Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

EGOIST『当事者』の歌詞の母音の流動性について

別に『Psycho-Pass Providence』(二〇二三年)における作中の常守の心情を表した歌詞の重みとか、そういった話ではない。ryo(supercell)の歌詞の母音の追求力の果てが見え、chellyの母音の発声の強さがより明確にみえたという話です。

当事者

当事者

  • EGOIST
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

この時から歌詞の流動性の異常性には気づけてはいたのですが、中々切り出し方が難しく、出すのが遅れてしまった。本来であれば公開日あたりに出したかったのだが。

ryo(supercell)については記事として2回特集し、尚且つ諸事情あって、第一回のみで停滞しているものの音楽総論シリーズが進行中であるため、省く。

 

sai96i.hateblo.jp

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(一層のことryo(supercell)のことだけを語っていたいという中の人の気持ちが強い)

以前アニソン派で堀江晶太が歌詞を作るのが苦手であるという発言があった。

当記事のレポ記事より

sai96i.hateblo.jp

田淵:ベビレでは作詞の才能をやっているが才能があったのでは? 作詞はやりたかった? 
堀江:やりたくなかった。作詞は恥ずかしいし、言いたいことないな。こういう音楽がしたいという表現に歌詞というのもなかった。なんで書いたのかまぁ仕事としてで、そこから作詞というものに向き合ってなるようになった。

田淵:実際やってみてどうか
堀江:大変。一番カロリーが高い。メロディ、アレンジは「こういう感じ」というのが分かるけど作詞は一番無からの状態だから苦手。

あれだけ(どの楽曲群を指しているのかは読み手の好みに任せます)の歌詞を書いてきた堀江晶太ですら、歌詞が苦手である事実。これは歌詞そのものを作ることの難しさを表しているが、その次の段階になると恐らく歌詞と楽曲のバランスというのを一度は考えるはずである。尻切れ蜻蛉のような言葉運びだと、楽曲がださくなってしまうためどんなミュージシャンであっても絶対に一回以上、言葉選びには気を使うはずでありそれはアマチュアでも多分変わらない。

これはフォロワーのツイートだが、凄くいい点をついている。韻のバランス。

今回取り上げる『当事者』ではかなり韻を踏んでいるのだが、非常に拘りを感じられる場面がある。そしてそれはボーカルディレクションに相当気を遣われたことからも明らかであるといえる。

tower.jp

「当事者」という楽曲は、音作りやボーカルワークを含め制作の段階でたくさんの試行錯誤の上できあがった作品です。
ブレスの位置などの技術的な部分でのディレクションいつもよりだいぶ細かく入ったのですが、この歌詞を前にしてそんな理屈くさいものは不要では?と思ってしまうくらい、

基本的にどの節をとってもその細かさを感じることができるが、これが最も顕著に現れているのはこの一節であると考えられる。

あとどれだけ理性を保っていられるのだろう

歌唱では「あとどれだー/けりー せいをたも/っていられるのだろう」という区切り方をしている。一文として読む分には誰にも分かる歌詞であるが、それが歌になるとこのような異質さが現れてくる。つまり、歌詞をそのまま楽曲に載せるのではなく、単語を崩してまでも母音の流動性を意識することで、崩すことで歌詞としての違和感をもつものの、それを打ち消す形ですんなり聴けるという楽曲に仕上げている。先の歌詞をローマ字で書くと

atodoreda/keriseiwotamo/tteirarerunodarou

となる。そして更にここら母音を抽出すると

a(t)o(d)o(r)e(d)a/(k)e(r)i(s)ei(w)o(t)a(m)o/(tt)ei(r)a(r)e(r)u(n)o(d)a(r)ou

aooea/eieioao/eiaeuoaou

となる。母音すると最後のeiaeuoaouの区切りがとても目立つ。

「っていられるのだろう」という所がとてもきめ細かい。tteという小さい「っ」から始まるところからして異質である。

 

そしてchellyの歌い方が母音の発音が強めであることがわかる。それが顕著な一節が

遠くで聞こえる罵声と絶叫

人はこんなにも美しいのに

前者の場合罵声の発音がどうも自分にはbaseiとzekkyoという感覚に陥る。そのため初回オンエア時はaseitozekkyoというふうに聞こえていたせいで歌詞が掴み取れなかった。後者の場合

hitohakonnanimoutukusiinoni

という発声の中でもhitohaのaに入るタイミングがパッと<↑という感じで急に上にスライドするように発声が強めになる。

 

今回の曲調はこれまでのEGOISTの楽曲、というよりもPSYCHO-PASSとはテイストが明らかに異なっている。テンポは『名前のない怪物』や『Fallen』のような速さではなく、だからといって亀田誠治サウンドワークスの傑作椎名林檎の『ギプス』よろしくの『All Alone With You』といったボーカルの持つ歌声に力点を置かせたバラード調とも言い難い。何方かと言えば歌詞を強調させる&母音を強調させるために敢えてローリズムという感覚がある。この時点で量産型な邦楽ではないというryo(supercell)の確固たる意思を感じてならない。今更ながらだが、ryo(supercell)supercell)が洋楽厨であることはいい加減しられており、その感覚はこれまで発表されてきた楽曲からも何となく察することができる人も多いはずだ。しかし今回の『当事者』は明らかに洋楽的な作り方を意識された楽曲であると、先の母音の区切り方からして、誰もが感じるはずだ。

ラジオで最速オンエアされたものを繰り返し聴いていた時、最初の1,2回目では歌詞がわからなかった、と言うよりも歌詞をみて初めてどういう歌詞を歌っているのかを理解することができた。そういう現象は今回が初めてではない。ryo(supercell)の楽曲を聴いていると時たま歌詞が聞き取れないことがあるという体験をした人も少なからずいると思う。

ここでいつくか他のEGOIST楽曲の歌詞を挙げる。

その1.『Fallen』より

Fallen (from BEST AL“ALTER EGO”)

Fallen (from BEST AL“ALTER EGO”)

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隣でそれは歌い出す What was I  born for ねぇ私を愛して

この場合は「歌い出すWhat〜/was I born for/ねぇ私を愛して」という区切りになる。what(母音がaなので繋げやすい)の入れ方、端的に言えば「歌い出すあー」という切り方でwを少しだけ入れることで成立させている。からの「ねぇ」に至るまでの過程があまりに綺麗な流れ。しかし一回聴いただけでその区切りに気づける人は大凡いないであろう。

その2.『The Everlasting Guilty Crown』より

The Everlasting Guilty Crown (from BEST AL“ALTER EGO”)

The Everlasting Guilty Crown (from BEST AL“ALTER EGO”)

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  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

希望を灯はやがて消えていく 「灯をよこせ」と奪い合い

実際の歌唱では

希望を灯はやがて消えていく/「灯を/よこせ」と奪い

という風に区切られている。この場合は歌詞そのものは聞き取れるが、灯という単語を先の置いた上でその先の歌詞を展開させる手腕もまた歌詞の流動性を意識しているに他ならないと考えられる。

 

『当事者』以前の例を挙げも切ないが、以前から実際の歌詞と、歌唱における歌詞とを比べると、歌う時には意識的な崩しが入っているが分かる。

ではこの区切り方は何であるかと言えば洋楽のポップスでは割とありがちだなとはおもうのですが、中でもジャスティン・ビーバーのような

Intentions (feat. Quavo)

Intentions (feat. Quavo)

  • provided courtesy of iTunes

この辺りは実際にryo(supercell)にどこまで凝っているのかを聞いてみたい所だ。

英語における音(アクセント)とリズムというのはまた別途に考えたいところではある。英語といっても国によって発声の違いというものは当然ある、故にアクセントの違う人たちが歌う英語もまた、違ってくる。その感覚についてはいずれ。しかし聞くところによると北米のアクセントは面白いと言われている。そしてジャスティンビーバーもカナダ人なので、北米のアクセントならではの魅力があると考えることができる。そこら辺を起点として書くことができればいいなと思ってます。

 

本来洋楽的なアクセントを邦楽でやるような楽曲が存在するだけでも*1恐ろしいなと思ったので記録的な意味合いも兼ねて書きました。今回は歌詞の母音というどこに需要があるのかがわからない題材をテーマに書いたが目新しいものでもなんでもないというのが本音だ。ryo(supercell)のボーカルディレクションについては一般ツイートでも検索をかければ割とヒットするし、やなぎなぎを起用している麻枝准なんかはその凄さをずっと前から見抜いていたし、ツイートでもその趣旨を明かしている。ようは分かってる人には当然、というよりも何を今更という話なのです。

つまりありふれネタなのだが、『当事者』というある種決定的な楽曲が発表された以上、末端のブログで書き起こしてみるのも一興かと思い書いたまでです。

それではこれで終わりたいと思います。

※別途で気づいた点があれば、随時追記していきます。

*1:自分が知らないだけで多分前例も0ではないと思うが