・前置き
日本には劇音楽における巨匠がたくさんいます。スタジオジブリの劇伴で有名な久石譲
戦場のメリークリスマスなどで知られ、アカデミー音楽賞を日本人で唯一受賞するなど国際的に評価された坂本龍一
(19年に書いた拙い記事を一応貼っておきます。そのうちリメイク記事だします)
ストラヴィンスキーに魅入られるほどの異才:武満徹など、誰もが名前と楽曲を一度は聴いたことがある名作家たちです。伊福部昭もその一人。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムに足跡と名前を刻むまでに有名になったゴジラのメインテーマを作曲したことで知られています。その一方、特撮映画音楽家としての評価が定着しているがために、広義の意味での作曲家としては評価されにくいというのも事実。なので今回はそういった風潮・思い込み・誤った認識に対して、実は見事なまでに音楽の文脈、学問に沿った存在であり、日本を代表する「作曲家」であるということを読んでいる方々の意識をアップデートさせたいため、経歴と楽曲における仕組み・構造を解説するという、いつもより凝った構成になっています。
以下本編↓
・伊福部昭の作曲家の略歴
きっかけで13歳から作曲を始め、そこから経験を積んで1932年に北海道帝国大学農学部林学実科(現・北海道大学)へと入学。そこで文武会管弦楽部へ入り、早坂文雄、三浦淳史などと結託し、第一バイオリンの主席奏者を担当。34年には新音楽連盟を結成。ストラヴィンスキー ,ラヴェル,サティ,ルイス・グリュンベルク,アルフレード・カゼッラ,マニュエルドファリャなどの海外作家の紹介するという活動。その一環で演奏をすることがあったらしいのだが、Vin 伊福部、piano 早坂文雄でサティの右や左に見えるもの〜眼鏡無しで
を奏でるという、今考えるととんでもない組み合わせの演奏もあったとか
(一応説明を入れると早坂文雄は黒澤明の7人の侍や羅生門といった代表作の音楽を担当)
三浦淳史については、伊福部昭は自分を作曲家になる入口となった存在と評しているのでやはり熱い関係と言えるでしょう。
35年、日本狂詩曲を作曲。
それをチェレプニン賞に応募(日本人を対象としたものだが)すると。ここで当時無名であった伊福部昭が一等に入賞。1936年アメリカボストンでセビツキーの指揮、ボストンピープルス交響楽団の演奏によって初演される勢いで国際的評価を獲得。その後チェレプニンの元でピアノの指導を受け、方向性を認められます。チェレプニンは伊福部の才能に惚れまくっていたらしく、当時両親に直談判してプロへの道にと進めたそうです。
1937年 アイヌ文化に慣れしたんだ素養とノスタルジアを詰め込み土俗的三連画を作曲。38年にピアノ組曲がヴェネツィア国際現代音楽祭に入選。
ここまでの経歴だけで単なる音楽作家ではないということがお分かりになったと思います。41年ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲を発表。そして、その後に発表されたヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲
ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲などと改題されたりしています。この楽曲の第1楽章のtutti(fff(フォルティッシッシモ),10~110db内の音の総和)=全奏のシークエンス「ゴジラメインテーマ」でお馴染みのメロディが流れることから(詳しいことは後述しますが)われわれがしっているゴジラのメインテーマはなにも「ゴジラ」だからああ言う音楽というわけでもないのです。そしてこの組み立てがラヴェルの協奏曲の楽曲性に近いと(後半で詳しく後述します)いうことなのです。
捉え方によっては単なる使い回しともいますが() 実際社長と女店員(1948)で既に使われているし。
終戦後プロの音楽作家として身を立てることを決意(意外なことに伊福部が専業作曲家になったのは戦後なんです)し、その後銀嶺の花で初映画音楽デビュー、以降300本強の映画に音楽提供をし、数々の名曲を生み出したことは言うまでもないです。 今の人からしたら「東宝怪獣映画の音楽の人」という印象になってしまうのはしかたないのですが、その音楽性はそれ以前に「作家性」としてあったものと言えます。
そんな伊福部が映画音楽を作るときに提唱していたものがいくつかあります。
伊福部は映画音楽効用四原則
・正攻法な音付と対位法
・時空間の設定
・画そのものが発してくる音楽的換起
・ドラマ・シークエンスの確立
映画音楽にできることはこの4つしかないと言います。これに関してもう少し説明を加えると
・状況の設定
西部劇音楽はエンリオモリコーネ、SWはジョンウィリアムズ、ターミネーターのテーマ「デデンデンデデン」のような音で映像を想起。
・エンファシス
「はい、ここで泣くところですよ〜」と言わんばかりの気分の増幅させる方法
・シークエンスの明確化
A,B異なる場面でも同一の音楽を流すことによって生み出される感動、怖さ、恐ろしさもの。
・フォトジェニー(音と映像の融合体)
久石譲と宮崎駿/押井守と川井憲次/今敏と平沢進/細田守と高木正勝/庵野秀明と鷺巣詩郎に代表されるアニメ作品によくある。これに関しては
「映画は音楽や効果音、ドラマツルギーを並べても意味はない。それぞれが機能し、時間的に並び立ったときにこそはじめて総合芸術として成立する。画面にはでていないが、どうしても表現したいものを音楽で伝える。」という一文に集約されている。
こういった映画音楽とは何か?ということを経験と知識をもとに理論立てて説明できる人だからこそゴジラ映画に適合する効能音楽を作り得たのだと感じます。
1940年から50年代の伊福部は日本舞踏会を担った代表的舞踊家と組み、目覚ましい活動を展開し、プロメテの火をはじめとする舞踏楽曲を発表.
中でも日本の太鼓"鹿踊り"とプロメテの火が有名ですね。前者は全体を通して音にしろリズムにしろ日本的であり、後者は音はやっぱり文化的だが全体を包んでいるのがオーケストラタッチといった感じ。
面白いことに伊福部作品の中でももっとも「伊福部節」を意識せずに聴ける作品だと思う。タプカーラにしろ、リトミカ・オスティナータにしろどこか「伊福部作品のいつものやつね。」といった既聴感はあまりなく、それこそ純音楽としての楽しめる作品である。 その後伊福部昭が追及し続けた先にあった音楽執拗に反復する律動。リトミカオスティナータ(1961年)。
22mにも及ぶ大作。あらゆる楽器が縦横無尽に動き回って音を密集させる中、ピアノは打楽器と言わんばかりの激しさを感じさせるほど音楽空間に張りめぐらす。音の強度が迫り来る伊福部昭の音楽観が惜しげもなく表われている一作。オスティナータがしつこいほど多用されている。そもそもタイトルが「執拗に反復する律動」を指すのでこれだけでもいかにカロリーが高い楽曲は察していただけるであろう。
・シンフォニアタプカーラ(Sinfonia Tapkaara)
1954年 伊福部昭はタプカーラ交響曲を発表。かつてチェレプニンに「バラキレフだって30年かかった。お前も次はシンフォニーと思うが、そのテクニックではまだ無理があるからもっと勉強してから挑戦」と言われていたが、それが遂に成熟したといえる。伊福部昭の音楽の特徴としてリズム重視とオスティナート(後のミニマルにつながるっていうのは久石譲回で書きました)のふたつがあると思いますが、それが存分に出ている作品である。
op.1番 Allegro op.2番 Adagio op.3番Vivace
※一応わからない人に説明しておくとopはopus=作品という意味です。
冒頭の音運びをのちに孫の伊福部達さんが緊急地震速報で人の耳に残る様式として採用。それらを用いて現在の速報音が作られました。なぜ冒頭の音運びが採用されたのか?それは和音に緊張を与える技法(テンションノート)が採用されていたから.
Cmajor7thに9th♯を足した音C7th(9th♯)とか、
C→C7th→C7th(9th♯)の順で流れる(はず)
で詳しいことはさておき、ここで緊急地震速報の音は先の映像音楽の四原則のうちどれに当てはまるのかを考えてみると。いくらテレビで呑気な番組、バラエティーが放映されていても緊急地震速報の音が流れた瞬間に不安感が煽られる。よってシークエンスの明確化。伊福部昭が提唱した概念を伊福部達は活かしきれているっていうのがいいですよね。効果は皆さんご存知の通り、あの音楽の裏側にはあらゆる理詰めが遺伝子レベルで詰まっているということです。
1,2番の落ち着き具合に比べ(二番もなかなか流動的でありながらメロディアス繰り返しが聴きどころです)、3番はまさに伊福部昭の真骨頂。音楽の三大要素である律動、メロディ、旋律が見事な成り立っている究極系。終盤のピッコロのいじめ具合には笑いが止まらない。まさに一種の完成形、最高傑作。音楽的色彩、律動反復、全ての伊福部音楽に根底する音楽が凝縮。ゴジラと同時期に発表されたこともあり、54年が伊福部昭の音楽人生における絶頂期と考えてもよい。純音楽である「Sinfonia Tapkaara 」と映画音楽「ゴジラ」を発表できるところに、作家としての二面性の両方で結果を出したといえます。私がタプカーラの三部作を聴いて「これはすごい」と思った一つにオーケストラというか、管弦楽曲の形態の在り方として最大の特徴である音の変動と強弱の変化というものを理解して作られているという点があります。音の変動と強弱の変化が象徴的な楽曲といえば、モーリス・ラヴェルのbolero(1928年)や、ホルストの惑星組曲「火星」(1916年),ストラヴィンスキーの春の祭典(1912年)といった新古典音楽主義以後であることがわかります。
旧来の親友である三浦淳史氏はシンフォニアタプカーラについてこのようにコメント
この一文を三浦氏が書いてるあたり「音楽人生における絶頂期」という感想は間違っていない。
そのほかにも交響曲としては怪獣映画の多くを彩った映画スコアを伊福部昭自身が編んだSF交響ファンタジーなるものを1983年に発表。
編曲の組み合わせはこのようになっています。
SF交響ファンタジー第1番
ゴジラの動機
間奏部
「ゴジラ」タイトル・テーマ
「キングコング対ゴジラ」タイトル・テーマ
「宇宙大戦争」夜曲
「フランケンシュタイン対地底怪獣」バラゴンの恐怖
「三大怪獣 地球最大の決戦」
「宇宙大戦争」タイトル・テーマ
「怪獣総進撃」マーチ
「宇宙大戦争」戦争シーン
「奇厳城の冒険」タイトル・テーマ
「三大怪獣 地球最大の決戦」キングギドラのテーマ
SF交響ファンタジー第2番
「モスラ 対 ゴジラ」聖なる泉
「大怪獣バラン」タイトル・テーマ
「三大怪獣 地球最大の決戦」山岳音楽
「キングコングの逆襲」逃走音楽
「キングコングの逆襲」エレメントX
「サンダ 対 ガイラ」自衛隊マーチ
「空の大怪獣ラドン」飛行音楽
「サンダ 対 ガイラ」自衛隊マーチ
SF交響ファンタジー第3番
「怪獣総進撃」タイトル・テーマ
「キングコングの逆襲」メカニコングのテーマ
「キングコングの逆襲」愛のテーマ
「海底軍艦」テーマ
「キングコング 対 ゴジラ」キングコングの輸送
「キングコング 対 コジラ」格闘音楽
「海底軍艦」マーチ
「地球防衛軍」マーチ
この楽曲はsf東宝怪獣映画で手掛けた音楽+αをつなぎ合わせているものだが、特撮音楽という先入観なしで聴いても曲調、メロディすべてが伊福部の音楽で紡がれているのでこれでもかというほどに伊福部節が堪能できる楽曲です。とっつきやすさ、入門楽曲としては最適です。
ここまで読んでいただければ分かるように伊福部昭本人からすれば初代ゴジラ(1954)はあくまで請負った仕事の一つでしかない。しかしゴジラとい映画その後日本を代表するコンテンツになってしまったが故にどうしても「ゴジラの作曲家」というようなある種のレッテル貼りされてしまった作曲家というわけです。独学で学び国際的に「音楽で」評価されたという意味で伊福部昭という存在は非常に大きいし、その偉大さをゴジラのメインテーマだけで留めるにはあまりにももったいない。
では次に、そのゴジラの音楽におけるあれこれに移ります。
・ゴジラ音楽についての諸々
ゴジラメインテーマの元ネタとして挙がる一曲にラヴェルのピアノ楽曲があります。
モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲3楽章prestro
であることは上述の流れで汲み取れる。(ある程度のクラシックの素養がある方はすでに気づいているかもしれませんが)、脱線しますが、この曲もストラヴィンスキーとホルストっぽいのがまた音楽ファン的にはツボだったりしますよね。やっぱり1910年代に作られた春祭が後世に与えた影響がでかすぎるなと。
ストラヴィンスキーの特集記事はもう少しお待ちを、、、
そんなストラヴィンスキーの音楽を聴いた伊福部昭が「これが音楽たりえるなら俺でもかける」と、豪語したことは有名です。そしてこれを曲解してゴジラのメインテーマ=ストラヴィンスキーという形で語る人がいます。が、これは私が思うにこれはあくまでも作曲家としての動機付けの役割の一つにすぎないのであって、「ゴジラのテーマ」
に直結した文脈の中で考えるのは半歩ずれてると思ってます。音楽性がストラヴィンスキーの系譜というのは間違っていない。が、ことゴジラのメインテーマに関してはラヴェルとの共通性を出さないことには始まらない。というより、ストラヴィンスキーに影響を受けたラヴェルに影響を受けたという言い方にしないと文脈に合わない。極端すぎる。ようするにこれは
「現在のポップスは全てビートルズが〜」
「全ての音楽はバッハありき」
「漫画家は手塚治虫影響を必ず受ける(映画の撮影技法を漫画に持ち込んだと言う点で我々が想起する漫画を描こうとした時点で手塚の真似になるっていう意味)」
「ファンタジーものを書くと必ずトールキンの指輪物語のモノマネになる」
「物語の大本の元ネタは聖書だ」
「ミステリーのキャラクター造形元祖はポーのデュパンとその相棒の役割をもつ事件の記述者「私」」
※コアなミステリーファンの人は「おいおい、実在した人物で世界初の曰く付きの探偵フランソワ・ヴィドッグが原点だろ にわか乙」っていうツッコミを喰らいそうだから先手をうっておく。
といった「そりゃそうだけど、生まれる時代的に受けざるをえないじゃん」レベルの話をしたってなんら話は進まない。もっと明確に補助線を引くべきであって、それを今回に倣えて「ストラヴィンスキーに影響を受けたっていうのを伊福部昭楽曲」で語るのであれば怪獣大戦争のテーマを挙げるべきである。
最近の人にわかりやすく例えるとシンゴジラの無人在来線爆弾の時に流れる音楽と書いた方がわかりやすいかな
試聴だと途中からなのでわかりにくいですが「冒頭」のメロディは怪獣大戦争のテーマに流用されています。伊福部流の編曲が施されてるだけで。
「ストラヴィンスキーの楽曲性」は確かに切っても切れないくれいの影響がありますが、それ自体は別に伊福部昭だけでなくジョンウィリアムズもそう
この複合和音がもたらす破壊力を限りなくそのまま再現したであろう(まぁなんで春の祭典をチョイスしたのかにも裏話はあるのですが)ジョーズのテーマ
その他ジョンウィリアムズの作家性の一部についてはこの記事を参照してください
凄い脱線になるのですが、スターウォーズのメインテーマって知られざる作曲家コルンゴルトの嵐の青春からの引用ってことに気づきました。
そもそもこのタイプの曲は全部ワーグナーのワルキューレの変化球なので引用云々だなんだっていうより、ワーグナーの音楽性がそういう繋がりで生きているっていうのはこれまた面白いなと思うばかりです。ニーベルングの指環とスターウォーズの作品構造も同じというのは知られたことですが、音楽性もかなりワーグナーが元になってるという印象ですね。思い返せばもともとフォースのテーマのあの感じは
魔の炎の音楽の13:00~のメロディからとったものだし
閑話休題
ホルストもそうだしラヴェルや、その他数多の作曲家がそう。ただ、それを全体にかかったような風潮や言い草は大袈裟である。少なくとも=で語ってしまうのは。あくまで影響を受けた作家のうちの一人である。ましてや特定の作家に対して当てる言葉ではないというのが正しい認識であろう。
話を元に戻します。ゴジラテーマにおける技法に関してですが、いくつか列挙しますとあまり知られてませんがメインテーマは音の進行にフリギア旋法が用いられています。
- フリギア旋法...Eを起点としてた音階(E F G A B C D E) ミファソラシドレミ
有名な作劇のネタはゴジラのメインテーマでは旋律に旋律を重ねるやりかたであるオスティナート技法が採用されています。金管楽器群の音が重なってメロディが繰り返されるというあのラインにはそういった施しもある。そのほかもゴジラの鳴き声なども伊福部昭によるもの。「哺乳類はどうやっても哺乳類、鳥類はどこまでいっても鳥類。そこでコントラバスの弦の横振動を使うことにした。弓の代わりに松脂を塗ったなめし革の手袋で縦に引っ張る。すると振動しながら張力が変化し、複雑な音になる。」この思考回路というか適材適所に音の引き出しをピンポイントで出せるところが頭のいい人だなぁと感じます。
また余談になりますが、以前ストラヴィンスキーの音楽性に伊福部を絡めた番組がありましたがなんとも言い難いレベル。いや、ストラヴィンスキーの音楽という意味での特集性はあったのですが、伊福部昭をダシにする必要性というのがあったかといえば全くなかったわけで(映像シーン20秒くらいという短さ)。洋楽を惜しげもなくパクリ切った米津楽曲Orion,Loserのプロデュースでお馴染みの
蔦谷さんをゲストに招いてという形でしたが外れでしたね。単に時間が足りない&そこまでの需要がない&単にそこまで詳しくないってだけかもしれませんが。
(ただしストラヴィンスキー とジミヘンのpurple hazeと絡めていたところは面白かった)
つまり、「伊福部昭はストラヴィンスキーの影響でゴジラ音楽を〜」と言い切ってしまうのも早計である。
単にストラヴィンンスキーに影響を受けたのではなくそこからさまざまな作家を経て伊福部昭にたどり着くと。そうでなければ、ゴジラのメインテーマがもつ音楽性は説明できない。ではどういった潮流なのか、浅知恵ながら順序立てていくと少なくともこの流れだと推測する。
↓
アレクサンドル・チェレプニン、ストラヴィンスキー
↓
↓
コルサコフはいわゆる芸術音楽に貢献したロシア五人組の一人でもありますね。
ミリイ・バラキレフ
意外に作品が知られていないのがツェーザリ・キュイ。ヴァイオリンとピアノの組み合わせば抜群に上手く、なおかつ情緒的な楽曲ばかりなのでぜひチェックしてください。
説明いらないと思いますが、一応書いておくと展覧会の絵の作曲家
まぁ今回の場合こっちを紹介した方がはやいか
余談ですが、このサムネの指揮者アンドレア・バッティストーニのシリーズは全部いいので気になる人とかクラシック好きな人は通してみてはいかがでしょうか
ボロディンもかなり有名な大家ですので説明不要かと思いますが、イーゴリ公を作曲した方です。
この人も超有名ですね。シェエラザードで。
そしてこの異常なまでのロシア作曲家の流れを見ればわかる通り楽曲的な意味合いはもちろん、伊福部がアイヌの文化性に影響を受けたと言う点含め非常に興味深いですね。
ストラヴィンスキー以降に台頭したマヌエル・デ・ファリャという作家についても少しだけ触れましょう。恋は魔術師や三角帽子などが有名です。ラヴェル、ストラヴィンスキー ときて伊福部昭の音楽を構成する最後のラストピースがファリャ。
それぞれの楽曲を聴けば、民族音楽や印象的音楽の潮流をどこかしらに感じられる。ドビュッシーとは生前親友ということもあり、そういったことからもやはり影響はあると考える。その後発表する歌劇「ペドロの親方と人形芝居」「クラヴサン協奏曲」
になると「はいはい、春祭、春祭」っていうほどに露骨なストラヴィンスキー寄りの楽曲になったりします。ただこの二曲でファリャの功績、、というかアプローチのやり方で面白いのはチェンバロをメインに持ってきてメロディを奏でるという、考えてみればあんまりやってない手法だなぁと浅学の自分でも唸りました。これらのことから分かるようにつまりファリャは新古典音楽主義以後の作曲家の先鋒であり、印象派を取り入れている点などを考えると、ドビュッシーを系統していた伊福部昭はファリャも通っていると考えるのが自然である。
余談ですがファリャ氏はよほどドビュッシーが好きだったのか
ドビュッシーの墓に捧げる賛歌
をオマージュするのが、クリエイター魂を感じさせてくれて作品としてはもちろんクリエイターとしてもいいですね。
音楽活動以外にも、教育者としても有名で東京音楽学校(現在の藝大)で講師を担当したことでも知られており、門下生(弟子)には芥川也寸志、奥村一、黛敏郎、石井眞木、原田甫、眞鍋理一郎など、のちの大家となるような存在に教鞭を取っていたという点も興味深いです。教育者としての伊福部昭については今回の主題に外れるので本来の意味で割愛します。
以上伊福部昭の音楽作家としての紹介でした。いかがだったでしょうか?書き手としてはまだまだ伝えきれてないところはある(今回紹介したのは代表曲に過ぎないため、もっと語り口は他あるが)のですが、最低限の範囲はカバーできたのでよしとします。本流の作曲家として評価されないのは時代の流れもあったのかなと書いていて感じました。
わかりやすい映画音楽(作家)と管弦楽の関係性やクラシック音楽からの文脈など、今回紹介した作曲家群は小中高で習う音楽知識(若干延長部分がある)が大半だったのでそれらの延長上のものとして読めると思うのでとっつきやすい内容だったと思います。
本記事を読んで伊福部昭を「ゴジラ映画の人」ではなく、「弦楽器、オーケストラや舞曲などが本流の人」であるという認識に変われば幸いです。相変わらず長い記事になりましたが、いつものことなのでご愛嬌ということにしてください。
最後に伊福部昭が音楽活動をする中でさまざまな名言
(もしかしたら誰かの引用の可能性もあるけど)
を残しているので紹介します。
- ブラームスは第一交響曲を24年かかってかきあげた。バラキレフは32年かかった。真の創作とは生が長いものである
- 音楽は音楽以外の何者も表現しない
- 優れた音楽は必ず平明で理解しやすい
- すべての芸術はその民族の特殊性を通し、共通の人間性に到達
- 作者が自己の感性に忠実であれば必然的に伝統の意識から遁れることはできない
- 文化と伝統の裏付けのない芸術は誕生しえない」
- 作曲はその人感覚が大事。音楽理論、常識は大切だけど、感性を遵守することで自分にしか書けない音楽が生み出せる。
- 真にグローバルたらんとすれば真にローカルであることだ
個人的にした二つがお気に入り。
みなさん今後の糧にしてください(投げやり)。
謝辞&参考文献について
略歴とゴジラに関する音のhow toや伊福部昭の音楽人生が精緻に書かれている「伊福部昭の映画音楽」から引用いたしました。刊行当時から愛読している日本の音楽家を知るシリーズより伊福部昭編も相当読み込みました。この場を借りて著者の小林淳さんに感謝いたします。ありがとうございました。この記事で作曲家:伊福部昭に興味を持った方はぜひ上二つの書籍を読んでください。奥行きが広がります。三冊目からは緊急地震速報とゴジラ音楽関係性、そしてシンフォニアタプカーラの3章がのイントロが元になってる点を引用いたしました。「ゴジラ音楽と〜」は伊福部云々を抜きにしても本として楽しい一冊なので目を通しておくといいです。
それではまた次(があれば)の記事で。