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Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

『地面師たち』の音楽が『LIAR GAME』の音楽から引き継いだもの

Netflixのオリジナルドラマ『地面師たち』が最近話題になっている。作品を観終えた後、最初に強く印象に残ったのは音楽であり、その音楽がフジテレビのドラマ版『LIAR GAME』を思い起こさせる点だった。音楽ジャンルの共通性はもちろんあるが、それだけではなく、ドラマ内での場面に応じた音楽の使い方が非常に似ている。

 

詐欺師たちの緊張感や騙し合いの心理戦を強調するこの音楽手法は、まさに『LIAR GAME』から継承されたものと言えるだろう。良いドラマには良い劇伴がつきものだが、今作もまた石野卓球による音楽がその雰囲気を定義しており、ドラマのクオリティに相当貢献していることは明らかだ。これは非常に面白い。音楽的にも類似性がありながらも、内容も「詐欺師」が事件を横行する話であるという点が、言い換えれば、秋山深一がその頭脳をもってして作中において「復讐のためにマルチ組織集英商事を壊滅させた」天才詐欺師であることと同義である。

これは、厳密に言えば性質さえ異なれど、主人公辻元拓海の行動原理と同義である。『LIAR GAME』の場合、その背景は描かれないが、それを真っ向切って描いた(といってもかなり無理がある展開が含まれるが)ものが土地をめぐる不動産詐欺としての「地面師」である人間を軸とした物語であるという点も類似性している。音楽的背景やキャラクター的な同一性の二つが重なればこれはもう見逃せるわけがない。

具体的に追ってみる

 

・作品を象徴するオープニング音楽点

LIAR GAME』のオープニング「LIAR GAME」の音楽ほど視聴者に作品と=に結びつけた音楽はそうそうない。

LIAR GAME

LIAR GAME

では、あのサウンドの何が「より」特徴的なのか。それはサンプルでしかない音源を有効活用した点にある。あの音楽における電子的なメロディの繰り返しはMassiveが提供している「Butterfly Stance」というサンプルをメロディを同定させたものだ。たったそれだけの要素で、あまりにも『LIAR GAME』の世界観を反映した音源として成立している。仮に今、「Butterfly Stance」を使った劇伴を(それはどの映像媒体であれ)使っても大元はサンプルである以上、それは「真似」にはならないが結果として広まりすぎた『LIAR GAME』のオープンニングタイトルの「パロディ」にしかなりえという点を押さえておきたい。この点はそれが悪いわけではなく、むしろその手法がすでに確立されているからこそ、模倣や再解釈によって新規性を伴う音楽を提供するのが難しいということだ。それほどまでに『LIAR GAME』一作だけで成立してしまったことを指し示すものである。それを十年以上の時を経て効能として活かし、やはり視聴者に印象的な音楽として余韻を与えることに成功したのが『地面師たち』の音源なのだ。音における主張性、というよりもアイコン的な音源の繰り返しが目立つことが浮かびが上がる。この作り方は大元において「ミニマル」だの言いようは多様に存在するがドラマ版『Lair Game』の作り方を意識した可能性が非常に高いことは決して飛躍した意見にはならない。


 

ではここで、実際に『地面師たち』のオープニング「Tokyo Swindlers Main Theme」を振り返ってみる。

Tokyo Swindlers Main Theme

Tokyo Swindlers Main Theme

  • provided courtesy of iTunes

イントロから繰り返しにおけるそれこそ卓球のような玉の音の打ち合いが再現されたような音源というものが全体的な構造として繰り返される。そこに1m58sから入ってくるシンセサウンドが強調されており、これが以後アウトロー直前まで保たれており、それでありながら音の強弱が微妙に変動している。つまりは冒頭からの入りとしての音源と、それをさらに味付けするかのような形でのシンセ音楽という二重の組み込みによって、「Tokyo Swindlers Main Theme」の雰囲気を定義付けている。これが「LIAR GAME」における「Butterfly Stance」の機能性と全く同じであることは聴き比べをすれば自明である。

まず、オープニング音楽における機能・効能性における同一性を述べたが他の音源も同様のアプローチを採用していると想定される。そして「Confession」において、単一のシンセ音源の繰り返しで構築される楽曲は、まさに『地面師たち』における「Butterfly Stance」をより明確にアプローチとしている楽曲と言える。

 

「Conspiracy」における音作りは『地面師たち』においては光庵寺をターゲットとして定めるときの「計画」を練る時のBGMとして象徴的だ。そしておそらく音源個体で考えれば「Undercover」もこの音源の変則版であろう。

Conspiracy

Conspiracy

Undercover

Undercover

  • provided courtesy of iTunes

いわば「思考」というものを音源で表したものと推察することができる。「繰り返し音楽」における「思考性」というものは往々にしてミニマル音楽が多様されてきたことは、キラ事件という謎を解く時に流れる捜査側の音楽が「ミニマル音楽」で統一されていたアニメ版「デスノート」がそうである。(対比としてキラ側の行動音楽は見事に「バロック〜ロマン派で統一」されており、この明確な音楽における対比を軸にした話もいずれは書きたいが)

Lのテーマ

Lのテーマ

  • provided courtesy of iTunes

あれは「謎」と「怪奇」の二重テーマという点で別の方向軸もあるが、本趣旨とは異なるので、具体的な文章は以下の記事を参照。

sai96i.hateblo.jp

閑話休題

で、あるならば、今回の対比としては『LIAR GAME』におけるプレイヤー間における思考戦のテーマと対応することができる。プレイヤー間におけるBGMは主に「Silent Revive」「Electric Circuit」「Electrode Spark 0102」そしてルール説明における「Golden Rule」が象徴的だ。

Silent Revive

Silent Revive

Electric Circuit

Electric Circuit

Electrode Spark 0102

Electrode Spark 0102

Golden Rule

Golden Rule

  • provided courtesy of iTunes

こちらは基本的に頭脳戦がメインであるため、より電子サウンド性が高ま離そこから緩急をつけて展開されることによってゲーム全体の緊張感を演出している。一方『地面師たち』では行動計画の立案において、各メンバーがどのように対応するのか、「繰り返し」だけではなく定期的にメロディを差し込むことで、計画の組み立ての要素や作風全体の雰囲気の不穏な雰囲気を演出させる点が異なる。これは作芸が根本的に異なるからこそのアプローチと言える。また、先に『デスノート』における謎=繰り返し音源という趣旨を述べたが、「謎を解く」という点も『地面師たち』ではリリーフランキーが演ずる老刑事がある種の探偵的な乗り込みを行うが、「Ditective」という音源がミニマル調の繰り替えであることを考えると、音楽と映像の交差性において「推理」といった側面におけるミニマル要素性における思考性という意味合いを兼ねていることも違いない。この点は『LIAR GAME』的というよりも、より古典的なアプローチといえる。

このように、全体的に『LIAR GAME』である。というよりかは作風を象徴する点において詐欺師という共通性がある作品であり、類例のない劇伴として中田ヤスタカが手掛けた音源をどのように反映させていくべきか、といった考えが石野卓球が作成時に考えていたことは可能性として高い。なぜなら基本的にはなにか参考事例というものが存在する。そしてドラマで思考や詐欺師といったモチーフで音楽的に成功させるために『地面師たち』に一致する作品はどう考えても『LIAR GAME』しか存在しない。これまで述べた全体の作り方アプローチ以外にも、楽曲における類似性という意味では「Electric Circuit」と「Risky」におけるイントロの始まり方にもまず、ベースラインのリズムを刻むパートから始まり、そこからメインメロディが味付けで足されていくという構図をそのまま踏襲していることもそれを裏付ける要素の一つとして列挙できる。

Risky

Risky

  • provided courtesy of iTunes

 

以上のことから『地面師たち』における印象的な音楽というものは『LIAR GAME』で達成されたものを展開させたものであることがわかる。この手のアプローチをとった劇伴は基本的には類例があまりない。というのも頭脳戦や思考戦で描くというタイプの作品が珍しくまた作られにくいう点がまず第一に挙げられるが、ある種逆のアプローチというべきか。思考戦や頭脳戦はほぼ皆無に等しいが、詐欺師たちの「行為」を象徴するテーマ曲および、計画立案などに『LIAR GAME』のアプローチを取り入れたのは、事実かどうかは別として、結果としてその影響を感じることができる、或いは解釈ができるほどに多様な音楽を展開しており、石野卓球の慧眼性を表している。

 

一劇伴好きとしては、意識的であれ無意識的であれ、結果的に自分の中では『LIAR GAME』の劇伴を更新させた。という事実が非常に大きな意義をもたらしており、それが『地面師たち』というドラマで結実したこと、そしてそれが大ヒット作品であり、視聴した人が皆口を揃えて「劇伴が良い」という結果に現れていることだ。音作り的には『LIAR GAME reborn』っぽさがあるのも個人的に楽しめたポイントです。インタビューを読む限り『LUNATIQUE』的な劇伴を求められたとあるため、当然石野卓球サウンドが重視されたことは間違いない。また、見立てとしては中田ヤスタカ石野卓球に影響を受けたスタイルだといえば、それまでかもしれない。が、映像表現における音楽の確立でいえば中田ヤスタカが先である。そのため全体像で言えば、電子サウンドは知能戦や思考を描写することに向いていた。ということなのだろう。

Lunatique

Lunatique

  • 石野 卓球
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

そのため『地面師たち』が面白かった人はドラマ版『LIAR GAME』をみれば相互関係的な形としても多分面白いだろうし、逆に『LIAR GAME』は見てるけど『地面師たち』はまだみていない、あるいは両作品ともに未見という方は物語やキャストといった王道的な楽しみ方のほかに、あらゆる側面で映像と音楽の相互作用という側面から作品を楽しめると思います。

 

 

 

ここからはただの妄想話と個人的な作品に対する感想話だが、あり得たかもしれない別のアプローチ(というかその線も考えたかもしれないが、採用しない方が正解とされたであろうパターン)として考えられるのはハリソン山中の描写の劇伴だ。一人だけ異質なメンバーとしてその存在感があった。それは当然演者の豊川悦司氏の風格を相まってのことだが、案外実写でありそうでないなと思ったのが、彼のパートだけ壮大な劇伴のセッティングをしたら面白いんじゃないかということ。実際『地面師たち』におけるハリソン山中は詐欺師というよりも、独自の哲学をもった悪役という側面が高い。それは『ダイハード』のハンス・グルーバーの悪役ぶりを讃美しつつ、彼がビルから落ちるシーンにおける撮影の裏話における「リアリティ」の語り部から、ウィスキーを例えにした本質を問うシーンなど非常に説明的な悪役である。これには既視感がある。造形が非常にアニメ的なのだ。

PSYCHO-PASS』の槙島聖護がいい例だ。あれは哲学書SF小説シェイクスピアの戯曲を例え話として引用することで、作中世界に対してある種の問いを投げかける部分が多く蘊蓄による自己の哲学を披露するという点に造形的に重なる部分が多い。無論、槙島聖護的なものにも元ネタはあるのだろうが、十年以上前の作品とはいえ、カリスマ性のある悪役としては十分に作品の中でも際立った存在であることには違いない。故にあらゆるメンバーを手練手管し、殺めることも厭わないという造詣として、監督の大根仁にはあったのではないかということだ。音楽における対『LAIR GAME』における劇伴作用もそうなのだが、そもそも『地面師たち』には明らかに引用作法が激しい部分がある。情報屋である竹本が計画を無下にするような行動(裏切り)をとった際に当然ハリソン山本は始末をするわけだが、その時のセリフもやっぱりアニメ的である。

最もフィジカルで
最もプリミティブで
最もフェティッシュなやり方でいかせていただきます

こんなセリフを言った後の実際の殺めて方はニコラス・レフン監督の『Drive』(二〇一一年)においてスコーピオンのジャケットをきた主人公がエレベーターの中で悪役を徹底的踏みつけるシーンのオマージュであるし、『ダイハード』におけるグルーバーの退場っぷりのそれを実際にリリーフランキー演じる老刑事でシーンの明確な再現であったりと、あらゆる名作を取り入れている。で、あるならばカリスマ性のある悪役としてアニメっぽい造詣として槙島聖護が入っている可能性も否めない。まぁだからこそ「ハリソン山中のテーマ」みたいなものを入れるとそれこそアニメっぽくなるので、作品の雰囲気を壊さないためにもそういった悪役を立てるための教会音楽的なアプローチは取られなかったのだろう。逆にそれを思いっきりやると、それこそ菅野祐悟の『PSYCHO-PASS』の劇伴よりになってしまう。つまりは実写のいい点とアニメのいい点を取り合わせた中間点としていいバランスを構築しているからこそ、台詞のミームも相まって魅力的な悪役として視聴者に印象を与えたに違いない。まぁ正直、題材に対してかなりかけ離れ過ぎている場面での活躍がメインであったので、個人的な印象は薄いのだが、ネトフリのオリジナルドラマの潤沢予算ならばこういった造詣もできると思えば日本の実写ドラマにおける悪役表現というのも可能性としては広がったのかなと顔思わなくもない。まぁ辻元拓海との関係性込みであの二人の造詣として一番近いのは村上龍の『愛と幻想のファシズム』の「鈴原冬ニ」と「相田剣介」なんですけどね。冒頭、なぜ狩猟する描写から始まるのかといえば、絶対それ「『愛と幻想のファシズム』の冒頭部分のアラスカの引用じゃん」と読んだことがある人なら想起したはず。地面師という詐欺集団があらゆるメンバーで構築され、その組織が反社会的な行動をするというのも『愛と幻想のファシズム』における狩猟社のそれだし、鈴原冬ニがカリスマ性があって尚且つフィジカルで強いのも同じだし、組織における大規模なことを成し遂げるという点では『希望のエクソダス』において中学生同士でネットワークスビジネスを展開して、最終的には北海道で独立したものを立ち上げるといった、ある種の戦闘集団が何かを成し得るための組織図という意味ではこれもまた全体的に「村上龍の小説っぽい」と思える。『オールド・テロリスト』は後期高齢者を題材にした、テロリストの作品だし、全体的に「答えがない結末」というのもテーマとして同じだし、なにより実際の事件をモチーフにした「フィクション」という意味では経済小説が元になっているのであれば、その筋で名作を書いた村上龍を想起するのは理にかなってるなとか思うわけです。ここまでくれば一層のことNetflix資本で村上龍の原作でやれば、『地面師たち』が切り開いた路線として面白いんじゃないかとか思ったりと、そういう未来の展望を開拓したという意味では作品として面白い部分はあったというのが作品全体にかかる感想だ。辻元拓海が綾野剛なのも何を隠そう、デビュー作が仮面ライダー555』のスパイダーオルフェノク元いい、澤田亜希という人間とオルフェノクの境目で完全に徹しきれない役柄を演じていたことを考えると、作中におけるあの二面性を思わせる写真の描写といい、本当に適任だなとか思うわけですね。

 

音楽対比の文章だけでは味気ないと思い、作品全体についても述べたが、今一度主題に戻ると『地面師たち』は「名作」の引用作法を行うことで、すでに確立された表現を下地にした上で映像にしているからこそあらゆる部分で説得力というのが、一定レベルとはいえ担保されいる。そしてその中でも最も隠しきれないレベルでそれが顕著に出ているのが劇伴という側面であることには違いない。

 

 

ここ最近、音楽ブログなのに一切その手の更新をしてこなかったためいい加減まずいと思い、色々考えていたところに、ちょうど『地面師たち』というまぁまぁだけど劇伴的には超面白いという格好な作品があったので、そのOSTを軸に音楽話をしてみました。

では、またいずれ。