の傑作を考えればもっと作り込めることはできるはずなので、今後に期待したいです。けれどこれらは実力云々では片付けるのは少しもったいなく、最高傑作を更新してしまった前作『七号線ロストボーイズ』と比べたらという評価軸でありこれまでの全てのアルバムの中ではそこそこ頑張ってる作品だと感じましました。前回からさらに進化していく過程で恐らく9枚目か10枚目で今開拓している方向性でまた傑作が生まれてくると信じていますので、そのための第一歩として捉えるのであればかなりいい方向進んでいることは提示できていると思えるだけのアルバムとしては意義を果たしている。
個人的には歴代アルバムで傑作度順に並べるのであれば
という感じですね。あくまでもアルバム全体の完成度であって、個々の楽曲をあげればまた変わってきますが。初日ということもあり時間が経てばまた『永遠市』における印象も変わるかもしれませんが、暫定的には「いまいち」という感じです。部分的にいい曲があるのはプロの仕事である以上、当たり前なのでそこに関しては一々触れる必要はないですね。全部書いた後に結構批判的だなとか、曲よりもイメージ感想が多いなと思ったのですが、それって、本作がしっかりとコンセプトと楽曲を美しく接続仕切れていないからなのかなと思ったり。『ボイコット』を考えた時のあのトラックリストと、『永遠市』というSFコンセプトでの今回のトラックリストを考えた時にどっちがより充実しているかと言えば間違いなく、『ボイコット』だと思います。まぁ好きなアーティストだからといって、好意的な文章だけ書くのも違うな、間違っていると思うところがあるので、こんな感じになりましたが、まぁ前作の非の打ち所がない傑作の後というのが良くも悪くも今作を微妙にしてしまった感は否めません。
というあたりで締めようと思います。では。