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Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

ガールズバンドアニメと音の関係─『ガールズバンドクライ』劇伴の意義

そろそろこのネタ(ガールズバンドアニメ枠)を引用して記事を書くのやめない?と思われそうなくらい最近の記事はその余波を引きずっているわけですが

sai96i.hateblo.jp

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ここにきて東映が『TVアニメ「ガールズバンドクライ」 (オリジナルサウンドトラック)』なるものを配信として流してきたこと、聴こえてなかったもの、サントラという名前の劇伴から見える面白さみたいなものが湧いてきたので、それらを列ねていきたい。

TV Anime

TV Anime "GIRLS BAND CRY" (Original Soundtrack)

  • 田中ユウスケ & トゲナシトゲアリ
  • サウンドトラック
  • ¥3565

まずは、この時代に最も適した形のサントラのあり方として率直に嬉しい。OSTなんてものは往々にして売れないから大体は円盤に付随されるおまけ程度の存在感で、よほどのビックタイトルにでもならなければ配信まではされないし、あるいはビックタイトルであったとしても配信されないケースもある。(これは前の記事で触れた『リコリコ』がまさにそう)そんな中で、ガールズバンドアニメ枠のサントラが、しかも『ガルクラ』で出てきたのはやはり単に作品力が牽引したものと言わざるをえない。なぜ、ガールズバンド枠の劇伴が希少で尚且つ、配信が嬉しいのかと言えば「単に音源化された楽曲」ではなく「劇中歌としての楽曲」という形で収録されているからだ。

空の箱 (井芹仁菜、河原木桃香(Live at 川崎駅東口駅前広場 edit))

空の箱 (井芹仁菜、河原木桃香(Live at 川崎駅東口駅前広場 edit))

  • トゲナシトゲアリ
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
声なき魚 (新川崎(仮)(Live at ラゾーナ川崎プラザ ルーファ広場 edit))

声なき魚 (新川崎(仮)(Live at ラゾーナ川崎プラザ ルーファ広場 edit))

  • トゲナシトゲアリ
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
視界の隅 朽ちる音 (新川崎(仮)(Live at Serbian Night edit))

視界の隅 朽ちる音 (新川崎(仮)(Live at Serbian Night edit))

  • トゲナシトゲアリ
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

前提として、『棘アリ』『棘ナシ』はどちらも良いアルバムだと思う。
特に『棘アリ』はテレビでは流れていない楽曲を中心に構成されており、本当の意味で作曲者の趣味やバックボーンが顕在化しやすい内容になっている。その意味で、タイトルに込められた意図を最も体現した楽曲群と言えるし、「アンチテーゼを掲げるバンド」としての「トゲナシトゲアリ」を理解する上でも、より本質的なアルバムだと思う。

 

実際、本編で使用されている楽曲の多くは『棘ナシ』に収録されている。このことからも、『棘アリ』がより内省的/実験的な性格を持つことは明らかだろう。
本編を観た上で「アンチテーゼにしてはずいぶん売れ線っぽいな」と感じた視聴者も少なくないはずだ。そういう人には、ぜひ『棘アリ』の方を聴いてほしい。

極私的極彩色アンサー

極私的極彩色アンサー

  • トゲナシトゲアリ
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
傷つき傷つけ痛くて辛い

傷つき傷つけ痛くて辛い

  • トゲナシトゲアリ
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

つまり、商業音楽としてある程度の「聴きやすさ」や「汎用性」に寄せる必要がある一方で、バンド自身の理念としてはその媚びに対して反発している──という構図がこの二つのアルバムには透けて見える。

だからこそ、本編で使われた主要楽曲たとえば、

『空の箱 (井芹仁菜、河原木桃香)』

『声なき魚 (新川崎(仮))』

『視界の隅 朽ちる音 (新川崎(仮))』

『空白とカタルシス

といった、まだ“アンチテーゼとしてのスタンス”を保っていた楽曲群に加え、それとは本編でも、意を決した自分達の今をこめたという意味でも明らかに異なる文脈で作られた、『運命の華』のような曲が、同じパッケージの中に収められている。

 

このようにして成り立っている『棘ナシ』というアルバムは、本来は分けて収録されるべき性質の異なる曲たちを一つにまとめてしまったがゆえに、結果的にバンドの理念と商業的な方向性のねじれそのものを象徴しているようにも思える。

 

だからこそ、これまでは『棘アリ』がバンドとしての本線であり、『棘ナシ』は表向きの完成度とは裏腹に、構造的に非常に複雑なアルバムだと感じていた。

しかし、今回配信されたサウンドトラック、いわゆる「劇中歌」としてのedit版を聴いたことで、楽曲の主張そのものは変わらないにせよ、別の意味合いが浮かび上がってきた。というのも、このアニメは物語の進行に合わせて、ライブや音出しのシーンが毎話挿入される構成になっている。その中で鳴らされる音楽は、単なる挿入歌以上に、物語の呼吸やキャラクターの情緒の延長として機能している。

だからこそ、通常のパッケージ版で楽曲を聴いたときは、それがアニソンとして優れていても、「物語に沿った音の機能性」や「キャラクターが抱える葛藤」といったレイヤーは削ぎ落とされてしまう。結果として、『ガールズバンドクライ』という作品の音楽としては、やや萎縮して聴こえてしまうのだ。

 

これまでの考察を前提とした上で、改めてサウンドトラック版(edit版)を振り返ってみる。すると見えてくるのは、「ガールズバンド」という物語構造、そして「毎話ライブを挿入する」という演出形式を採る以上、本質的な音楽体験は、楽曲単体ではなく劇中で鳴る音楽=劇中歌版にあるのではないかという事実だ。

実際、同じ曲でもサントラのedit版で聴くと、パッケージ版(楽曲アルバム)とは明らかに異なる空気をまとっている。そこには、本編の映像やキャラクターの感情が自然と重なってきて、楽曲が「記憶」と「文脈」の中で再び機能し始める感覚がある。

だからこそ、すべてを完璧に再現するのは難しいにせよ、「本編ではこう使われた」というedit版を、サウンドトラックという形で提供することには、非常に大きな意味があると言える。むしろ、ブシロードもそれに追随して、本編使用ver.の楽曲が持つ文脈の力を体感できるようなサウンドトラックを出してみてはどうかと思うわけです。

たとえば、『Ave Mujica』13話で、MyGO!!!!!パートのなかに流れた『焚打音』をアルバム版と同時に聴き比べてみると、確かに両者の違いは絶妙に小さいかもしれないが、劇中での印象と一致するのは明らかに本編ver.の方だ。Ave Mujicaの『顔』なんてなおのことそれが出ると思う。だって舌打ちがあるのだから。

そのわずかな違いこそが、物語とのリンクを作り出し、楽曲を「機能」させる。どちらのバージョンも存在していいし、そうした並立はむしろ受容の幅を広げる。誰も損はしないし、むしろ作品世界の解像度が高まるだけなのだ。

以上のを踏まえて、OSTにおけるedit版というものが今後その価値が本来バンドものということを踏まえて、今後ますます活性化していくことを願う。

 

次は、劇伴そのもの楽曲ではなく音としての機能について、もう少し踏み込んで特筆すべき2曲について考えてみたいと思う。

 

本編ではあまり意識しなかったというよりも、どこでそんな曲あったっけ?という感じだが、それはそれとして、音楽的に面白いトラックがあったのは全視聴者が感じていると思うが、中でも最も印象に残っているのは『鳩のアレ』だろう。

『鳩のアレ』

鳩のアレ

鳩のアレ

  • provided courtesy of iTunes

これは主人公が打ち込みを始めて熱心になったあまりに朝まで続けてしまったというのを、リズムがだんだんと鳩の鳴き声と同調するという、いわゆるネタの側面が高い劇伴だが、これはある意味ではもの凄く前衛的な劇伴と言える。なぜかというとこれはビートに対して、それが鳩の鳴き声と重なるという自然の音との合成をしているという意味でピエール・シェフェールのミュージック・コンクレート的だと言える。当然、そんな側面で作られてはおらず、「ビートと鳥の鳴き声重ねたら面白いじゃん」程度の触感で作れたのものだと信じたいが、捉え方としてはそういう見方もできるという意味ではこの劇伴はまず面白いといえる。

 

もう一曲は個人的に劇伴として最も美しいと思っている『アンダー・ザ・オニオンズ』

アンダー・ザ・オニオンズ

アンダー・ザ・オニオンズ

ピアノをメインに構成されたこの楽曲は、展開から終盤への繰り返される落としに入る際、イヤフォンで聴くと右耳のみに定位されている(つまり、モノラル音源を片チャンネルに振っている)ことに気づく。さらに、その音色はEQによってフラットかつ優しく整えられており、刺さるというより、よりフラットような質感を持っている。

わずか1分39秒の短尺ながら、空間設計と音色処理へのこだわりが凝縮された劇伴として、静かに強い存在感を放つ一曲だ。多分プリセットもSteinwayだと思います。Steinwayは往々にして覇王のような存在ですが、改まって劇伴で強調されるとより存在感が出ると感じます。実際どうかはさておき、聴いた側としてはそのような受け止め方ができる非常に稀有な音楽です。

 

このように、そこまで劇伴が目立つわけではないと思いながらも、(当然ではあるが)しっかりと作り込まれていることがこの2曲を聴いていくと分かる。その他の楽曲でも印象深いものとしては

・『聞かせてくれ、叫んでくれ、エグってくれ』

聞かせてくれ、叫んでくれ、エグってくれ

聞かせてくれ、叫んでくれ、エグってくれ

  • provided courtesy of iTunes

・『東尋坊

東尋坊

東尋坊

  • provided courtesy of iTunes

・『ただいま、おかえり。』

ただいま、おかえり。

ただいま、おかえり。

  • provided courtesy of iTunes

と、ただの劇伴にはおさまりにくい要素がたくさんあるので、意味合いを考えながら聴くのも一興だと思いますので、是非、「なぜこの音、展開なのか?」を踏まえた上で聴くと見えてくるものがあると思います。

 

以上が、『ガルクラ』におけるOSTから見えてくる劇伴の意義の一つです。本作のOSTの魅力がある程度伝わればなによりであります。本来は「じゃあこの楽曲の方向性はどこに依拠するのか、なぜ『心象的フラクタル』がああなのか?という軸足や、系譜としてどこの線を引っ張ってきているのか?という複数の点を

劇伴の『フェスで人気でそうなバンドの曲』

フェスで人気でそうなバンドの曲

フェスで人気でそうなバンドの曲

  • provided courtesy of iTunes

から紐解いてどうこう、という文章も書こうとは思っていたのですが、劇伴の意義でうまいことまとまったので、今回はこれであがろうと思います。

ヒントを言えば『青春脱出速度』

青春脱出速度

青春脱出速度

  • provided courtesy of iTunes

これが肝と考えております。ガルクラの根底にある「疾走=逃避=抗い」、「否定/否定の否定」によるアイデンティティの反転と確立という形で転換して、ガルクラの主題は「青春をやり直す」じゃなくて、「青春を否定しながらその構造に囚われている私たちの、音楽による突破」。という形でね。

そして思い出してください、『ガールズバンドクライ』の総集編前編のタイトルを

「青春狂走曲」

 

つまり、もう何回か「ガールズバンド」文脈、引きずります。はい。
冒頭で書いたのに、まだ懲りていません。でも、それだけ語る価値があるということで、なんとかご容赦を。