Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

チラシの裏

うっせぇわという楽曲が流行ることに関しては、なぜかというのは私もよくわからない。が、yoasobiの「夜に駆ける」がいい意味でオタク臭い、というよりもボカロ的アプローチで作られている楽曲であるのにもかかわらず一般受けをしてしまった現状、こういった「中高生御用達」と思われがちな曲(だからこそ、同じような道を通ってきたカゲプロ世代が共感性羞恥を抱いたり、それ以上の年代の人たちは、なんであんな曲がと思ってしまうのであろう)が一斉を風靡しているのはなんら不思議ではない。それはそれとして、バラエティーまでに乗り込んでくるほどの勢い、隆盛があるのにピックアップされているのは歌っている人のみと感じる。まぁ、歌っている人に焦点を当てるというのはある側面では正しいが(曲が曲として機能する装置の一つではあるため)、それらを作曲した人たちの紹介込の内容を作った上で番組で紹介するのが筋ではないかと思う。

news.yahoo.co.jp

こんな大層な見出しをした記事が出るも大元の作曲者へ紹介は微々たるもの。いったいどうしてなんだろう。100歩譲って編曲者にスポットが当たらないのはまだわかる。テレビではクレジットすらされないことが多いし、仮に存在をしったところで曲を聴いている人は「編曲」作家にまで目を通して、どのような役割を果たしているかまでは普通追いかけない。だから江口亮が編曲しなければあんなに燃える曲にはならなかったが(たらればの可能性を説いても仕方ないが)大衆からすれば歌ってるlisaがいいメロディを奏でればそれ万事ok。ということになる。所詮大ヒット曲なんてそのくらいのものでしかない。作曲してる人が歌っている場合出ない限り歌手にしか注目がいかない。

しかし作曲者くらいはしっかりと注目されるべきだと私は思う。今回の例に限らず人気アニメ楽曲を手掛けた人たちの存在はなぜ、注目されないのか(久石譲のような特例を除く)。所詮作曲家は裏方業でしかないし、そういった職種の人たちからすれば曲が評価されれば本望だから、誰が作ったとかどうでもいいと言われてしまえばそれまでだが。

 

なんて書いてはみたものの

作曲者に興味を抱く人たちのほうが圧倒的マイノリティだし、そこを「どうして、どうして」と囃し立てたところで現状は何ひとつ変わらないので、作曲者に興味を持つ人が一人でも増えればいいなくらいの観点でこの現象を俯瞰します。

 

それとは別にボカロPと歌い手の特集なんて何周遅れだとネット音楽特有の「内輪受け」を楽しんでいる(楽しんだ)人が、なぜ騒いでいるのかがわからない。

やれ、「俺が給食の時に聖槍爆裂ボーイを流した時に嘲笑、馬鹿にしていた奴ら」だの「ボカロを馬鹿にしてた奴が米津楽曲を聴いて感動しているのをみると唖然する」だのいろいろなコメントがある。前者においては嘲笑、馬鹿にされるのは目に見えていること。ネットコンテンツのノリを現実にもってきたらどうなるかくらいは誰でも想像つく。ピコが昔テレビ番組でdeco27の二足歩行をライブで歌った時、スタジオが凍りついた事例をみれば明らかである。

ボカロp出身の人たちの中で各界隈でビックになる人たちが出てきて、後続も大活躍して、まさに今の邦楽の何割かはネットシーン出身と言って差し支えないし、ボカロが大きな役割を果たしていることも間違いない。しかしそういった才人の出発地点がボカロであるにしろ、世に評価されるのはその人の才能であってバックボーンに位置するボカロというジャンルではない。故に、どんなにボカロ出身の作家が出ても「ボカロ文化」が一般社会に認められたことなんてただの一度もない。アニメを例に出しても、ジブリアニメが評価されたから日本アニメがすごいというわけではなく、それは宮崎駿高畑勲の才能が認められただけであり(他の有名アニメ監督も同様)、表現媒体がアニメであっただけで、アニメそのものが市民権を得たというわけではい。アニメにしろボカロにしろアングラなものであることは今後も変わらないと思う。だからこそメディアがボカロpや歌い手をフューチャーする番組を今になって作るのは全くおかしくない。先述の通り媒体レベルでの評価は一切されていないから。そう言った中でボカロ的な楽曲が一般で流行るということに目をつけて「ボカロと歌い手」の特集をするのであって、これまでの枠を取り立てるようなことはまずしないだろう。

 

以上、チラ裏記事でした。