Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

ryo(supercell)の音楽性と作曲家論を考える part2(前編)

おおよそ一年前に投稿した

 

sai96i.hateblo.jp

 

続物記事を出すのはどうなのか、と自分でも思う所はあるが、まぁ当ブログにおいて間が開くというは当然なので気にしている読者の方が少ないと思いますので、そこに対する弁明はありません。というか、記事を出していないだけで別で4万字以上の文章を寄稿という形で世に送り出しているのでセーフです(謎)。

前回の記事は前座でしかなく、本番はこっからです。

今回からおもっきりアクセルを踏んでいく感じになります。極力誰が読んでも面白く、分かりやすい記事にしているつもりですが、偏愛が過ぎるところがあるかもしれませんが、それはそれ。あと、あくまでも素人目線記事ですから〜という予防線を。

 

この記事を開いたからには是非読んでいっていただきたいです。

それでは本編へ移りましょう。

 

・本編

ryo(supercell)は相当前ではあるが、自分を構成した10枚というのを挙げていた。

このブログではいい加減書いてきたわけだが改めてここで紹介します。

アーティスト/アルバム名という見方です。

さて、これらのラインナップを見てどう考えるかという話なんですが、最早全員が”なるほど”と手を打った状態であろう。

これを認識していると、そらこういうラインナップになるなわって話なんです。

そして、ryo(supercell)の作曲家としての略歴が見えてくるのですが、その前に軽くそもそも論を展開して、補助線を引いていこうと思います。

ryo(supercell)の*1生年月日は恐らく1979年10月21日です。

 

そう考えると、10代後半〜20代前期にリリースされたものが”ryoを作った10枚”の中で8枚もあるわけです。単にこのラインナップを”ryoを作った10枚”でみたら、「ああなんだ洋楽好きか」と片付けてしまいがちですが(4年前まで自分もそういった短絡的な落とし込みだった)、生年月日を踏まえると、"一番影響を受けやすい時期にリリースされた作品でryoが感動した10枚"と言い換えることができ、かなり含みがある意味になります。こうなると当然意味合いも変わってきます。先の10枚からは恐らく世代的な洗練という意味も込みで、絶対的な影響を受けているとみて間違いない。なぜそう思うか、という論旨展開をすると長話になりますが、まぁ端的にまとめるとセンスオブワンダー的に一番グッとくるタイミングだからです。ryo(supercell)の生年月日がわかったところで、ryo(supercell)の年齢別作曲家略歴について話を戻します。なお、実際に出来上がった時期とリリース日が違うことくらいはお分かりだと思います。流石にどれだけの信者といえど、実制作内部の事情は分からないので、その意味では数ヶ月〜年単位で差異があります。

あくまでもリリースされた日・発表日・一般公告された日を基準にしています。

※マイナーすぎるものはカットしています

・2007年

『きみをわすれない』/『メルト』(2007)-28歳

・2008年

『恋は戦争』-28歳(投稿日:2月22日)

『ワールドイズマイン』-28歳(投稿日:5月31日)

ブラック★ロックシューター』-28歳(投稿日:6月13日)

『初めての恋が終わる時』-29歳(投稿日:12月12日)

・2009年

1stAL『suprecell』-29歳(発売日:3月4日)

『午前六時』-29歳(発売日:4月29日)

君の知らない物語』-29歳(発売日:8月12日)

・2010年

さよならメモリーズ』-30歳(発売日:2月10日)

『こっち向いて Baby/Yellow』 -30歳(発売日:7月14日)

うたかた花火』-30歳(発売日:8月25日)

・2011年

2nd AL『Today Is A Beautiful Day』-31歳(発売日:3月15日)

Light My Fire』-32歳(発売日:11月16日)

My Dearest』-32歳(発売日:11月23日)

Departures~あなたにおくるアイの歌~』-32歳(発売日:11月30日)

・2012年

ナイショの話』-32歳(発売日:2月1日)

僕らのあしあと』-32歳(発売日:3月7日)

The Everlasting Guilty Crown』-32歳(発売日:3月7日)

EGOIST 1stAL『Extra terrestrial Biological Entities』-32歳(発売日:9月19日)

名前のない怪物』-33歳(発売日:12月5日)

銀色飛行船』-33歳(発売日:12月19日)

ラブミーギミー』-33歳(発売日:12月19日)

・2013年

The Bravery』-33歳(発売日:3月13日)

All Alone With You』-33歳(発売日:3月6日)

拍手喝采歌合』-33歳(発売日:6月12日)

『好きと言われた日』-34歳(発売日:11月06日)

suprecell3rd AL『ZIGAEXPERIENTIA』-34歳(発売日:11月27日)

・2014年

ハートリアライズ』-34歳(発売日:3月12日)

The Glory Days』-34歳(発売日:10月15日)

『Fallen』-35歳(発売日:11月19日)

・2015年

『Great Distance』-35歳(発売日:5月20日)

BRAVELY SECOND END LAYER Original Soundtrack』-35歳(発売日:5月20日)

『リローデッド』-36歳(発売日:11月11日)

ニルバナ』-36歳(発売日:11月25日)

・2016年

KABANERI OF THE IRON FORTRESS』-36歳(発売日:5月25日)

『Welcome to the *fam』-37歳(発売日:11月23日)

・2017年

Deal with the devil』-37歳(発売日:8月23日)

『英雄 運命の詩』-38歳(発売日:11月1日)

『言葉にしたくてできない言葉を』-38歳(発売日:11月27日)

『メルト 10th ANNIVERSARY MIX』-38歳(発売日:12月24日)

EGOIST BEST『GREATEST HITS 2011-2017 “ALTER EGO"』-38歳(発売日:12月27日)

・2018年

リリースなし!!

・2019年

『咲かせや咲かせ』-39歳(発売日:5月16日)

センコロール オリジナルサウンドトラック』-39歳(発売日:6月29日)

『#Love』-39歳(発売日:9月11日)

・2020年

リリースなし 年齢:40,41

・2021年

『タクト』-41歳(発売日:10月5日)

・2022年

『君よ、気高くあれ』-42歳(発売日:10月9日)

・2023年

『当事者』-43歳(発売日:5月10日)

『笑ウ二重人格』-43歳(配信日:8月23日)

『運命と Struggle』-43歳(ゲーム配信:8月28日)

『I promise you』-43歳(ゲーム配信:8月28日)

 

2007-2023年までの年齢別の作曲歴はこうなります。これをみると一見遅咲きでは?と考える人0.01220703125%くらいはいると思いますが、そうではなく単に巡り合わせの問題ですね。時代の適合性とでも形容すべきなのか。

 

いい加減わかっていた話ではありますが,2011-2013年の時期は最強の敵なし状態なのが凄いですね。全体的にみても佳作レベルがほぼなく、傑作揃いなのが作曲・作詞・編曲ryo(supercell)というクレジットブランドの凄さを物語っています。それはさておき「ryoを作った10枚」にあたらめて話を戻しましょう。

 

特徴的な2枚を起点にそれぞれ広げて、まず考えてみよう。

『Mezzanine』と『UMBRA』はアルバム的にもジャケ的にも恐らくジャンルとしては同じ組み分けとして考えいい。ここでミスチルのベスト盤のジャケを想起する人もまぁ若干数いるとは思いますが、あれは軽率なオマージュとしかいいようながないので此処に並べる必要性はないです。

右:Mezzanine 左:UMBRA

『Mezzanine』とが98で『UMBRA』が01年なので、当然『Mezzanine』の方がはやいのですが。massive attackの音楽性は暗鬱なエレクトロニカのクオリティって今聴いても信じられないくらい太く、それこそ時代を感じさせない圧倒的な名盤。ベース音やドラムの音の作り込み等が異端でトリップホップと言われる、ソウル、ジャズ、アンビエントを掛け合わせたようなジャンル体の開祖とも呼ばれているmassive attackの真髄ここにあり。という形のアルバム。対してブンサテの『UMBRA』は当然、『Mezzanine』とは意識していることは当然として

さきのryo(supercell)がいう当時のRadioheadよりも先鋭的というのは、当然リアルタイムで経験していないため、そこの意図は明確にはわかるはずはないのですが2001年当時のRadioheadディスコグラフィーを考えると丁度『kid A』(2000年)を出し『amneasic』(2001年)を出しているその時期のサウンド性を比べると、たしかにブンサテのほうがより鋭利的ではある節もあると思う。音楽好きが聴いて解る感性ではないからこそあの一言の異才というか、何言ってんだこいつ感がわかって面白いというのがわかるものなので、勘弁。その意味では、系統的トリップホップイズムに同じ『Portishead』はサウンド性よりもアルバム全体を構築する世界観強化型なので、こっちの方が、作品的には聴きやすいようにも思える。それに、ryo(supercell)視点だとRadioheadよりMuse推しということなんでしょうけれど、同じ英国バンドでも視野が違えば聴き方も違うものだと感じます。かくいう私もMuse派ではありますが。

 

また、英ロックバンドという意味ではMuseNirvanaが目立つわけですがここでMuseで『Sunburn』を選んでいるというのが相当歪と思いがち。なぜならアルバムの完成度でいうのであれば大方の名盤系では程度の差はあれ、『Origin of Symmetry』(2001年)『Absolution』(2003年)『Black Holes and Revelations』(2006年)の黎明から全盛期にあたるどれかで確立しているものだと思うし、自分なら当然『Absolution』を問答無用で選出しますけどその中でまさかのデビュー作。こういう選出ほど面白いのもない。確かに、『Sunburn』とそれ以降でMuseってなんか変わっている。よりクラシカルメタルといいいますか、ラフマニノフ系のメロディをつかったピアノロックサウンドに以降していた時期が丁度『Absolution』みたいなところがある(実際に引用しているトラックもありますし)。なので、その加減具合というべきか。よりダークというか先述したmassive attackPortishead的な香りが唯一あるアルバムとも言えるのです。リリースが丁度2000年ですし、そういう時代の雰囲気的なこともあるのでしょうけれど。

と思う、一方で、完成されすぎた作品よりもデビュー作における鋭い感覚の方が単純に好みなのではないか?という考え方もあります。これは所謂、全表現媒体に「デビュー作に全てが詰まっている」というものです。完成されすぎたものは美しいが、そこに至るまでの原点として一番最初の作品を好む人というのは決して少なくないと思います。

 

映画で例えてみましょう。スティーヴン・スピルバーグの監督作で観客が「完璧に仕上がった」と思える瞬間の一つとして『E.T.』(1982年)は必ず上がってくると思います。

本作の素晴らしさはやはりラストシーンの演出です。E.T.が宇宙船に乗って帰る際に、エリオットとその周辺の人たちとお別れをします。このシーンにおいて、エリオット意外の役者の演技は「良かったね。やっと帰れるね」というような微笑ましさを浮かべながら見送ることに対して、エリオット少年の表情は終始不安顔です。この対比をすることでE.T.が帰れることに対して、家族たちは良いものとして、悪意のない意味で「家に帰れるね。良かったね」という心象を映し出すことに対して、エリオットは自分が心を通わせることができる唯一無二の友人と形容しても過言ではないほどの存在が、自分の前から消えてしまうことに「悲しさ」という心象を写している。という空間があの短いシーンに発生しています。そして最後のカットは宇宙船が飛び立つ影響で風が舞い、カメラがエリオットの顔をアップして映画が終わるわけです。

 

正直自分は、あのクリーチャーのデザインがかなり苦手ではあるのですが、そういった好みの問題はともかくとして、このように演出的には文句のつけようのない作品はとても面白いし、だからこそ今でも映画史に残る傑作として世界中の人々の記憶に残っているわけですが、中にはその素晴らしさを認めた上で「でも俺は『激突』(1971年)が好き」「やっぱり『JAWS』(1975年)「いやいや『未知との遭遇』(1977年)でしょう』」

という人たちもまた多いわけです。話を元に戻しますと、これと同じ理屈で考えれば初期作を挙げる気持ちも全然分からないわけではないです。間違いなく先の3作も聴いているはずなんですよね。絶対に。それなのにどうして『Sunburn』なのかというのは本当に考え所。その理由で考えられる絶対的な一因は何か。どうも核心的なところまでは掴みきれない。

 

NirvanaからNevermindを選んでいる理由はryo(supercell)的にはこっちの方向ありでいいんだという意思の現れだと思います。

その意味では、世界で散々流行った(とされる)『あの音楽性がryo(supercell)の感性にも適合したと考えるのが普通です。まぁグランジのを記念碑的な作品であることを考えれば、のちにSmashing Pumpkinsが出てくるわけですが、そこから『Mellon Collie And The Infinite Sadness』を1枚チョイスしているあたり点から思えるのはこの2枚(『Nevermind』『Mellon Collie And The Infinite Sadness』を選んだのは(1979年を軸とした場合)1970年代後半~1980年代前半に生まれたryo(supercell)さんの10代、20代前半期に丁度合致するのでここはいわゆる世代的な流れとしては大いに納得がいくと思います。

 

part2前半はここまでです。最初は後半含めてって思ったのですが、分割方式をとった方が面白いものが書けるという安定性を取りたいので当ブログにしては全くもって珍しい分割記事の中ですら前後編を分けます。

 

では、後編をお待ちください。恐らくそのうち上がると思います。

 

*1:生年はあくまで推定であるが差異はあっても1-2.5年が限界