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Music Synopsis

音楽に思考の補助線を引く

『呪術廻戦』懐玉・玉折/渋谷事変 ― 劇伴論(1) ミニマル音楽と会話の格子

<前振り>

偶然、というかやっぱり中村悠一櫻井孝宏がWで主演の作品は見なければならんよなぁということで、食わず嫌いをしていた『呪術廻戦』より「懐玉・玉折」を最近、鑑賞しました。どうでもいいことではありますが、自分はこの記事でも述べた通り

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「ジャンプ的」なものが、どうも身に合わないのですが、そんな自分でも楽しめる作品であったので満足したというのが表の感想。あと、今更とはいえ、子安武人氏が演じる刀もったおっさんキャラクターが面白く、なんかそれこそ、『Fate/Zero』における衛宮切嗣vsアーチボルトという対比「魔術師殺しvs魔術師」というのが「呪術師殺しvs呪術師」という構図の再来に思えて、とてもそういう意味では気分が上がったんですよね。

 

(ちなみに『Fate/Zero』『PSYCHO-PASS』を推すのは作品がどういうもそうですが、それ以上に対複数人、会話メインという作劇において音響監督が岩浪美和さんがご担当されているという象徴性からの援用です。詳しく知りたい人はどうぞ調べてください)

 

向こうは小山力也と山﨑たくみで、まぁ一種目に見えた「やられ役」だったわけですが、「懐玉・玉折」っって描くの面倒いなので、玉玉って略しますが、この話では、ちゃんと強いけど最後には仕留められるという構図だったので納得感がすごく高かったんですよね。超強いもの同士の闘いっていうのが、売りなのか、あるいはそういった戦略と戦術の保線がうまいのか、その点は読んでいないのでなんともですが、キャラ造形はうまいなぁと思ったり、セリフの応酬においてはちゃんと櫻井孝宏に言わせるべきセリフを言わせていたり、中村悠一じゃないと成立しないセリフだったりと完全に計算されているような作品で満足感が高いし、それに対する子安武人の演技の妖艶さといったらね。特に櫻井孝宏子安武人に羨望を抱く役者の一人ですから、そんなお二人がああいう演技合戦をされるとそりゃ心躍るだろうという。

 

でもそれ以上に感動したのが劇伴。本当にシンプルに超良い。爆音で聴くこの快感。

フリー・ジャズ寄りのピアノ×ドラム・デュオ的構成で、ピアノとドラムの当て合い=呼吸と間合いの衝突という力の強さ加減を楽器同士のぶつかり合いで象徴させる運用のうまさ。グルーヴで運ぶよりせめぎ合いで張る方向のジャズ。これがtrack1なのが最高にかっこいい。

 

懐玉

懐玉

  • 照井順政
  • アニメ
  • ¥255
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だから、まず「懐玉」で唸って「Our Mission」で笑いが止まらなくなり、「伏黒甚爾」で完全に方向性が読めて「No Hesitation」で到達できた気がする。そんな気持ち。

 

<劇伴を聴くということについて>

その前に一度スタンス的な感じなことを。ここにおける「良い」というのは、本来の劇伴の主張性として、妥当というか全うであるということ。つまり凄いのはいい加減わかるけど数多の作品で方向性として第一次源である梶浦音源は「信頼」できる分、それすなわち外さない曲調というのがありそれがアニプレ戦略×ufotableが築き上げた帝国スタイルなあって座組として梶浦由記が絶対的に劇伴作家として人気作品を担当するからこそ「さすが梶浦!!」になってもそれは同時に「梶浦の場合外さないからワクワクする劇伴」というものが、相対的に感じられにくいということ。

 

鬼の映画をみても椎名豪主体となったとて、「座組」の色が濃いからこそ、音楽は全くと言っていいほど主張性もないし記憶にも残らない音源であったし、じゃあどこで「おっ」となったかといえば終盤にちょろっと流れた「梶浦色」っぽい琴の音のその瞬間なんですよね。さまざまな理由で多面化をしている気がするが、ブランド作家で構築してきた手前、そうでない人が担当すると崩れるといういい例であると思う。予告編の音以上の衝撃がないのだから。つまり逆説的なんだけど、梶浦が安定を築いているからこそ、他の作曲家が前に出ても「主張」として届かないですよ。座組で組んでるゆえの弱さ。というか、梶浦由記とあのアニメでいけば最終戦は絶対にカルミナ・ブラーナ/ヴェルディ的な楽曲路線でコーラス重ねて盛り上げるくらい、設計が見えているのだからというのもあるが。

「カルミナ・ブラーナ」 ~ おお、運命の女神よ

「カルミナ・ブラーナ」 ~ おお、運命の女神よ

つまり、菅野よう子が『∀ガンダム』でそうしたように、鬼のアニメにおいて、ようやく梶浦由記がそのフェーズに足を踏み入れられる領域というわけです。本当にそこを狙ってくるかはわからないけど、それ以外に最終戦を盛り上げる、というのは梶浦スタイル的にはあまり考えられない。じゃあ、それでいえば梶浦由記の「MOON」枠がAimerあたりで聴けると夢想すればこそめちゃくちゃに熱いですけどね。

∀ガンダム (Original  Soundtrack) I

∀ガンダム (Original Soundtrack) I

Final shore ~ おお、再臨ありやと

Final shore ~ おお、再臨ありやと

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Moon

Moon

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終盤でちょっとだけ流れる「あ、梶浦っぽい」とそれまでの劇伴の記憶されてしまうのは象徴的。ブランドの強度が高すぎて、同じ現場に入った人間の音がかき消される。どうやら近藤社長と随分と作り込んだようだけど、正直いって座組で汲んでいるなら梶浦由記以外に、そのクオリティを求めるのは圧倒的に、間違ってる。「印象」に残らない曲しかないという「結果」に対して70曲以上作ったとかいう、「過程」の自慢も取れる文章と、喧嘩状態で作り上げる一方で「もう1人の音楽家梶浦由記とは」という記載がありメインの扱い方を間違え続け、首座の、椎名豪との関係は「近藤と一緒に徹夜して意見ぶつけ合いました!」という制作ドラマの色合いが強くなってしまっている。これは一見熱い現場に見えるけど、超大型IPの音楽基盤としては あまりにも不安定でプロデュース不足。音楽作品ではなく作り手と音響との衝突が物語として前景化。

 

そりゃいい構造的にも環境的にも印象に残る音楽なんて作れるわけないわなと。

 

だから一応、梶浦もクレジット上には記名されているとはいえ、椎名豪を「主体」に据えるというのは、構造的にいえば 『エヴァ』から鷺巣詩郎を外して別の作曲家に差し替えるのと同じこと。鷺巣が作る「エヴァ音楽」は、作品の空気そのものと不可分で、もはや映像演出と同格の柱になっている。そこを崩したら全体の統合感が壊れる。

 

フランスからクラシック音楽作法のコントロールが瓦解したらルグランオマージュの『thème du concerto 494』すらないエヴァの映像ってそれ片手落ちどころの騒ぎではないでしょう。

thème du concerto 494

thème du concerto 494

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作芸やジャンルこそ違えど、『新世紀エヴァンゲリオン』のような作品において鷺巣詩郎以外にあの音楽世界をコントロールできる人がいるかと言えば誰もできない。それと同じ。鷺巣詩郎が構築するからこそOP冒頭から、掴み、まとめ、独白BGMに至るまで、しっかりと鷺巣節が施され情景、哀愁さみたいなものがしっかりとあの世界を包むことで映像と音楽の掛け合わせでものすごいアニメ映画が成立するのでわけです。

tema principale: orchestra dedicata ai maestri

tema principale: orchestra dedicata ai maestri

euro nerv

euro nerv

berceuse: piano dans l’orchestre à cordes

berceuse: piano dans l’orchestre à cordes

what if?: orchestra, choir and piano

what if?: orchestra, choir and piano

born evil

born evil

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それがない、ただただ金がかかったアニメ映像とは?とか思ってしまうわけです。50/50の関係における映像/音楽の比率として明らかにバランスが取れていない。

 

比喩的にいえば『逃げ上手の若君』のエンディングの「ぼっちまるまる」の『鎌倉STYLE』のイントロのあの感じしか、記憶に残らない超大型IP劇伴っていう印象なんですよね。なんだよそれって話で。和風作芸なんだから琴が似合うのはともかくとして。

少なくとも全編梶浦だったら違ったことはむしろ客が一番わかるところ。

だったら『逃げ上手の若君』のEDイントロを聴いて、仲良く「うぉうぉ〜!!」とかいって、『鎌倉STYLE』を聞いた方が楽しいだろって話です。

鎌倉STYLE

鎌倉STYLE

  • ぼっちぼろまる
  • J-Pop
  • ¥255
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「安心感=外さない」型の良さになってしまう座組で作品を安定的に組むアニプレックス案件の劇伴はその意味ではつまらない。梶浦と澤野をとりあえず使っておけばいい感というのは、安定だが、安定に勝る楽曲という新鮮味はいい加減ないんですよね。というよりもやはりこれは2000年代から続く潮流を引き摺っているからなんだと思うんだけど。菅野→神前という流れに並列していた梶浦が『コゼットの肖像』やら『.hack』で導線が生まれ、それが回り回って『ソードアートオンライン』『魔法少女まどか☆マギカ』『Fate/Zero』とアニプレの大型案件専門になったという手前、仕方ないけど、2010年代のアニメに馴染みがある層にとっては、梶浦がいくら新曲を書いても「凄い」という水準は保証されている一方で、「未知の驚き」や「新しい扉を開いた感覚」はなかなか得られない。自分が大好きなryo(supercell) も圧倒的に凄すぎて「わからない」が先立つくらい作品よりも楽曲としての作品性がしばし非常に強さというのは、主題曲におけるハズレのなさをわかる話。ああいうのは圧倒的にすぎてむしろ畏敬になるのだがそればっかりだと、つまり、すでにブランドが確立しているがゆえに、革新性を感じづらくなっている。

 

まぁ、劇伴の革新性ってなんだよっていう意味では「劇伴」としてどこまで「懇切丁寧」にアプローチがなされているかどうかの違いではあるのですが。

 

そういうふうに組み立てて考えていくと大手作家でいえば、菅野よう子は「懇切丁寧さのバリエーションを常に更新し続けた人」、梶浦由記は「一度確立した懇切丁寧さを鉄壁のフォーマットにした人」、澤野弘之は「懇切丁寧さよりも圧倒的な表層インパクトで接合部を押し切る人」というパッケージでまとめてしまえるほどこの三者はそれぞれ明確に差別化された「パッケージ」で聴けてしまうほどに作家性が強烈で、だからこそ音源を純度100%で「作品にだけ集中して楽しむ」ことは難しい。必ず作家の声が聴き手に迫ってくる。それは途方もなく凄いことなのだけれど。

 

さて、これが言ってみれば2000-2010年代の支流のあり方であったことを考えると、やはり転換期は牛尾になる。『聲の形』で山田尚子とタッグを汲んで以降、基本的に山田尚子作品では外さないし、イマイチな音源もあるが、基本は78点以上は出す劇伴作家にまで成り上がり、今や朝ドラとプロフェッショナルセットという大衆性まで浸透しつつある。そして彼の成り上がりはともかくとして、以後の潮流としてあるのが、アニメ畑ではない人に音楽を付与することで相乗性を盛り上げてそれが、なんとなれば音楽も前景化し、配信前提のサウンドトラックといい、顔となり劇伴もしっかりと顧みられるようになってきたということだ。じゃあ何で睦月周平は『リコリス・リコイル』の音源を開放しないんだとか思うんだけどそれはそれとして。

 

牛尾憲輔agraph)案件

DEVILMAN crybaby』(2018)、『日本沈没2020』(2020)、『平家物語』(2021)、『チェンソーマン』(2022)などで、電子~ミニマル~伝統音楽を横断。

オオルタイチ案件

『映像研には手を出すな!』(2020)で全編劇伴。ドメスティックな実験音楽出自の作家を番組丸ごと任せた象徴例

マルチ・アーティスト編成案件

『Sonny Boy』(2021)はtoe、ミツメ、落日飛車、VIDEOTAPEMUSICほか多数のオルタナ/電子勢を起用し、BGM(Conisch)と楽曲提供をキュレーション的に混在。」海外ビート~ビートミュージックの導入案件

『YASUKE』(2021)はFlying Lotusがエグゼクティブ・プロデューサー兼作曲。

ビート主体・音色志向の前衛ポップをアニメ側へ本流輸入へ。

 

こうした中に、照井順政の起用を『呪術廻戦』に当てたのは一種流れとしては当然の帰結といえよう。彼もアニメ歴は全くなく、ポストロック、エレクトロニカを主体として音楽を発表してきた「外の人」なわけだ。だからこそ『呪術』の場合、作品も劇伴作家も知らない状態で見たからこそ、余計にその新鮮度は高いし、劇伴としてのあり方も「目的」と「意図」と「方向」がしっかりと明白であるから、聴いていてとても快適であるということ。アニメ劇伴にこなれていないからこその作り方というのが音源に虹見てでいる。

 

この流れの中で構築していくと、『呪術廻戦』の劇伴は、大型漫画原作アニメという最大級の舞台で、「ブランド外」の作曲家に思い切り暴れさせるという到達点を示した。つまり、構造的にも象徴的にも「安定から前景化へ」の潮流がピークに達した事例といえるわけだ。だから、そういして考えていくと、アニプレックスの超人気IPの固有の座組で決めるのは超強いしそうでしか作品を作れない体制はわかるんだけど、がしかし、その分、「アニメ外」の人が作る劇伴と比較した時に新鮮さやアプローチの明快さなどが際立つからこそ、言ってみればちょっと時代遅れにも思える。

 

 

ということで、声の音響話を続けてきたここ数記事でしたが、久しぶりの音楽話を始めます。だけど色々と劇伴に対する整理整頓がないと、全体的な流れがわからないと思ったので前説として劇伴のあり方についてまとめました。別に、個人的には声優の声を音響ととることは全然ありで、むしろ音楽との対比としてはセマンティックとしての意味とサウンドとしての音、という読みなんですけれど。

 

 

 

では次項から『呪術』劇伴についてです。ちなみに本編知識は「懐玉・玉折」しかないです。よろしくお願いします。

 

<本編>

言及アルバムは「呪術廻戦  懐玉・玉折 / 渋谷事変 ORIGINAL SOUNDTRACK」です。

<ミニマル音楽として劇伴>

さて、本編を聴いた時にまず一番気に入ったのがミニマル音楽性が強い以下の曲

『A Little Lesson』

『Our Mission』

『仲間(じゅつし)の屍』

『Prepare Yourself』

『Arrogance』

 

はじめに『A Little Lesson』は、第25話「懐玉」でループしている時に「どのようにして脱出するか」という一種の謎解きの掛け合いを間抜けそうな日笠陽子ボイスキャラと強そうな三石琴乃が会話するシーンから流れ始める音楽です。

A Little Lesson

A Little Lesson

  • 照井順政
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(キャラ名とか知らんので全部声優名で行きます)

『呪術廻戦』第25話-「懐玉」

そう。なぜいいか?という答えは簡単。これはミニマル音楽だから。

ミニマル音楽とは何か?というのはこの記事に譲る

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その上で、画面とどう同期しやすいか、という意味では、ミニマル=反復と格子をつくる音。だから、時間を刻む。ゆえに、映像として通学・作業・監視・研究などの手順の可視化にはもってこいであり、舞台を前景化に切り替えることができる/集中できる音楽の使われ方が最適なのだ。だからこのシーンでいえば、その手前までホラー調であったのに対して「脱出」という方法論を考え始める途端に「ミニマル」音楽として流れはじめる『A Little Lesson』はタイトルの通りミッションでありその過程を前景させるからこそ、そこにミニマル音楽が映えるという理屈にかなった劇伴である。

この手法はもはや、教科書として存在する<物語>シリーズが顕著ではあるのだが、それは別に専売特許というわけでもなく、会話の応酬がメインとなる作品ゆえの当たり前の作り方、ということなのだが、そうした作品を鑑賞している人であれば/意識している人であれば、このシーン場面における転換の劇伴作用については大方理解できる。

そして続く、脱出以後、五条、夏油とあとなんか色々登場して、話の掛け合いにおいて流れるのが『Our Mission』。

Our Mission

Our Mission

  • 照井順政
  • アニメ
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ここは会話メインでありながら、現場整理と状況確認という意味合いにおいて、「あのホラー空間とは一体なんだったのか?」というアンサーを会話の応酬でキャラを立てながら音楽と同期させていくという、一番手法としては明快なミニマル音楽作法、それこそ会話の応酬ではもはや当たり前と言っていいほどの作り方である。だから「懐玉」の第一話から、単にホラー調からバトルへの移行ではなく、思考プロセスを前景化するための音楽設計として構造化されているのだ。

実際、そのあと教師に怒られるくだりでは、音楽は無音。これは「ミニマル」である必要性がないからならさない、というたんに叱りを受ける場合、下手な音楽は挿入しないという当たり前な引きである。

 

 

そして3曲目『仲間(じゅつし)の屍』。これはシーン呼応どうこう以前に、あまりにもスティーヴ・ライヒのオマージュ作といっていいほどミニマル楽曲として成立しているのがまずテイストとして素晴らしいのがある。

仲間(じゅつし)の屍

仲間(じゅつし)の屍

  • 照井順政
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4〜6音程度の小フレーズを少しずつ足し引きして緊張を保つ構造だからこそこのシーンは第27話-「懐玉-参」において子安武人キャラが、五条を後ろから突き刺して動揺を誘うワンセンテンスに流れはじめる楽曲。

『呪術廻戦』第27話-「懐玉-参」 過去

『呪術廻戦』第27話-「懐玉-参」現在

昔の五条にあった時の回想と、現在という対比で「五条」というキャラが不意を突かれ、傷をおった、その緊迫感としてミニマルを使うというのは方法論としては真っ当ではある。刺突の瞬間から始めたワンセンテンスが、過去(回想)と現在(動揺)を同一の時間軸に縫い合わせる。観客は時間跳躍を連続として捉えられる。そこでライヒ的、というかポスト・ライヒを使うのが秀逸というか巧い。終止を引き延ばし、未解決のまま持続させるという場において感傷を抑えた冷たい昂揚を誘う音楽。緊張感を演出させるのであればこそ、待ってましたと言わんばかりの引用。

具体的には『Music for 18 Musicians』『Six Marimbas』系の援用型。

Music for 18 Musicians

Music for 18 Musicians

Six Marimbas

Six Marimbas

  • Norrbotten NEO & Daniel Saur
  • クラシック
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つまりあの数秒に「刺突→動揺→回想→現在」を一つのプロセス音楽で貫ぬいている。視聴していて、とても理にかなったシーケンスとなっているのだ。だからこのシーンは「音楽が良い」だけではなくアニメの演出の運び方の巧妙さも相待ってもの凄く視認性、聴性の高いシーンとして記憶に残るということ。その上でポスト・ライヒを持ってくるというこの意味は、五条の最強=制御像と矛盾しない、どころか、むしろ揺らぎだけを抽出している。だからこそ、整理がついて、vs刀の人との戦いに挑むシーンで音楽はなりやむ。実に運び方がスムーズで理にかなった音楽の使い方である。

 

4曲目『Prepare Yourself』は29話「玉折」において象徴的な流れかたをします。

Prepare Yourself

Prepare Yourself

  • 照井順政
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「対症療法」と「原因療法」における説明で、「原因療法」を是とするキャラクターが呪霊がどうこう、という話を夏油にレッスンするという場面から流れるの楽曲。色々迷っているなかで、自分が後に歩む理想的なあり方を提示され、驚くこのカットから鳴り始める。

『呪術廻戦』第29話-「玉折」

この曲も先の楽曲と同様に、ポスト・ライヒとしてのスタンスが明確に表れている一曲だ。『仲間(じゅつし)の屍』が、弦楽器による「ゆらぎ」で持続する哀悼であれば、『Prepare Yourself』はピアノのリフで進行する緊張進行型。感情ではなく、手順が物語を押す場面を支える音。

タイトルが示す通り、ここでの役割は臨戦態勢の整流。主旋律ではなく、背後の反復が主役となり、作業/研究という思考の手順が対話と同期する。先述した「作業・研究」の2点における思考のプロセスが対話によってなされることで、この時の夏油を表す音楽としてライヒの『Piano Phase』『Drumming』の型に収斂させるのも一見「前衛的」と思いがちだが、実は機能性という意味では必然である。

 

Piano Phase (1967)

Piano Phase (1967)

  • エドムンド・ニーマン & ヌリット・ティルズ
  • クラシック
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Drumming: Part III

Drumming: Part III

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なぜなら、志の明確化→呪詛への滑落というベクトルを感傷抜きの手続きとして提示できるからだ。結果として、キャラクターの目的と物語の方向が、ミニマルという道具立てで美しく一致する。

『呪術廻戦』第29話-「玉折」

『呪術廻戦』第29話-「玉折」

 

続くシーケンスでは、決意した夏油が村人に手をかける。まず〈調査報告書〉という事実が先に提示され、そののち過程が淡々と開示される。ここで鳴るのが「仲間(じゅつし)の屍」。もともとこの曲は、五条側の危機と過去—現在の移行をゆらぎで描いていたが、本話では、夏油が自ら悪行へ踏み出す緊張と、同時に走る学校側の内的動揺を併置するために用いられる。やがて音が途切れ、報告書に目を走らせた五条の「は?」が落ちる。音楽・編集・演技が手続きの論理として噛み合う瞬間である。

そして、事の一件起きて以後、夏油と五条が邂逅する場面で流れる「Arrogance」。

Arrogance

Arrogance

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『仲間(じゅつし)の屍』が弦のゆらぎで哀悼を持続させ、『Prepare Yourself』がピアノの短いリフと、等間隔における臨戦を整流したのち、この曲はその二つの語法を会話のための格子へ転化する。五条の動かない基準と、夏油の増殖する確信。二種の驕り(語り)が、反復という同じ床の上で並走する。「傲慢だな」という夏油が五条へと放つセリフが体現しているように、旋律が主語にならないから、和解も決裂も音楽が代弁しない。代わりに、優位の持続だけが耳の内部で続く。

『呪術廻戦』第29話-「玉折」

『Prepare Yourself』ほど段階的な加算は強くないが、『Electric Counterpoint』系譜の小セル反復とレイヤー操作で組み上げられており、微細な位相のズレ/密度の偏移によって会話の位相差を際立たせる。

Electric Counterpoint: I. Fast

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結果、情緒ではなく立場が固定され、画面は前に進めない対話として透明に定着する。

加えて、夏油を演じる櫻井孝宏の効果が大きい。乾いた中低域と硬質なサ行、プロソディ(韻律)の精密な段差づけにより

「意味はある。」(断定)→「意義もね、」(軽く受け)→「大義ですらある」(低く着地)
という三段が過熱せず論理先行で響く。これは忍野メメの「味方なんてしないさ、中立だ。」に代表される座標相対主義の話法(メメティック的)、槙島聖護の独白に宿る冷ややかな世界認識と地続きだ。傍観者→教祖→詐欺師→英雄へと立場をスライドしても核温度を一定に保ち、同じ声で別の倫理を語らせる力。

その役者×役歴の記号性が、夏油の台詞「意味はある。意義もね、大義ですらある
をただの名言ではなく、冷たい正当化の美学として音声に定着させる。

無論、これは受け手による役者×役歴の記号効果であるが、なぜ夏油傑というキャラクターに櫻井孝宏が選ばれたのか?という理由は間違いなくその役者×役歴の記号性ならない。

そして、そこに中低音の中村悠一の荒ぶる声との掛け合いにおける言葉の応酬が『Arrogance』と同期するかのように、響いていくというのも見逃せない。ここでは理念の投げ合い=言葉の戦闘が主役で、派手なアクションの連打で来た『懐玉・玉折』の結末に、真逆の対話の頂上決戦を据える意図が、劇伴(格子)×演技(韻律)で鮮やかに完遂されている。

 

この物語におけるミニマル楽曲の採用意図としては、旋律が意味を固定しないゆえ、ミニマルは場面文脈に従い意味を転覆させうる。まさに反復の美学の本質である。旋律で情を決めず、反復で立場を固定するからこそ、この会話は「勝ち負け」よりも決別の形がクリアになるという側面はおそらくあった。いずれにしても、ライヒ節全開ながらも、場によって二つの異なる場面で使用できる楽曲や、会話の応酬型としての楽曲と使い分けが巧みに処理されていることはいわずもがな。そして、こうした「ライヒ」を援用したミニマル音楽を「ジャンプ作品」の大型作品の劇伴で起用するという作法自体が、はたかみれば実験的でありながらも、おそらく照井順政氏からしみてば、正当な帰結として導き出した方向性であると言える。そしてその帰結は、アニメ劇伴に慣れていないからこその純粋に音楽で考えるという固有性が強いからである。

 

それは、Real Soundの「コンセプトから作る」インタビューでの照井順政の発言からも明白だ。彼はミニマル/トライバル/細かなギターフレーズ/変拍子をキーワードに据えつつ、テンポや陰影など映像側の制約に合わせることで必然的に新しい曲が生まれたと述べ、さらに汎用曲を減らし、特定場面に刺す曲を多く採用した制作方針を明らかにしている。

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――『呪術廻戦』の劇伴において、いわゆる劇伴らしい部分と攻めた部分のバランスはどのように意識しましたか。

照井:ミニマルミュージックであったり、トライバルなリズムであったり、自分の持ち味である細かいギターのフレーズだったり変拍子だったり……といったものはキーワードとしてありつつ、「もっとテンポを遅くしなきゃいけないんだ」とか、「ここは途中で暗くしなきゃいけないんだ」という制約があると、好き勝手にやっているつもりでも、今まで作ったことのないものになっていかざるを得なかった。そういう感覚でしたね。

照井:『呪術廻戦』は恐らく一般の劇伴より、いわゆる汎用曲みたいなものが少なくなっていると思います。そもそもメニューで指定された曲数自体が多いし、ある特定の場面にだけはめる曲みたいなものが多分一般のアニメよりは多いと思います。

 本当に日常の汎用曲みたいなものは、例えばループしやすいようにとか、転調はしないでどこを切っても変なふうにならないようにというのを多少意識したんですけど、それ以外の例えばバトルの象徴的な曲だったりは、基本的には制約を考えずに単純に特定のシーンにかっこよくはまるようにという感じで作っていました。

加えてCINRAのインタビューでは、初期打ち合わせ段階で監督から「スティーヴ・ライヒみたいな感じが欲しい」とリクエストがあり、自身も第2期でミニマル導入を提案した経緯を語る。しかも“まんまライヒ”ではなく、ポストロック由来の語法や現代的な要素で最適化したと明言されている。

kompass.cinra.net

照井:もっと真正面なことを言うと、自分がやってきた音楽は意図せずポストロックと呼ばれることが多くて、結構ミニマルの要素を含んでいたので、『呪術廻戦』にもその要素を持ち込めるんじゃないかと思って。それを最初の打ち合わせの段階で監督にお話したところ、面白がっていただいて、実際「スティーヴ・ライヒみたいな感じが欲しい」みたいなことも言っていただいて。

―『呪術廻戦』とミニマルが合うと思ったのは、なぜだったのでしょうか?

照井:呪術的な音楽は繰り返しのなかでトランスしていく要素があると思っていて。トライバルというか、原初的なリズムが核にあって、リズム自体は単純なんだけど、それが繰り返されていくことによって高まる要素がある。それで「ミニマルを取り入れるのはどうですか?」って、第2期の音楽をつくるタイミングでご提案したんです。

jujutsukaisen.jp

小林:「懐玉・玉折」で言えば、例えば夏油については「冷静で規則正しい・術師の秩序を重んじている・若い」といったイメージがあると監督が話していて。それを受けて照井さんから「ミニマルミュージック(※2、以下ミニマル)を取り入れるのはどうですか」という案が出ましたよね。

照井:呪術的な音楽は、音型は単純なんだけども、それが繰り返されることで人の意識が通常とは異なるトランス状態になっていく要素があると思っていて。それでミニマルを取り入れるのはどうでしょうと提案させていただいたんですが、監督には「いいね」と面白がっていただけたんです。「懐玉・玉折」については、五条と夏油の若くてエネルギーを持て余しているところ、ちょっと傲慢で暴走している感じや最強感があるところを表現したいというリクエストがあって、ジャズっぽい跳ね感のある音楽や、決めごとがなく即興的な雰囲気の音楽で表現してみようと思いました。

 

つまり、制作側は最初から音楽の方向性を定めたうえで、アニメ劇伴の慣習に縛られない作家を起用して新鮮味を狙い、それが場面特化の設計とミニマルの機能で大成功に結びついた、という理解で間違いない。

以上が『懐玉・玉折』におけるミニマル劇伴としての素晴らしさである。

 

その意味では、物語が基本的に、先生優位の物語であるからこその即時性と倫理の冷たさを質感で鳴らしていると言える。低域・無音・金属倍音で「先生の倫理」を語らせているとでいうべきか。だって、あらすじレベルを読むだけでも、『呪術廻戦』は、五条悟という「最強」の記号が物語の主権を握るという設計だし、夏油という理念の対偶がその重力を担っていることはわかるし、『懐玉・玉折』『0』が悲劇と特級主人公を先出しで完結させたことにより、受け手の評価軸は以後も五条基準にロックされているのも、まぁわかるわけだ。

 

ようするに、プリクエル主権効果(造語)じゃないけど、完結パッケージ(懐玉・玉折/0)が、物語の主権(誰の意思で世界が動くか)と音の設計思想を先生側=五条/夏油軸でカチッと固めてしまったという側面がある。この作劇上の帰結は、劇伴に還元される際の方向性の担保になる。ゆえに音楽はミニマル/ドローン/EDMの三位一体で機能配分される。

だからこそ、『呪術廻戦』の劇伴は、格子(ミニマル)・静圧(ドローン)・瞬発(EDM)で〈先生の倫理〉と物語主権を鳴らし続ける。

 

というわけで、既に全トラックを通して音楽的には分かる側面が多いのですが、本編未見のため、今わかる範囲という中で『懐玉・玉折』のミニマルベースに劇伴について述べました。何かの参考や再視聴のきっかけとなれば幸いです。

(2)(3)も音楽タッチの質感は既に掴んでいるので後は本編とどう作用しているを「視聴」してから確認すれば、続き物として出せると思います。よろしくお願いします。