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Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く Notes on sound, voice, and what remains

死亡遊戯に咲く音 ─『おおかみこどもの雨と雪』からBotanicaへ、あるいは音楽が風景になるとき

2026年、鵜飼有志原作、上野壮大監督によるアニメ『死亡遊戯で飯を食う。』は、アニメ化に伴い、さまざまな声を呼んだ。中でも、作品内在性と上野壮大の演出方法をめぐって賛否が分かれたことからも分かるように、視聴者の関心は、ある程度「原作そのものへの興味」よりも「監督色」へと向かっていたように思う。同時に、通常のアニメOPとは様相を異にするオープニング映像もまた、一定の注目を集めていた。

 

歌詞を持たないインストゥルメンタル楽曲。場面風景のように流れていく風景など、これらは、ある意味で、アニメとしての惹きの強さを最も端的に示していたと言える。

では、ここで主軸として見逃されているものは何だろうか。それは、Botanicaの文脈である。Botanicaという単語、あるいはジャンルの枝葉としての体系が確立されたのは二〇二二年以後である。そのため、この点に言及しているユーザーも一定数は観測されたものの、先述した演出への関心に比べると、やや埋没していた印象を受ける。

しかし実際には、ジャンルとしての「Botanica」は、振り返ってみれば、私たちがその体系化以前からすでに受容していたサウンドでもある。むしろ、その音楽は「Botanica」の体系に強く噛んでいると言ってよいだろう。

加えて、今回「Botanica」を取り上げる最大の理由は、二〇一七年頃から発展し、今や主流となったlo-fi hip hop/lo-fi beats類がリスナー側、すなわち聴き手に受容させた感覚と、Botanicaが近傍的であるからだ。

音楽は、作品というより「ずっとそこにある居場所」になった。では、その先に音楽は何を表現したのか。本稿では、その点について述べてみたい。

 

実は、lo-fi以後の音楽とBotanicaは、どちらも広い意味では「環境音楽」の系譜に置くことができる。しかし、その受容構造は、ブライアン・イーノ的なアンビエントとは明らかに異なっている。

イーノの『Ambient 1: Music for Airports』(一九七八年)に代表されるアンビエントは、サティの『musique d'ameublement』(一九二〇年)を遠い前史に持ちながら、空間に溶け込み、聴き手の注意を強制しない音楽として構想された。

Musique d'ameublement: I. Tapisserie en fer forge

Musique d'ameublement: I. Tapisserie en fer forge

  • イェロン・ファン・ヴィーン & サンドラ・ファン・フェーン
  • クラシック
  • ¥153
  • provided courtesy of iTunes
1/1

1/1

  • ブライアン・イーノ
  • エレクトロニック
  •  
  • provided courtesy of iTunes

音楽はそこにあり、空間を淡く調整する。聴き流してもよいし、耳を傾けてもよい。つまりアンビエントにおいて、音楽は既存の空間に入り込み、その空気を変える。

しかし、lo-fi以後の流れは少し違う。そこでは音楽が空間に溶け込むのではなく、むしろ音楽そのものが空間を召喚する。YouTubeの二十四時間配信、アニメ風のループ映像、勉強机、深夜、部屋、窓、雨音、読書、作業。lo-fiは、音楽を「背景」として流すだけでなく、聴き手の周囲にひとつの部屋を作り出した。

そしてBotanicaは、その部屋をさらに変容させる。lo-fiが音楽を部屋にしたのだとすれば、Botanicaはその部屋に、窓、水、草、声、呼吸、生活音を持ち込んだ。イーノ的アンビエントが空間へ溶ける音楽だとすれば、lo-fi以後の音楽は空間を生成する音楽であり、Botanicaはその空間を森へ、あるいは湿度を持った風景へと変えていく音楽なのである。

 

同時に、Botanicaの要素を代表するものとしては、イーノ以前のピエール・シェフェール が1948年に「ミュージック・コンクレート」を導入し、録音された現実音を操作して音楽にする方法論を決定的に押し広げた。ここで見逃してはならないのは、その周辺で、もう一つの電子音楽の流れが並行していたことである。フランス側の「ミュージック・コンクレート」が録音された現実音を素材化したのに対し、ドイツ側では、一九五一年に設立されたケルンのスタジオを中心に、電子的に音を合成する「電子音楽」の方法論が成立した。

Gesang der Jünglinge

Gesang der Jünglinge "Song of the Youth"

  • カールハインツ・シュトックハウゼン
  • クラシック
  •  
  • provided courtesy of iTunes

つまり、一九四〇年代末から五〇年代にかけて、録音された現実音を操作するフランスの「ミュージック・コンクレート」と、電子的に音を合成するドイツの「電子音楽」は、対照的でありながら並走していた。前者は現実音の出自を曖昧にし、後者は音を発振器やテープ操作によって組み合わせをする。両者は方法論としては異なるが、音を既存の楽器や旋律から切り離し後の音楽文化に大きな前提を与え、こうした流れの中で生まれたものは、Botanicaにおけるそれと接続している。

Botanicaが自然の比喩をまといやすいのは、単に自然音を使うからではない。世界が音の層として存在し、その層を録音・加工・配置することで、もう一つの風景を生成できるという視点が、すでに「ミュージック・コンクレート」と電子音楽の双方によって切り開かれていたからである。

 

以上の前提を踏まえたうえで、現在におけるジャンルとしての「Botanica」とは何か、という点について述べていきたい。

 

「Botanica」という語は、アーティストのphritzが、SoundCloud周辺で起きていた新しいfolktronica/pop的な波を指すために提示した言葉である。元々は、phritzが作成した同名のSpotifyプレイリストに由来しており、そこに含まれる楽曲群の抽象的な共通性を示すための呼称だった。

open.spotify.com

では、なぜphritzは「Botanica」という語を必要としたのか。それは、当時のシーンがPorter Robinsonの『Nurture』(二〇二一年)との比較で語られがちだった状況から距離を取るためでもあったつまり、語の起源はphritzにある。一方で、その語を必要とする状況を作った決定的な作品は、Porter Robinsonの『Nurture』だったと言える。

Nurture

Nurture

  • Porter Robinson
  • ダンス
  • ¥1833
Lifelike

Lifelike

  • Porter Robinson
  • ダンス
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
Blossom

Blossom

  • Porter Robinson
  • ダンス
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

では、『Nurture』におけるBotanica的なものは、Botanicaという名前が与えられる以前、どこから来ていたのか。

Porter Robinsonは、多くの音楽を吸収しながら『Nurture』を作り上げた。しかし、その中でも決定的な位置を占めている存在がいる。日本の音楽家、高木正勝である。

Apple Musicの『Nurture』解説では、Porter Robinson本人が『Wind Tempos』について、高木正勝を「自分の世界観に最も影響を与えたアーティスト」と語り、『おおかみこどもの雨と雪』(二〇一二年)の音楽から、音楽の美や感情は異世界的な夢景色だけでなく、親密なものからも生まれ得ると理解した、と説明している。

また兵庫の高木宅を訪れ、そこで高木の演奏を聴き、日本の二〇〇〇年代初期のアンビエント音楽のディスクを受け取り、『Wind Tempos』の着想や高木のトイピアノのサンプル使用につながったことも語られている。

さらに、『Wolf Children』、つまり『おおかみこどもの雨と雪』(二〇一二年)の音楽によって、音楽の美や感情が、異世界的な夢景色だけでなく、親密なものからも生まれ得るのだと理解した、と語っている。

Wind Tempos

Wind Tempos

  • Porter Robinson
  • ダンス
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

Wind Tempos

僕の世界観に誰よりも影響を与えたアーティストがいるとすれば、高木正勝という日本人のピアニストだ。彼は僕のヒーローだよ。

 

あの作品のおかげで僕は、自分が音楽を通して伝えたかった美しさや感情が、異世界への逃避から生まれる必要はなくて、身近な内面的なものでいいんだ、と理解できるようになった。

ボタニカを考えるうえで高木正勝が重要なのは、彼が「自然音を足す」作家ではなく、自然音の側に自分の演奏を置き直す作家だからである。

実際、『Marginalia』において、ピアノは環境の上に立つ主役ではない。窓の外から入ってくる自然と同じ平面に置かれる。

高木自身も、窓の向こう側に自分の演奏を聴いている存在がいることに気づいた、と語っている。鳥や虫たちがピアノを聴き、歌い返してくる。高木もまた彼らの歌を聴き、ピアノを奏で返す。その関係性を録音によってそのまま残すことが、『Marginalia』の面白さだと述べている。

Marginalia

Marginalia

  • 高木正勝
  • ワールド
  • ¥1528

 

2017年に始めた『Marginalia(マージナリア)』は、いまのお話をご自分と自然環境との対話にまで広げたものという気がします。自宅スタジオの窓を開放し、虫や鳥の鳴き声、また風や雨、雷と一緒に演奏し、日記のように公開していますね。

高木:窓を開けた向こう側に、自分の演奏を聴いてくれているというか、 こちらの音が届いてしまっている存在がいることに、きちんと気付いたんですね。鳥や虫たちが僕のピアノを聴いて、そして歌い返してくる、僕も彼らの歌を聴いて、ピアノを奏で返す。そう思いながら弾いてみると演奏の仕方も変わるし、録音するとその関係性をそのまま残せるので、とても面白いんです。

ここで鳴っているのは、自然音を背景にしたピアノではない。ピアノ、虫、鳥、雨、風、雷が、同じ場に参加する音響的な関係性である。音楽は自然を描写するのではなく、自然とのあいだに生じる応答そのものを記録する。この点において、高木正勝の音楽は、後にBotanicaと呼ばれる感性のかなり深い場所に触れている。

Porter Robinsonは、この高木的な親密さを『Nurture』の内部に取り込んだのだ。

したがって、Botanicaの背後には、かなりはっきりと日本的環境音楽の回路がある。高木正勝の音楽が『Nurture』を経由し、その後Botanicaという語彙の周辺で再編成されたのだとすれば、Botanicaは単なるSoundCloud発の新興ジャンルではない。少なくともその感性の一部は、日本のアニメ映画音楽、環境音楽、そして自然と演奏との関係性の中から、すでに準備されていたのである。

 

同時に、この点は私にとっても特別な面がある。と、いうのも2021年4月16日付で出した「高木正勝のピアノ音楽」という記事があります。

当時としては、細田作品の劇伴作家としての高木正勝のピアノ音楽の魅力を伝えたい、しかし明確にこれだ、と言える語彙がないため、作品から空想できる抽象的なワードで例えとして、こういう音楽が魅力である、という趣旨の文章であるのです。

 

『きときと - 四本足の踊り』について、次のように書いていたし

きときと - 四本足の踊り

きときと - 四本足の踊り

  • 高木正勝
  • サウンドトラック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

弦がメロディを奏でつつ、ピアノが土台になって進む爽快さ。そしてまた最初にもどり、今度は大々的に強弱をつけてから堂々のサビを迎える。サビになってもまるで音が遊んでいるような展開がありつつ、その後アウトロとしてピアノで締めるこの自然さ。

また、『熱風』については、次のように書いていた。

熱風

熱風

  • 高木正勝
  • サウンドトラック
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

せせらぎのような音からだんだんと上がっていき、一回ためてから爆発するっていうのはまさに高木正勝スタイルなんですが、跳躍含めて音から景色が想像できるくらい秀逸なんですよね。自然を体感させるような音楽が高木さんの音楽性といってもいいくらいとにかく音が体に入ってくるんですよ。

 

いま読み返すと、この言葉はかなりBotanica的である。ここで書いていたのは、高木正勝の音楽を、旋律や和声の構造としてではなく、「遊ぶ音」「景色を発生させる音」「自然を体感させる音」「身体に入ってくる音」として聴いていたということ。和声で語る以上に現象としてどのような具象で高木のピアノ言語として呼び起こせるか、という視点の方が、正しいと思ったからでもある。つまり、音楽を作品としてではなく、風景、身体、環境として受け取っていた。そしてその聴き方は、いま振り返れば、かなりBotanica的な感性に近かったのだと思う。

では、なぜここまで過去の記事について述べているのか。それは、今から振り返れば、この記事がPorter Robinsonの『Nurture』(二〇二一年)がリリースされる、ちょうど一週間前に書かれたものだからである。

つまり、Botanicaの背景にはまずPorter Robinsonの『Nurture』(二〇二一年)があり、その『Nurture』の世界を構築するうえで重要な影響源として、高木正勝と『おおかみこどもの雨と雪』(二〇一二年)があるということだ。

言い換えれば、『おおかみこどもの雨と雪』というアニメ映画は、Botanicaという語が体系化されるはるか以前に、すでにBotanica的な要素をかなり濃く備えていた作品だったと言える。もちろん、当時そこに音楽ジャンルとしての「Botanica」という名前は存在していない。しかし、自然、生活、身体といった風景を立ち上げる感覚は、後にBotanicaと呼ばれる音楽のそれである。

つまり、『おおかみこどもの雨と雪』は、細田守の作家性が一つの到達点に達した作品であると同時に、高木正勝の音楽が、後にPorter Robinsonの『Nurture』へとつながっていく、ある種の魔法の音として機能していた作品でもある。そしてその魔法は、日本国内でも決して忘れられていない。たとえば『きときと - 四本足の踊り』は、ヨーグリーナのCMに起用されたこともあり、曲名を知らずとも多くの人の耳に残っている。言葉にするのは難しいが、確かに身体が覚えている音。高木正勝の音楽は、そうした感覚をアニメ映画の中に刻み込んでいた。

その意味で、『おおかみこどもの雨と雪』は、Botanica以前にBotanica的だったアニメ映画である。もっと言えば、Botanicaという言葉が後からやってきたことで、あの映画の音楽が持っていた新しさが、ようやく別の角度から説明可能になったと言える。

 

そして、現在におけるBotanicaである。

先述の通り、その背景には、『Nurture』以後の音楽をどのように呼ぶかという問題があった。その視点に立つと、日本のネット音楽/電子音楽の周辺にも、Botanicaに近接する感性は確かに存在している。自然、生活音、加工声、電子処理、キャラクター性、そしてポップソングとしての柔らかさ。それらが交差する場所に、現在形のBotanicaを聴くことができる。

その輪郭をもっとも明瞭に示している作家の一人が、Inuである。

Reminder

Reminder

  • Inu
  • ダンス
  • ¥2037
Yume No Kageri

Yume No Kageri

  • Inu
  • エレクトロニック
  • ¥1785
Retype

Retype

  • Inu
  • エレクトロニック
  • ¥1428
Reflect

Reflect

  • Inu
  • J-Pop
  • ¥1426

『Reminder』の「Back Again」をはじめ、そのタッチは明瞭だが、とりわけ『夢の翳り』(二〇二三年)になると、『Nurture』以後の「らしさ」はかなりはっきり現れる。

冒頭曲「夢はここまで」からして、夢、窓辺、淡い声、電子的な処理、余白のあるメロディが、ポップソングの形を取りながらも、どこか生活の周囲に漂う風景として立ち上がっている。

Back Again

Back Again

  • Inu
  • ダンス
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
夢はここまで

夢はここまで

  • Inu
  • エレクトロニック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

この感覚は、Inu自身の来歴とも重なっている。Inuは、EDMの聴き始めはZeddであり、Porter Robinsonはもう少し後、『Nurture』くらいからだったと語っている。つまりInuは、Zedd的なEDMの明快な快楽から出発しつつ、『Nurture』以後のネイチャー感、柔らかい電子処理、生活の余白へと接続していった作家として見ることができる。

─そうなんですね。音楽的にはPorter Robinsonの影響は大きいですか?

 

Inu:EDM聴き始めがZeddだったので、最初は多分Zeddだった気がします。Porterはもう少し後かもしれないですね。「Nurture」くらい。

さらにインタビューを読み進めると、Inuの制作はインスト先行で、MIDIピアノのコードを起点に始まることが語られている。楽器演奏やコード理論の体系から入るのではなく、MIDI上でピアノのコードを書き、そこに音を重ねていく。その作り方は、高木正勝のように生のピアノを自然環境の側へ置き直すものではなく、むしろ電子ポップの内部に、ピアノ、余白といった音像を発生させていくスタイルは『Nurture』以後のBotanicaにかなり近い。

また、Inuの音楽で重要なのは、声の扱いである。本人は、最初はSpliceなどのボーカル素材を使っていたが、次第にオリジナリティを出したくなり、自分で声を入れるようになったと語っている。初期には自信のなさもあって、フォルマントやピッチを大きく上げる処理をしていたという。ここで声は、単に歌唱として現れるのではなく、電子処理された身体、あるいはポップソング内のキャラクター性として立ち上がる。

したがってInuは、Botanicaを「自然音を使う音楽」としてではなく、ポップソングの内部に自然、声、通信、余白、電子処理を発生させる作家であることから、電子ポップの内部に、自然と声と生活感の居場所を作る作家であると言える。

 

次に挙げる作家はgaburyuである。

gaburyuは、Inuほど直接にBotanica的な音楽を示す作家というより、結果的にBotanicaという枠組みから照射できる中間層的な存在である。だが、その楽曲における一音ごとの感覚の鋭さは、現在のBotanicaを考えるうえで無視できない。

gaburyuの音楽で特徴的なのは、生活音や自然音をそのまま導入するというより、カメラのシャッター音を、楽曲のつなぎや質感として用いる点にある。そこでは自然が直接鳴っているというより、スマートフォン、カメラ、インターネット、仮想空間、合成音声といったデジタル生活の断片が、音楽の中で風景化している。

この点で象徴的なのが、初期EP『ユラレノーティフィケーション』(二〇一九年)である。

Yurare Notification

Yurare Notification

  • gaburyu
  • エレクトロニック
  • ¥1785

同作には『POP IT SODA』『summer leap feat. somunia』『インターネットビーチ』『Connected World feat. somunia』などが収録される中、その三曲目に『Botanical Botanical』という楽曲が置かれている。

Botanical Botanical

Botanical Botanical

  • gaburyu
  • エレクトロニック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

もちろん、この時点で現在の意味でのBotanicaというジャンル名が成立していたわけではない。しかし、通知、インターネット、ビーチ、接続された世界、そして『Botanical Botanical』という語が同じ作品内に並んでいることは、後から見るとかなり示唆的である。gaburyuの音楽は、自然そのものへ回帰するのではなく、デジタル生活の内部に、植物的な質感、夢、海、通知、接続の感覚を2019年時点で接続させていた。そこに、Botanicaとして読む余地がある。

さらにgaburyuは、『条理加速の片隅、彼女と想像の中身に関する行方』(二〇二〇年)『メイドサントウィッチリミキシーズ』(二〇二四年)のアルバムジャケットに代表されるように、合成音声を使用した楽曲と自作の3DCGキャラクターによって独自の世界観を構築する作家でもある。 

想像の中身を食べてみたくて (INTRO)

想像の中身を食べてみたくて (INTRO)

  • gaburyu
  • エレクトロニック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
ウーモー (feat. 新日本開発機構) [新日本開発機構 Remix]

ウーモー (feat. 新日本開発機構) [新日本開発機構 Remix]

  • gaburyu
  • エレクトロニック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

つまりgaburyuにおいて重要なのは、自然音を導入することではなく、むしろ合成音声、3DCGキャラクター、通知、シャッター音、インターネット的な接続感覚を通じて、デジタル生活そのものを風景化することである。Inuが電子ポップの内部に自然、声、余白、生活感を発生させる作家だとすれば、gaburyuはデジタル生活の断片を、キャラクターと音響の風景へ変換する作家であると言える。

 

三つ目のラインは、TEMPLIMEと星宮ととである。

このラインは、Porter Robinsonのリスニング圏との接触という意味では、Inuやgaburyuよりも直接的である。というのも、TEMPLIME/星宮ととの『Escapism』は、二〇二三年にPorter Robinsonのプレイリスト『cherished music』に選出されている

porter robinson : cherished music - YouTube

 

つまり、TEMPLIME/星宮とと周辺では、電子ポップ、バーチャルな声、キャラクター性、クラブミュージック、生活感が、一つの音楽空間として組み直されている。星宮とと側から見て、その達成が象徴的に現れている作品が『クラウドダイバー』(二〇二〇年)と『TIMESURF』(二〇二一年)である。

TIMESURF

TIMESURF

  • TEMPLIME & 星宮とと
  • エレクトロニック
  • ¥2444

『クラウドダイバー』は、TEMPLIMEと星宮ととの連携を広く示した作品であり、『TIMESURF』は星宮とと+TEMPLIMEによる「みえない映画」第一作として、十六ページの日記と百ページのオリジナル小説とともに完成する音楽体験として提示された。

ここで行われているのは、バーチャルな声、日記、小説、生活の断片、クラブミュージック、電子ポップが組み合わさることで、キャラクターの実在感そのものが音楽の中で立ち上がっているということだ。

この点で象徴的なのが、『Housewarming』や『届けもの』シリーズである。

Housewarming (feat. 星宮とと)

Housewarming (feat. 星宮とと)

  • TEMPLIME
  • ポップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
届けもの (eps.1)

届けもの (eps.1)

  • 星宮とと & 藤沢ハルカ
  • エレクトロニック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
サウンド研 (eps.2)

サウンド研 (eps.2)

  • 星宮とと & 藤沢ハルカ
  • エレクトロニック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

『Housewarming』は、星宮ととの声の断片そのものがトラックの質感や部屋感を作っていること、さら『TIMESURF』に収録された『届けもの (eps.1)』をはじめとするエピソード群は、アルバムを単なる楽曲集ではなく、日記、会話劇、断片的な物語を含む音楽体験として成立させている。キャラクターが歌うのではなく、キャラクターが暮らしている空間ごと音楽化されているのである。

 

では、ここからはBotanica以前から存在していた日本的な風景音楽の回路へ移りたい。現在のBotanica的感性から振り返ると、その前史として重要な作家の一人がharuka nakamuraである。高木正勝が自然と演奏の関係性を録音した作家だとすれば、haruka nakamuraは記憶、光、祈り、夕暮れを、ポストクラシカル/アンビエントの側から風景化してきた作家であり、ここでは自然音の導入以上に、音楽が記憶の中の景色を呼び戻すことが重要になる。

フォーマルハウト

フォーマルハウト

  • haruka nakamura
  • エレクトロニック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

同じ系譜として、もう一例挙げる場合はMotohiro Nakashimaの音楽であろう。ここは、Botanicaそのものというより、接続しうるアンビエント・フォークの支流として置ける。フィンガースタイル・ギター、瀬戸内海を思わせる穏やかな音や、記憶の中の風景を探る姿勢は、Botanicaの電子処理やSoundCloud的な質感とは異なる。しかし、音楽が風景と記憶を呼び起こすという点では、高木正勝、haruka nakamuraと並ぶ「日本的な風景音楽」の一系譜として扱える。

Reflection

Reflection

  • Motohiro Nakashima
  • ニューエイジ
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

 

ここまで振り返った上で見えてくるものは、Botanicaをあまり狭く定義しすぎないことである。そもそも語彙としてはBotanicaという語は「植物の」「植物に関する」に由来する。そのため、どちらかといえば一本の幹から伸びる体系というより、複数の枝葉が後から一つの風景として見えてくるような総称と言える。ともすれば、『Nurture』によって生まれたジャンルというより、『Nurture』によって一度に可視化された複数の文脈を、後から照らし返すことができる言葉という広義的な意味もある。

 

高木正勝的な自然と演奏の関係性、lo-fi以後、或いはSoundCloud以後のfolktronica/electro-popの整理から、加工声、キャラクター性、そして生活感。それらはもともと別々の場所に点在していた。しかし『Nurture』は、それらを一つの感性として強烈に焦点化した。だからこそどの作家がBotanicaに属するかではなく、むしろBotanicaという言葉によって、それまで別々に聴かれていた音楽の風景化の回路が見えるようになったことの方が大きい。

 

そして何より重要なのは、『死亡遊戯で飯を食う。』がデスゲーム作品であることと、そのOP『¬Ersterbend』にBotanica的な質感を感じ取れることは、決して切り離せないという点である。デスゲームという苛烈な形式の中に生活、あるいは環境音のような感覚を入れることで、作品世界を単なる殺し合いの舞台ではなく、音によって立ち上がる場所へと変えている。

まさしく死亡遊戯の中に、音が咲いているのである。

¬Ersterbend

¬Ersterbend

  • LIN
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes