Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

『キリエのうた』を鑑賞した感想と戯言

音楽ブログなので、映画の感想を投げるのも中々気がひけるのですが、本作は音楽映画とカテゴライズしてもおかしくはないので、「音楽映画」的な感じ感想を書くのは別に音楽ブログ的には全然ありだなと思ったので、雑多ではありますが、色々書きます。単純に今年は全くブログ記事を出せていないので、せめて小難しくなく誰でも気軽に読める程度の記事は出しておこうと思ったという理由もあります。

 

 

岩井俊二監督、音楽小林武史という絶妙な組み合わせの新作『キリエのうた』を最近見ました。タイトルからして、「はいはいミサ曲ね」って感じではあるのですが、これは『リリイ・シュシュのすべて』におけるドビュッシーの最初の奥さんの名前の愛称と二番目の奥さんとの間に生まれた娘の名前の愛称を繋ぎ合わせたものである、みたいな遠回しすぎるほどの文脈に比べればまだマシだとか、色々夢想したわけですが、映画そのものは、若干過去現在の描写の切り替え編集が個人的には微妙で、過去パートに少し冗長さを感じたこと以外は普通に面白い映画でした。そして本作には2017-2019くらいにヒットした曲がカバーするという形で流れてきます。タイトルを挙げなくてもこの年代にヒットした曲といえば皆さん大体察しがつくと思います。そして、出てる演者繋がりがちょっとしたヒントにもなってる。まぁそこはどうでもよくて、個人的になんでこれを見に行ったのかといえば、音楽が小林武史だから。『リリイ・シュシュのすべて』における『呼吸』

Kokyuu

Kokyuu

や、『スワロウテイル』におけるYEN TWON BANDの『Montage』

よろしくのKyrieのアルバム*1『DEBUT』

DEBUT

DEBUT

  • Kyrie
  • J-Pop
  • ¥2444

もあり、個人的には小林武史が紡ぎ出す音楽そのものに興味があったものですから、映画を見に行くというよりも「小林武史の音楽を劇場で聴きにこう」というテンションで臨んだのですが、まぁその意味では今回の『キリエのうた』の楽曲はそこまで刺さるものがなかった。時間が経てばこの感想も変わるかもしれないのだが。要因としてはこの手の暗鬱かつ、ハスキーな女性シンガーを軸としたものって、それこそ『呼吸』や『Montage』で散々やったからもういいよというのが大きい。無論、小林武史だからこそクオリティは非常に高いですが、申し訳ないけどこれくらいなら過去にリリースされた楽曲の方が完成度の具合には及ばない。これは大昔に出した拙作の小林武史プロデュースベスト盤記事でも書いたように、かなりクオリティの高い作品として自分は評価しています。

sai96i.hateblo.jp

 

あともう一つ、通常のギターver.のものを弦を使ったアレンジという手法もいい加減、聴き飽きた。これって、『小林武史-work I』における『to U』をpianoバージョンにした『to U (Piano Version)』でも見られた傾向。本作では『キリエ~序曲』が最終的に『キリエ・憐れみの讃歌』になるわけですけど、ここでやってることって完全にラヴェルの『ボレロ』だし、なんならMr.Childrenにおける『bolero』なわけですよ。アプローチが全くもって同じ。たしかに『bolero』のトラック1の編曲は中西俊博ですが、あのアルバム全体のプロデュースは当然小林武史なわけですから、意図としては小林武史が提示したものだと考えるのが普通ですし、それを裏付けるように今回の『キリエのうた』で歌曲と『ボレロ』を組み合わせている。しかし、これらは音楽だけを聴いた場合のみにおける感想であり、作劇との組み合わせでみればなるほどねとなることもある。

 

ラストにおいて、主人公キリエがストリートミュージシャンと路上ライブで、オーケストレーションのアレンジver.の曲を歌うのですが、そこで騒音だ、っていう苦情が入って、許可どり云々で主催者の責任者ともめ、結果的に許可書がなくて警官が制止しようとするも、それに気にせず周囲の楽器隊がメロディを奏でる中央で歌い続けるっていう構図があるのですが、ここで『ボレロ』を彷彿とされるものを流して、中心に主人公のキリエは構わず歌い続け、観客もいい感じに盛り上がるっていい感じの雰囲気が出るわけです。作中、主人公は幼少から現在にいたるまでキツイ環境と、面倒臭い人間関係の中で生き続けているわけで、基本的に喋れない、が歌は歌える。基本この設定で押し切ってるわけですが、踊りが得意で、幼少期自体はバレエを習っていたという設定もあるから、バレエにおける「ボレロ」文脈も当然あるわけです。これがラストに結実していると考えると中々巧妙で色々と効いてくるわけです。つまり、「ボレロ」的な感じで演出したかったのねと、ここで観客は初めてあの楽曲の意図するところを理解するわけです。あと側から見たら主人公の意思で色々な面倒なもの(本編では警官の制止を気にしないでという事が)吹っ飛んで歌を続けるという構図は、サブカル的に形容すると、主人公の意思=世界そのもの、みたいなというある種のセカイ系と称される感じもしなくはないが、その手の話は面倒なので、別の人に回すとしましょう。

アルバム『DEBUT』の中のトラックで一番よかったのは、『ずるいよな』と『虹色クジラ』『宙彩(ソライロ)になって』の3曲です。『宙彩(ソライロ)になって』とかは、それこそプロデューサーである小林武史感の色合いが十二分に味わえます。メイン曲として結構流れるの『キリエ・憐れみの讃歌』とか『名前のない街』も普通に良い曲ですが、ボーカルの癖の強さが楽曲の感覚を超越していて、正直そこが合わない。というよりもこれらの曲は映画における物語を通して初めて機能するタイプの曲なので、一楽曲として聞いた場合、他の収録曲と比べると少しだけ魅力が半減しているような気がする。ryo(supercell)と小林武史が組んだ唯一の楽曲『言葉にしたくてできない言葉を』も同様に癖の強い歌手の楽曲だったのですが、そこには癖が強いなりの説得力のある楽曲だったので、普通に聴けたのですが、あれは小林武史ではなく、ryo(supercell)のボーカルディレクションの賜物なのかなと。色々書きましたけど、小林武史音楽が聴ける映画としては普通に面白い作品です。作品の筋書きも変にこねくりました感じもない真っ当で分かりやすい物語です。

 

最後に

この映画を見て、斜に構えてでも面白い論評はないかと思って色々と探したら、鈴木敏夫Pが非常に的確な一文を出していてこれが案外面白い視点でした。

アイナは藤圭子に似ている。
ふたりとも世界を恨んでる。

藤圭子についての説明はもはや説明不要なので飛ばします。実際映画を思い出すと「言うほど恨んでいるか?」とか思わなくないのですが、感覚としてそういう風に鈴木敏夫Pには映ったというだけの話なので、そこに対する是非はともかくとして、そういう風に表現する視点自体は結構大事であると。映画プロデューサー以前に、鈴木敏夫Pは作品を良い感じに読み取る力は本当に面白いなと思います。

 

この記事を読んで少しでも気になった方は是非ご覧になってください。3hありますけどあんまり気にならない長さです。

 

 

 

 

 

*1:『DEBUT』というアルバム名も、小林武史のことですから、ビョークの1stのタイトル『début』とかけてたりするのでしょう。あと単純にデビュー作という意味合いも持つでしょうから、ダブルミーニング