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Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

【アーカイブ】『傷物語〈こよみヴァンプ〉』トークイベント

『レゼ篇』の音響話の地続きで本当に申し訳ないのだが、やっぱり真面目に名倉音響を語るうえで、直系の師である鶴岡陽太の仕事線は避けて通れない。

前回は『聲の形』において山田尚子×鶴岡陽太が「is版」を円盤収録へと後押しした経緯を手がかりに、その思想性、つまり牛尾の自我音響というものを確認しました。

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今回は射程を『傷物語こよみヴァンプ〉』へ移し、鶴岡が同作でどのような音響設計に勤しんだのかを、尾石達也×小黒祐一郎トークの発言にあったことを思い出したのでこちらも、急遽アーカイブとして残すことにしました。

同時に、総集編には不参加ながら三部作本編で録音を担った名倉靖の仕事を照応として捉え、名倉音響を考える際の資料としても、活用できるかなと。作品論として面白いイベントでしたし。

こちらも逐語よりではあるが、前回同様、進行形でとるメモというのは本当に乱雑にしかなりません。それが軸なので、文章が変なところもがあります。その点はご了承ください。ただ、文章をまとめたのはイベントが終わってすぐだったので、今回のために記憶を巡らせたというわけではないので、そういう意味では熱気はそのままに近いです。


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作品としての総合的な完成度やインパクトでいえば、正直言えば、山田尚子の『聲の形』や尾石達也の『傷物語』という怪物級には敵わない。

ただし音響アニメという観点に絞れば、『レゼ篇』は明らかにその継承線上に位置づけられる。良し悪しの比較ではなく、設計思想の系譜として。

「聲=保存」「傷=逸脱」「レゼ=架橋」がある感じとでも言いますか。名倉靖が録音で正反対ともいうべき二作品を経験している事実も含めて、最新作が単独で浮かぶんじゃなく、系譜と照応しながら位置づけられるはずであると。


<本編>

小黒: いつか「アニメスタイル」で開催しようと思っていた。新文芸坐の画角でないと映えない映像スタイルな作品でもある。

 

尾石: 小黒さんとの対談が感慨深い。『ぱにぽにだっしゅ』〜『絶望』に至るまで世話になってた。

 

小黒: アニスタで6回ほど取材したが、こういう形で話すのは今回が初。諸般の事情により「新千歳空港国際アニメーション映画祭」に先を越された。

 

尾石: 会った時には既に有名人だった。その上でかなりイけている時代の作品を評価・支持されたことが嬉しかった。

 

小黒: 記事にはならなかったけどね。

 

小黒: 『絶望先生』の時に脚本を描く時に原作者が顔通しする時があった。その時に「人としての軸がぶれている」の映像だけは完成しており、尾石さんも顔合わせをする時だった。すごく「目がいっちゃってる人が、達成感のある顔をしている」姿をみて。大変なことをしているなぁと。

 

小黒: 何らかの時にあった時に『傷物語』の三部作の絵コンテが上がってきた。「一本の絵コンテでこんな時間かかってしまってどうするの?」って聞いた時に「僕はこんかいのこれで映画というものがわかりました。だから次はすぐ描きます」ってことをこの前伝えたら、、

 

尾石: 大馬鹿野郎ですよね。結局今悩んでいるわけだから。でもその時は達成した気持ちだった。

 

小黒: 俺は映画の秘密を掴んだ!!って感じでしたよ。

 

尾石: 本当、その時に戻って聴きたいですよね

 

小黒: お前が掴んだのなんだったんだってw。これからやる絵コンテが3時間の絵コンテになるから、それに比類する長尺な映画を見るっていってましたよね 『涼宮ハルヒの消失』見ましたとか。

 

尾石: いっていましたね。だからやる前に研究するんですよね。まずは『吸血鬼 ノスフェラトゥ』(1922年)から見て、あの当時は『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008年)くらいまで一通りみました。そこから考えていった。

 

尾石: 最近忘れが激しい。『傷』で羽川が両手を広げながらバタバタと風にあおられるシーンがあるがあれはフェリーニの『8 1/2』のマルチェロ・マストロヤンニが空を飛んでてバタバタっと煽られるカットにしたく、昔の印象として残っていた。あのシーンは佐藤浩一さんが描いてくれた画、打ち合わせの時にビデオをもっていってみせて「こういうふうにして」と頼んだら全然異なっていて、最終的にいいようにお願いしますという形に落ち着いた。

 

小黒: 元々2時間でまとまる脚本があがっていてそれが絵コンテで3時間オーバーという話じゃないの?

 

尾石: 違います。最初シナリオは4時間あった。『化』をボロボロになってやっている時に『傷』のシナリオ会議が行われていたらしいという情報があった(知らされてなかったが)そして終わったら「これをやりなさい」と言われた。 その時には映画であることは決まっており、シナリオも極力原作網羅をする形で、ページ数的に「これ4時間超えると思うんですけど?」って新房さんに聞いたら「じゃあ4時間の映画つくればいいじゃん」と言われた。 それで「これはちょっとまずいな」と思い自分でシナリオを再編集という作業にはいった。 だから決してコンテで長くなったわけではなく、シナリオ段階で長かった。

 

小黒: 脚本のまとめ直し→コンテ描きで結果的にコンテで時間がかかった。

 

尾石: そうですね。だから待っていただいた方には申し訳ないと思っている。ただ、やはり『化』をずっとやっていたものですから

 

小黒: 配信組はオンエア時の空気を知らないと思うが、ちょっと違って緊張感がありました。配信日1日延長しますとか

 

尾石: 自分が入った段階で『化』は時間がなかった。ただ、「やるんだったら全部自分の美意識でまとめる」と それまでは作品の余裕を考える余地があった。『化』はそのくらい大変だった。 例えば『化』ではお札に「赤瀬川」とあった。それって赤瀬川原平っていう現代芸術家がいて「偽千円札裁判」というものがありそのオマージュで描いているのだけど、それもだから思いつきでオペレーターに言っているわけだから描いている側はよくわかってない。美内が終わった後に「ちょっと美内とは違うんですけど、りんたろうの作品みたいな黄色い空みたいにしてください。」みたいな感じで思いついたことをひたすらやっていく。 戦場ヶ原に思い入れてしまい、デート回の服装などはファッション誌などを参考に、バッグは黄色いバッグであったりと、こうでああでというかたちで考えて作っていった。こういった『化』でボロボロになった後の『傷』だったので辛かった。しかし惚れた弱みっていうかさ、、ほら『機動戦士ガンダム』でアムロが命令違反で独房に入れられる時に(第19話 「ランバ・ラル特攻!」)「僕が一番ガンダムを動かせるのに!!」という気持ちで「僕が一番『傷物語』を動かせるのに!!」という気持ちに。

 

小黒: 整理すると、時間もない中やった『化』が終わった後、次は1から構築したいという思いで『傷』になるわけですね?

 

尾石: そうですね。『化』とは違うスタイルを目指しました。同じことをしたくないし(演出映像スタイル含めて)。 その時自分がイけている映像を作りたいと思っていた。その時一番自分がいいと思うイメージを元に作っていった。よく学習塾の形が違うとか暦の家が違うと、色々と言われていますが、自分の中では「『銀河鉄道999』における星野鉄郎の顔が違う!!」とか、「『ガンダム』のGアーマーコアブースターになっている!!」みたいなものが劇場版だから、そういう感覚で作っていった。

 

小黒: 背景がフォトリアルなのは?

 

尾石: エスカレーターのイメージがあった。その金属感を出したかった。そしてそれは手描きではない。 水、金属を素材として出したくてCGになりました。

 

小黒: 要するに『傷』のアヴァンギャルド感は「ほぼ実写」な世界に手描きのキャラクターがいることで生じる不思議な感覚がそれに繋がっていると思う。ガチガチなリアルにしたかったわけではない??

 

尾石: 自分の美意識の中ではそれはおかしくないこと。TVシリーズを作ってる時だって写真を貼っていたりしていた。アニメでは少ないかも知れないが、古典というか、技法としては確立されていたわけですよ。 割と子供の時から(小黒から『モンティパイソン』があがりそれも頷きながら)『トムとジェリー』がすごく好きでみていたら間にテックス・アヴェリー(カートゥーン黄金期のアニメーター)が実写と合成を当たり前に挟んでいて、幼少からそれがおかしいものとは思わなかった。一方でシャフト演出時代はそもそも時間がなかった。 『月詠』のとき、カッティングを行うのが三日後といったスケジュールで、三週間でオンエアというスケジュール 海外で動画を待つしかない。しかし中1日であがる動画って色々と絵が溶けている。生理的に許せない。であればそこは写真をはったほうがいい。『傷』をやっているときは「『恐竜大戦争アイゼンボーグ』みたいなのでいいんですよ」っていってました。あれは実写の中にアニメキャラが出てくるんです。それにしたかった。潔いし

小黒: 実写フォトリアルにセル画キャラがいることで現実を剥き出しにしてみたいというのはあるんじゃない?

 

尾石: どうなんだろう。そっちの方が面白いとおもった。もっとキャラクターを手描きにした方がいいと思った。

 

小黒: キャラもシリーズよりもリアルだしね。

 

尾石: それは守岡さん(作画監督)などの影響がありますね。そうして欲しいといったようも気もしますが。 アニメにはキャラクター表がありますが、それをみながら描かないでくれとはいったかも。どっちかっていうと絵コンテに近い感じで描いてくれという感じ。

 

小黒: アヴァンギャルドにしたいという思いはなかった?それは結果?

 

尾石: どうなんですかね。小黒さんは自分のことを「アヴァンギャルドな作家」として評価してくださっていますが、どうなんでしょう、、尖ったものを作りたい、見た人に驚いて欲しいというような思いがある。 作家には2タイプいると思っていて、自己優先型と観客に喜ばれたい型。自分は後者であり、シャフト演出時代にすケージュル時間がないなかで生み出した技法もあいまった結果。『ひだまりスケッチ』をやっていたときの話で、まず『ねぎま』のオープニングと第5話の絵コンテ・演出が終わったとき、元々作品が多数いて出席番号と名前全部を覚えた瞬間に新房さんとシャフトの社長に「今日から君は『ひだまりスケッチ』をやりなさい」と言われて、それが11月で、オンエアを聞いたら1月。その段階で美術設定がなく、、、だが当時はイケイケの時だったから、時間がないことを逆手にとって、「じゃあ全部自分よりに染めてやろう」という気概になった。美術設定が終わって2話の絵コンテが12月の頭で1月オンエア、コンテがあがり12月31日。除夜のかねを聴きながら打ち合わせなどをして二週間で作るという。逆手にとるという段階をとっているので全部止め絵、その代わり500カット内200カットを守岡くんに描いて貰えば何となるみたいな。そこで色々と試していく。 トイレの止め絵→黄色色コマ→音を流す→ということで、描写表現をするなど、色々と時間のなさを活用していました。そういった部分が「アヴァンギャルド」という評価に繋がっているのかなぁと。

 

小黒: 時間がない中で写真を使うということ自体に驚いて欲しいという思いはあるわけでしょ?

 

尾石: もちろん。実写とアニメは似ているようで方法論が違う。実写で「すごいロングのキャラがいる」→次のカットでクロースアップすると「どき!!」なるがあの感覚がアニメは決定的にだせない。 羽川が骸骨でトンと出る描写があるがあれはアニメ絵で描いてもその驚きは出ない感覚。だから実写にしている。

 

小黒: 日本の国旗などもセルではダメなんですね。

 

尾石: 無機物は手描きにしたくない。セル画は有機物という描き方という感覚。 昔のアニメって本とかがそうだけど、手書きで書いてあったりして自分としては気持ちが悪くって、間の装丁でっていうことがしたい。 全然関係ないですけど『となりのトトロ』で金田パートあるじゃないですか。コマで飛ぶシーンで、お父さんが仕事しているじゃないですか。その本棚に「著者 金田伊功」ってあって、びっくりしてそれをよく宮崎さんが許したなと。

 

小黒: それでこのパート全部金田さんってわかるわけですね。

 

尾石: そうそう、金田さんもよく自分の名前書いたなって思いますけど

小黒: ストレスたまってたんじゃない?生前に伺っただけどジブリの仕事は己を殺さないといけないから辛いといっていた。 話変わりますが、丹下健三さんの建築美術はどの段階で?

 

尾石: 絵コンテ入る前ですね。

 

小黒: そもそも順番として震災があったときは絵コンテに入る前?

 

尾石: 脚本をいじってた。

 

小黒: これまでインタビューで日本をテーマにした。生きづらい世界だけど、その中でどのように生きるかという思いがあってからの丹下美術なのか?もともとなのか?

 

尾石: 時系列っていうよりか、、自分は理論よりイメージがくる。絵コンテ描く前からエスカレーター見えてたし、最終盤シーンでああいった舞台でバトルをすることも決めていた。序盤のころに学習塾を巨木が回転するカットが浮かんだ。これは他でも言っていると思うが、それが『傷』のとっかかりになるのではないか?震災とは別にそもそもイメージで使えるものを美設の武内さんと色々と探していた。メインイメージが『未来少年コナン』の三角塔に木が生えている感じで、ある日山梨文化会館に向かってみたら、ガイドさんから「これ、『未来少年コナン』の三角塔のモデル担った建物なんです」っていわれた瞬間に必然に変わったような気がして、要するに『化』はモダン(コルビュジエとか)、今回は「日本縛り」にしよう→だから同じように『化』でヌーヴェルヴァーグのイメージだったから今回は「じゃあヌーヴェルヴァーグの影響下にあった60年代の邦画にフォーカスしようと。

 

小黒: タイトル知りたい

 

尾石: それこそ吉田喜重とか

 

小黒: 『エロス+虐殺』(1969年)

 

尾石: そうそう、、とかね、、『煉獄エロイカ』(1970年)とかさそのあたりのイメージです。だから日本縛りがあっての丹下引用という形。

 

小黒: そのあたりで順番はわからないが震災と日本縛りということと、6、70年代という景気が良かった日本だったりと、色々と合わせて「日本テーマでまとまる」とどっかで思いついたわけね

 

尾石: そうですね。『傷』に入るときにどうしても阿良々木暦の気持ちが掴めなかった。まず逃げればいいのに助けて、殺してくれって頼んでるのに、添い遂げるじゃないけど助けてしまう。その気持ちがわからなかった。 ただ、そんなときに3.11があり、福一が爆発して大変になり、活気があるころの小名浜もしっていたため、『傷』は価値観が逆転する話だと思った。そのときに不謹慎かもしれないが阿良々木暦の心境が理解できた気がします。

小黒: 何度か見ておもったが、「人間はいつ吸血鬼に晒されるかわからないという手段をとったという道を選んだ」これはメタファーとして原発との共生を重ね合わせているの?

 

尾石: うーん、キスショット自体が原発のような、こんなことになるとはっていう感じ、いわゆる制御不能な怪物というのが原発と重なることがあった。

 

小黒: そういうこともあって日の丸を引用することで「これは日本の映画です」と。だからキービジュアルでもそうすると

 

尾石: そんな感じですね。だいぶ忘れてしまいましたけどね。

 

小黒: この映画のいけているところは、いきなり赤ん坊の声が入るとか色々あるが、それも意味があると思っているがどうなんですか?

 

尾石: 全部に理由はないが、嫌なことはいれない。好きなことでまとめるという意識でやっている。ドラマツルギー戦で「野球のカットの音」が入るが、あれは『巨人の星』のオープニングのイントロ。しかしダイビングの時に田中さん(音響効果)は音のプロだからそのわけがわからなさに嫌がられて、音響監督の鶴岡さんもあんまりも揉めているから外で話してきてっと言われて話したけど「やりたいんです、、」しか言えなかった。結構そう言った衝動はある。 理屈よりもインスピレーション。迷ったらインスピレーション。 『こよみヴァンプ』では落としたが、羽川がトマトのサンドウィッチを作ってくると。あの件は西尾さんの原作にはない。(『あしたのジョー2』で林 紀子がサンドウィッチを作る描写意識) 吸血鬼でトマト繋がり、「吸血鬼は人間を捕食、人間も何かを捕食」という描写となれば、あれしかないと思った。 エピソード戦の「ははははは」も黄金バットのオリジナルの音を使いたいわけだが、、できないから入野さんに再現をしてもらった。あのカットも過去にみた怪奇映画の引き出しです。なにかはわからないけど。

 

小黒: 羽川のシーン(体育館のくだり)については?

 

尾石: 三部作を見てもらえれば。

 

小黒: 元々、尾石さんの中ではあのシーンは違和感があったんだよね?

 

尾石: 原作を読んで、なぜここでそういうふうになるのかがわからない。悩みどころだったけど しかしそこを無くすと、客はがっかりすると思ったわけです。行動原理として繋がらない。だから自分を納得させるために、『傷』はテレビ版とは異なっている。そこで分け目を描き方を変えることで納得させた。やるなら徹底的に。堀江さんには申し訳ないんですどね、、清純派のイメージがあったので。コンテ描いている時も演じてもらえるのだろうかという思いはあった。が中途半端にはいかない。だから『こよみヴァンプ』は『化』でひたぎにフォーカスしたこともあって、12話以降は羽川に意識して描いていった。 『傷』だとキスショットがメインになるわけだが、今度は坂本さんに申し訳なくなって、命乞いのシーンのお願いをしたら「やりたくない!!」といわれて、、ただそれはその時にしかでいない芝居をなさっているからで、、、 しかし都合上もう一回という形をとった。 音と動きが合わせている以上、全部切ると全部作り直しになるから切れるところと、そうでないところが明白。 再アフレコも編集したところだえ。

小黒: 今後はこういうスタイルになるか、違ってくるのか

 

尾石: 作品は作る時に気負って作る(大傑作をつくる)。一つあるのは『傷』の先をいきたい。2025年で一番いけている作品を作りたい。

 

小黒: スタイルは変わるかもしれないが、、、

尾石: とてつもなく時間はかかるかもしれないが、、自分でいっていきたいのは『傷』が恵まれていたのはスタッフ 絵コンテは孤独だが、実制作側の仕方記憶しかなく、それは関わってくれたスタッフが自分と同じ熱意で取り掛かってくれたから。だからこのフィルムがすごいというのはスタッフのおかげ。故にアニメは一人では作れない。 そういう縁を大事にしていきたいですね。作らせもらえるのであれば。

小黒: じゃあ、もう手直しをしたいシーンはないですね?

尾石: 『傷物語』はやりきりました。

 


 

<おわりに>

結局のところ、『聲の形』の〈is(inner silence)〉にせよ『傷物語』にせよ、鶴岡陽太は音の決定が交差する節点として機能している。『聲の形』では〈is〉を5.1ch特典として残す判断を後押しし、劇伴/環境音/無音の配列そのものを作品装置へと引き上げた。

一方『傷物語』では、実写的SFX(=SE)や引用SEをめぐる演出×効果の綱引きにおいて、極端な音を最終的に通す調停役かつ保証人として立つ。無機物を手描きにしない画作りが質感の断層で衝撃を立ち上げるなら、音はその衝撃を可聴化している。

実際、野球の打球音や黄金バットの笑声といった「異物」は映画的リズムとして定着しており、そこには「音を意味ではなく運動として通す」鶴岡の現場判断の連続性がある。

 

音主導としての『聲の形』is版 →鶴岡(音響)←映像主導の『傷物語

音主導の『聲の形』is版と映像主導の『傷物語』いずれのプロセスでも、最終的に音で画面の見え方を組み替え、映画の運動へ束ねたのは音響監督・鶴岡陽太である。

そのうえで、両作に録音として関わった名倉靖の存在は、性質の異なる二作品を架橋する意味でも、実務の精度としても特筆に値する。やはり冒頭にも書いたが、設計思想の系譜として「聲=保存」「傷=逸脱」「レゼ=架橋」と筋道を建てられるからだ。聲、傷それぞれの要素が『チェンソーマン レゼ篇』で名倉が音響監督として何を目指したのかを考える際、本稿の整理は有効な手がかりになるはずだ。2025年9月時点では詳細は未詳だが、いずれ公式の音響面の発信がなされたとき、その読み解きに資する下敷きとして機能すれば幸いです。