Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

ryo(supercell)の音楽性と作曲家論を考える part1

 これまでにsupercellで1本、EGOISTで1本

sai96i.hateblo.jp

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それぞれで特集というか総論した記事を出してきましたがそれぞれの枠組みの中でか音楽論を語れず、ryo(supercell)という大枠の総論には触れられずに大事なところを語り切れていなかったため、今回は作曲家ryo一点に絞ってあらゆる所から音楽性にふれる本当の意味での総括・総集編の記事になります。そのため枷なしであらゆる視点や考えを駆使して構築してきます。最推し作家でまたアクセスを稼ぐためのネタと思われるからもしませんが、そうではなくやり残した課題です。推し作家ではなくとも、作曲家を総合的に論じるのは非常に難しく普通なら絶対に手を出さない領域ではありますが、この記事を出さないと私の中での語り尽くした感といいますか、supercell、EGOISTの記事に加え、本作を合わせて初めてryo(supercell)がなぜあそこまで凄い作家なのかという源流に手が届くとおもっているためこの記事を書かないとラストピースが埋まらないのです。狂信者度が高いので偏見や媚びが沢山あります、別の作曲家を盲信されている方はご注意を。ryo(supercell)総論にして初めて分割という手段を取るので、全体図が見えるまでには多少の時間はかかってしまうと思いますがあらかじめご了承。

 

というわけで早速本編に移ります。一応、今回の趣旨を一発で理解するため範囲図をつくりました。今回は作曲家ryo(supercell)が誕生するまでの経緯を紹介する枠です。

今回は中核の作家性についてです。

 

ryo(supercell)の音楽の魅力・独自性というのは、大抵が量産型の邦楽的な典型的な「型」に当てはまらない楽曲を作曲する=洋楽の枠組みと言う点が非常に大きいし、そこが何よりの強みだと思う。なにしろryo(supercell)的な楽曲を作れる人がそもそも存在しない。その意味では私感、ここ20年の中の総合的な枠組みとしてもryo(supercell)の音楽を作るセンスは別格であり、唯一無二である。

(その過程で初音ミク電子音楽の発達というのも密接に関わってくるがその点については後述します。)

総合的な作曲家として大別した時でさえ、おそらく、ryo(supercell)の音楽性の性質を持っている日本人作曲家はほぼいない。ではなぜryo(supercell)がここまで特異的な作曲家であるのか。大体の人は(どんな大御所であれ)典型的なヒットソングの日本ポップスソングに影響をうけ、そこから作曲家になるため、そこから派生する人はいつまでたっても大枠のありきたりさからは抜け出せられない。当然意識的に日本のポップスを想起させるような曲もsupercell内ではいくつかありますが、主流ではないし、それらのネタ元も掘っていけば実は、、ということに行き渡る。

ではまず、ryo(supercell)の音楽的な特徴の大方を占めている洋楽チックという点について。そもそもryo(supercell)は洋楽を傾倒していた。ここまでそこらのアーティストでもざらにいるタイプです。それらと違う点は音へのディティールの研究。異常なまでの執着的なまでの拘りなどといった点にある。なぜか。ryo(supercell)が敬愛するミュージシャンにブンサテ(boom boom satellites)の中野さんがいる。この二人がインタビューにこのような節がある。

ryo:最初のシングルからずっと追いかけてきたし、自分の青春でした。もともとバンドでドラムをやっていたので、まずドラムが格好よくて好きになったんです。あの頃The ProdigyThe Chemical Brothersのようなブレイクビーツのブームがあったんですけれど、BOOM BOOM SATELLITESのほうがもっと格好いいと思った。特に、キックの強靭さとシンセベースのうねりは、それまで聴いたことがなくて、とにかくすごいと思ったんです。バンドでこういうのをやりたかったんですけれど、どうやっても無理でしたね。

ryo:確かに、ビッグビートとか、他のブレイクビーツのアーティストと全然違いましたね。それからようやく5、6年経って、日本だとNumbさんやRiow Araiさんを聴いて、ようやくデビュー当時のBOOM BOOM SATELLITESに近いビート感や音のニュアンスを持ったアーティストが出てきたと思ったんです。当時のRadioheadも、ビートの強靭さという意味ではBOOM BOOM SATELLITESの域まで達していなかった。時代の10年先くらいを走っていたんじゃないかと思います。

色々なアーティストの成り立ちというの見てきましたが、ここまで明確に分析をすることができて、当時のブンサテの音楽性をレディオヘッドよりも上とまで言い放ち、なおかつ、自分でも再現を試みるところまで行っている。後々、この凝り性のおかげで我々になかなか楽曲が届かないみたいなところも、もしかしたらあるかもしれませんがそれは別の話。

 

日本のミュージシャンの大半は歌詞に救われましたとか、楽曲が良いとおもって、自分でも作ってみようと思った。といういわゆる曲に感動し、それが起点となっていくというパターンが多い。ryo(supercell)さんも、いってみれば幼少の頃色々な音楽に救われているわけだが、これが公言している限り全て洋楽。主に70年代ハードロック系が多かった記憶。これも今にしてはのちの伏線みたいなものではあるが、しかしryoは仕事という意味では、メルトを投稿するまでは家電製品の店員をやっていたのであって全くもって音楽に関わる職にはついていなかった。本人が転職のタイミングでサウンドディレクターを志望、そのサンプルの一つとして作られたのがメルトであった。結果的にニコニコであのような形で受けてしまったが故に、今は総合的な意味での作曲家をこなしているという経緯。

ryo大学を出て、電気関係の営業の仕事を派遣で6年くらいやってたんです。それが本当にヘビーな職場だったんですよ。タチの悪いお客さんがすごく多くて、クレームがしょっちゅう入って、ときには土下座をすることもあって。それにうんざりしてたんです。そういう仕事が終わった後に、BOOM BOOM SATELLITESを聴くと、染みるんですよ。キックがとにかく強靭で、低音がたくさん入っていて。ヌルい音楽は聴きたくなくて、日々の感覚を忘れられさせてくれる音楽がないとやっていけなかった。横浜で働いていたんですけれど、娯楽といえば、カラオケと飲み屋とパチンコしかない環境で、そういう中で、初音ミクを手にして、モノが作れたというのが大きなきっかけでした。

BOOM BOOM SATELLITES × supercell対談 | CINRA (ソース元)

その意味では、純な作曲家を最初から志望しているわけでもなく、裏方の裏方であるサウンドディレクションであったことも、今のryo(supercell)サウンドを紐解く一因となっているとも考えられます。

 

 

次回は、ryo(supercell)さんが公言している影響元からそれぞれどのような形で熟していったかを簡易的に紐解いていこうと思います。恐らく、次回から5000〜1万字コース担っていくと思うのでご期待ください。

 

P.S

平沢進特集は絶賛書き起こし中です。こちらも乞うご期待。

出しました。

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さらに追記

いつか、じんとkemu・堀江晶太ver.も書きます。じんのほうはもう少し資料が揃えばいけます。kemuはまだ掴めていないことが多すぎるので当分は出せません。まぁちゃんとした堀江晶太論なんてこれまでに誰1人として書いた人なんていませんが。

 

更にさらに追伸(part2前半出てます)

 

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