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Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

結川あさきにご用心|中性声の帯域の魅力

結川あさきって、とても声の按配が面白くないか?と感じたのは『トラペジウム』で主演を張った時の演技のうまさに惹かれて気づいたポイントの一つ。

2024-07-15

つまり色々と癖ありな話と「東ゆう」というキャラを差し引いても、「可憐」とか「闊達」みたいなラベルができるような、わかりやすい「声」ではないのだ。

 

なかには、「まだデビュー2,3年目なのに」、論なんて張れるのか?と思う人もいることでしょう。それが張れるんです。前提が「デビュー数年目で既に帯域を特定できる」ほど特徴が明確だから。帯域的に説明できる人材という観点なら十分に論じる価値がある。つまり指数関数的に増えいく経験年数とか役の広さなんてものは重要だが、声を捉える時にはさしたるなんか問題ではなく、音響的座標がすでに明確に定義できる声優ということ。その観点でいえば若手も大御所も一列で扱うことができるし、実際そういう観点で進んでいるのが音響でしょうよ。

挿入歌の『なりたいじぶん』とエンディングテーマの『方位自身』どちらも聞けばわかるが、四位一体という構成といえど、東ゆうの声(結川あさき)って他の羊宮や上田、相川遥花と違って全然前景化してこないんですよね。

なりたいじぶん

なりたいじぶん

  • 東ゆう(CV:結川あさき), 大河くるみ(CV:羊宮妃那), 華鳥蘭子(CV:上田麗奈) & 亀井美嘉(CV:相川遥花)
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
方位自身

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  • 東ゆう(CV:結川あさき), 大河くるみ(CV:羊宮妃那), 華鳥蘭子(CV:上田麗奈) & 亀井美嘉(CV:相川遥花)
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いい意味で。口語体と歌唱時が=ではないというか。いや=なんだけれども、中性的な声が軸にあるせいで、あまりにも分かりやすい羊宮の狙った可愛さや、聞き慣れすぎた上田の声、相川遥花の声も、結川的な低さはあるがまだ帯域としてはちょっと低い早見系だなって思える分、声としてはまだわかる

(つまりキャラとしてこういう声が当てられるという原則)。

 

でも、結川あさきって四人でハマる時でも全然前に出てこないというか、わからないんですよね。パート分けという概念的にみても。そしてそれは他三人に比べて「テノール」寄りの声だから。キャラとしてみた時に、あまりにも大河くるみ=羊宮妃那というのが、羊宮の声が前景のリリカルすぎるから余計に、対照的に可聴において差分を掴みやすい。多分こっそり結川あさきの声を差し引いても「歌」のバランスは案外崩れないなじゃないか。なぜなら女性音域におけるアルト〜ソプラノは他の三人が「声」として強いから。女性四声の中で結川が担っているのは、いわば中音域の地平線。他三人、つまり羊宮妃那(あまりもソフトでリリカル系アルトの延長線)、上田麗奈(中高域を乗せる表現型)、相川遥花(ソプラノ寄りでストレートな透明感)が、いずれも倍音の多い「可聴範囲」を形成している。

 

じゃあここにおいて、結川あさきの「声」ってどうなんだろという話です。中性テノール的アルト。テノール的音域の方が聞きやすく、それでありながら「少年」系が映える中性的表現を維持する女性声優というのは、あんまり見かけない。事実、『逃げ上手の若君』の北条時行なんかがそうですけど、ボーイッシュ的なクールさ、ではなく逆に男なんだけど声が判別が迷う、そういうキャラを演じたことからもわかるように、圧倒的に本域は「少年」か、「特殊な高音」が効くタイプの声なんですよ。そして、それは本人もインタビューにおいて以下のように認識している。

mantan-web.jp

 

「自分の声はどちらかというと中性的ではありますし、いつか少年役もやってみたいという思いがありました。まさか時行のようなキャラクターを演じさせていただけるなんて想像していませんでした。うれしかったです」

 

これはあくまでも帯域レベルでの部類だが、一番近いのは帯域の役者は、有名どころだと、大谷育江加藤英美里竹内順子新井里美、あとはオグリキャップ高柳知葉(この人も極端に高い声が合う一方で低音系がマジでいいし、その格が「オグリ」なわけですよ。だから捜査官系で低音だせば絶対合う)がそうかな。とりあえずこれらの「声」系譜です。絶対に。わからない人は上記の演者のサンプルボイスを一通り聞いてみてください。

 

数多の人が「ピカチュウのモノマネ得意」といってもただのモノマネに終わるが、結川あさきはそれが本当にそのタイプの声に該当する。結川自身もそれを言っているからこそ一回でいいのでピカチュウの鳴き声を披露して欲しいもんです。

加藤英美里はデビューの段階から『ネポスこどもCLUB』のネポから始まっていて、あれもいってみればマスコットキャラ、イマジナリーなお友達的なものから始まっているのも示唆的ですが、後の地縛霊と営業マン宇宙人の系譜が振り返れば、という意味合い。要するに一作目の印象というのは監督であっても声優であっても色付けには非常に大きく影響してくる。

 

その上で、アイムに記載されている役柄を一部引用してみます。

【アニメ】

・逃げ上手の若君(北条時行

・アオのハコ(島崎にいな)

・となりの妖怪さん(杉本睦実)

・ゲーセン少女と異文化交流(加賀花梨)

・紫雲寺家の子供たち(横山らら)

・クラスの大嫌いな女子と結婚することになった。(北条留衣)

・ATRI -My Dear Moments-(ミヨ)

・夜のクラゲは泳げない(真弓)

・WIND BREAKER(土屋美緒)

かくりよの宿飯 弐(竹千代)

【ドラマCD】

・勇者宇宙ソーグレーダー(勇之上平) 

まぁこの辺でいいでしょう。で、まず『逃げ上手』以上に実はファクターというか、結川あさきの「色」がでいてるのがドラマCDの『勇者宇宙ソーグレーダー』の勇之上平。これは、完全に明らかに少年の低域。作者の趣向が高い時行的なショタ系でもなく同時に、高音で可愛いではなく中低域で凛と立つタイプ。これです。完全に結川あさきの独占上の一つです。めっちゃいいですよ。 

ドラマCDはマイクも演技もストレートに素の帯域を聴けますし、この役の何が特筆すべきかというと中性的で無理のないピッチ感を保っている点。やはり男性声が女声を出せることはできてもそれが聴けるものとして提示できるのが少ないのと同様、女性声が男の声をだしても元々の声の構造はいいかもしれないが、情緒性でボロが出やすい。

まとめるならば

 

・男性声優が女性声を出すと「構造的に不自然」になりやすい。
・女性声優が男性声を出すと「情緒的に不自然」になりやすい。

このどちらも越えて、構造的にも情緒的にも自然な少年声を出せるのが結川。

 

いわゆる女性声が放つダウナーが近傍ではないのか?と思う人もいるでしょう。でもそれではだめなんですよ。(結川あさきがやれば完璧だしそれはラジオで証明済み)素で「少年」をだせる声というのはそれこそボーイッシュ・ダウナー系よりも少ない帯域。

ダウナーでいえば、『SSSS.ZYNAZENON』(2021年)に若山詩音が南夢芽を演じたときのあの感覚さこそがダウナーさの骨頂だと思うんです。つまり「らしさ」が気怠けに直列しているのであって、別に少年自体はない。儚さはあるけれど。

 

多くの女性声優が少年を演じる時、どうしても高域を軽くして息を混ぜ、軽さで若さを出そうとする。しかしそれではダウナー方向だけに傾き、声が立たない。結川は逆で、中低域を締めてピッチを安定させ、倍音の立ち上がりで若さを演出できる。つまり感情ではなく音響で少年を作れるのだ。地声に余裕があり、だから不自然が一切ないし、生まれない。結果、少年でありながら落ち着きと知性を感じさせる。「時行的ショタ」とも「ボーイッシュ女声」とも違う、第三の位置。逆が故に「壊れたキャラ」が上手い安済千佳の明るいバージョンというべきか、あの『クズの本懐』での演技帯域がもっと中性的になった声。それが故に生まれる演技を誇張せず、ナチュラルな中性。それがこのボイスドラマの真髄なわけです。おそらくメイン軸で将来、唯一無二の軸として活躍するのは第一にこの領域。結川あさきにオファーをする側はもっともっと低い声のキャラを当てるべき。絶対化ける。

 

それこそ同じアイムで言えば、清楚系としての声=早見沙織が少年役といってもピンとこないと思うんです。声が綺麗すぎて、「少年がいる」というより「綺麗な女性が少年の台詞を喋っている」というにならざるを得ない。逆をいえば、そういう演技が声質で可能な役者というわけです。

 

杉本睦実(『となりの妖怪さん』)とかは少女役なんだけど、そういう「らしさ」としての声が全くとまではいえないが、いわゆる「私可愛いでしょ」系の声としての帯域とはずいぶんとかけ離れている。「結川あさきのtime is funny」を聞けばわかるが、地声がそもそもという話。

結川あさき「TIME IS FUNNY」 | インターネットラジオステーション<音泉>

笑ってる時とかの意図してない無邪気さ的(人間的な意味ではなく無意識的にでる一種の発声)なところがどっちとも取れない。つまり意図的な発声とはまったく別の質感を持っている。笑っている時や、素でリアクションしている瞬間に出る声。あれが演技中の少年声や中性的発声と地続き。可愛らしさを出すキャラよりも地声で回した方が良い、というよりも「低く」発声させた方がいいという原理がでる。なんと形容すればいいか、演技を支える基盤が演じる前から中性なんだ。それが、地声→演技→歌唱の三層すべてに貫かれている。さて、ここまで行けば一つの共通点に辿り着く。そう、『名探偵コナン』の高山みなみ御大は、役柄では当然のこと、舞台にせよ、15周年のコナンラジオにせよ、NHKの「NHK +」の移行のアナウンスにせよ絶対に素が「江戸川コナン」さが残るんです。浴びるほど聴いた声なので余計過敏に反応できるという面はいなめないが、つまり、どのマイクを通しても「コナン」が聞こえる。低くなればなるほど味が出るし哲学的な声になっていくわけです。超越的な役者でありながらもその本質は声の帯域が少年向きであることに起因する。


これは「役の再現」ではなく「声質の宿命」。そして帯域で言えば結川あさきもこれと同じ素質があるということ。それこそ北条時行で、結川を知った人はかなり多いと思ううが、その層が地声を聞けば、全く同じ音響現象が発生する。

 

つまり、「コナンを演じる高山」ではなく、「高山という声がコナン帯域に存在する」
同様に、「時行を演じる結川」ではなく、「結川という声が時行帯域に存在する」

 

演技が声を作るのではなく、声が演技を定義する側。これは偶然ではなく、生理的な帯域の宿命であり、同時に音響的な必然。だからこそ、高山声はデビュー三年目で『魔女の宅急便』で一人二役ができる「構造」的な声があった。ということ。流石に超越的な例外ケースではありますが。

だから、無理に低い声を出そうして失敗するというあるあるな声真似っていうのはそれを証明している。元々帯域としてなければ再現性が不可能。例えば堀之紀の低さって男性でも真似できないほど低い。それを真似ようとすると男でもかなりきつい。だからといって、日笠陽子が低い声で威圧しても、それは支配的な「圧」の強さであり少年系にはなりにくい。そういうこと。つまり、音響的再現は「模倣」ではなく「構造の一致」が条件になる。以前に記事で述べたが、「声=音=構造」で結べるからこそ、Aを演じる役者ではなく、役者がの声がAの帯域に存在する、ということが成立するわけだ。

 

それが羊宮妃那の場合「歌と演技が=として架橋できる」という特殊性があるからこそ、論じる「声」としてはこちらも相当に大事という話が、これまでの話。そういう意味では「当たり前」なんだけど、案外見逃されがちということだ。

sai96i.hateblo.jp

sai96i.hateblo.jp

 

事務所のサンプルボイスでも特に核が出ているのは

「ナレーション➀」(時行調のオーディブル的素材)

「キャラクター②」(これめっちゃ大谷育江感が高い)

否定するわけではないが、それ以外のサンプルボイスはセリフと「風」なセッティングが結川あさきの幅の広さを出したいが故に、本粋の「低音」がないのが相当惜しい。キャラクター①「文化祭JK」キャラクター。例えばこれ、『アマガミ』でお出しされてもこのルートあんま人気ないだろうなっておもうくらい、「違うそうじゃない」という意識の方が強い。③は忍野忍系の老年女児系。吹き替え①は佐倉綾音系の「高圧」と「可愛さ」の同居系の音声、吹き替え②は早見沙織が合う調査隊系。もちろん、事務所のボイスサンプルは単調ではなく「色」のグラデーションを声で見せるものだからバリエーションをつけるのはいいのだが、ならばこそ「低音男子」は一本入れるべきであろうと思うのです。どこの声優の事務所サンプルは一応に「幅」を見せがち。それが機能するかどうかは演者に依拠するが、その意味では結川は幅より核が勝つタイプ。

「俺は逃げないよ。怖いのは当たり前。でも、歩くのは止めない。」

「選ぶことは、手放すことと同じだ。だからこそ、今日は静かに決める。」

などといったセリフの方が魅力は伝わる。ここを唯一押さえているのが『暗号学園のいろは』のコミックボイスだけなんですよ。前記事でも書いましたが、結川あさきの本質は自分の中では

東ゆう(高山一実)/北条時行(松井優征)/夕方多夕(西尾維新)という内容、キャラクターともに一筋縄では行かない奇才作家の軸足をすでに三本は持っている稀有な声優

なんですよね。つまり男子の方がすでに向いているし、結果出ているわけです。だから、文化祭JK・忍野系・高圧かわいいを頭出しされても、逆にそんなの適正でいえば上手い役者は他にいるわけですよ。それに対抗するなら、少年系で攻めた方が早い。個人的に思うのはサンプルに求められるのは「多彩さ」ではなく、「一発でキャスティングを想起させる核」だから、少年軸を先頭に据える方が圧倒的に戦略的なんです。端的に言えば、文化祭JKは正直、代替可能、少年核は代替性がそこまでない。

 

そんな結川あさきですが、唯一「全要素」が詰まっているものがある。

それは先ほど紹介したラジオの主題歌『ナイトワイライト』作詞作曲:結川あさき 編曲:村山シベリウス達彦という構成で組まれていることからもわかるように、自作で楽曲を構築し編曲家がそれをモノにするっていうありがちなあり方ですが、結川あさきの音楽の趣向がボカロ一点に集中しているタイプなので「どこかで聞いたことのがある展開」が結構あってそれはそれで面白いのですが、大事なのは、フレーズごとに声色を変えて歌っているところ。既聴感の中で唯一新しいのが声の構造変化

 

例えばイントロの

笑って泣いて night&day Tuesday 最終回の向こうで おやすみ まで眠らない 

今一度 息を吸い込んで 聴きなれた声を呼んでいる 不安も後悔も尽きないや今までを辿れば一瞬だ もう一度人生を回しだそうと今行こう

ねえ、まだ眠らないでいてよ 君の知らない話を 伝えにきたんだ ねえ、どうだろう? 笑ってくれたらいいな

と交互に低音(男性系)と高音(女性系)を使い分けて歌唱しているんです。最顕著は

声ひとつで明日に向かうよ 永遠の夜に魔法をかける 生涯 命懸け 周回ない 自分らしくでいいでしょう? 今はもう来ないと思うから ノータイム いつも大丈夫 ただ静かに 羽を休め 君の一瞬を 見せて大胆に

のフレーズですが、これ、要するに古くを言えばニコニコ動画の「歌ってみた」におけるタグで「両声類」というものがありましたけど、それに近い歌い方なんですよね。意識しているかどうかはさておき、高さが上がり下がりでの歌唱はその文脈にはいる。言い換えれば、「少年」帯域と「少女」帯域の統合。演技の両翼が1曲の中に折り込まれている。

 

しかもそれをご自身で骨格を作っている。これは明らかに自分の強みを活かしているんですよ。問題はまずこれは現時点で「音泉」のイベントでしか手に入らないイベントCDで、そういうのはサブスクも当然ないので(羊宮でいうところの『セレプロ』的な)、ラジオを聴くくらいしか確認方法がないこと。本当にもったいない。

ONSEN THEME SONG CD

これこそが結川あさきの現時点での表現最高傑作なのに。要するに『ナイトワイライト』は、意図性はともかくとして、結川あさきにおける音響的自己分析の完成形として言い切っていい。それに呼応する決定打がキャスティングとして出てないところ。『かくりよの宿飯 弐』では竹千代を演じられておりますが、本人が「中性的」なところを目指したとラジオで言っている通り、そういう役回り自体はきている。だからこそ、こっから「代表作」とまではすぐにいかずとも、印象づける役を「東ゆう」「北条時行」の次枠で欲しいという話です。もし男系で迷ったらアイムの「結川あさき」。これはここ5年で試せば、先行者ほど有利になる。その動線を藤田音響、明田川音響で開花させた今なのだから使わない手はないでしょう。『勇者宇宙ソーグレーダー』にとどまるだけでは味気ない。自分はこの役者にその可能性をかなり賭けているので、余計にそう思うだけなのかもしれないですけど。

 

当ブログでは羊宮 妃那の登場回数が多いですが、同じくらい注目株、というのはここにしっかりと入れているところかもわかると思いますし、結局「劇伴・声・音」の四人(上田麗奈/若山詩音/羊宮妃那/結川あさき/安済千佳)はこの記事でも登場するのは、狙ってるわけではなく、自分の中の座標であり「点」の代表者たちだからなんです。だから今や結川あさきも座標といっていいですね。

sai96i.hateblo.jp

 

結局、声とは再現ではなく存在の証明だ。
結川あさきという声が「少年帯域」に宿っているという事実は、演技以前に音響的な宿命であり、構造的な必然である。この帯域をどう活かすか。それは演出でもキャスティングでもなく、声そのものに問われている。「声=音=構造」という原理があるかぎり、結川あさきの未来は、すでにその声の中に書き込まれている。少年役が映えるのではなく、「少年を生む声」がある。その先陣(先鋒)として、彼女の声はこの5年の音響史を変えるかもしれない。強めに言えば、というか帯域のポテンシャルという意味に限れば、高山みなみが80〜90年代に確立した帯域を、令和以降に再定義しうる存在として結川が現れたという見立ても可能であり、個人的にはそう願うばかりです。