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音楽に思考の補助線を引く

【宣伝】『もにも〜ど2.5』『Binder vol.3』『試作派』に寄稿

2024年12月1日に開催される文フリ39で『Binder.』『試作派』『もにも〜ど』の三誌に参加しています。

『Binder.』では「影の幾何学──真アサシンが描く無名性の多面体」

『試作派』では「成田亨デザインの源流について」

note.com

『もにも〜ど2.5』では「シャフトアニメの視覚表現の源流」の第一章

moni-mode.hatenablog.com

がそれぞれ掲載されています。

 

それぞれの内容についてですが、『試作派』はタイトルの通りで『ウルトラQ』から『ウルトラセブン』の中期までの『ウルトラシリーズ』の美術・デザインを担当した成田亨のデザインについての文章になっています。なぜ今になって成田亨なのかと思う人も少なくないと思いますが、やはり日本独自の「怪獣」というもの印象に残るデザイン、もっと言えば普遍性を獲得したほぼ全てが成田亨が手掛けた作品であり(怪獣の確立という意味では本当の意味で広めたのは大伴昌司なんだけどそれは話が長くなるので)、その上で「ウルトラマン」というデザインを担当したその偉業さたるや、という話はどこかでまとめておかなければとおもったからです。そしてタイミング的も、庵野秀明樋口真嗣タッグによる『シン・ウルトラマン』(2021年)という原点回帰のデザインで一本撮られた後でもあるため、より実感として成田亨の美学というものが読み手が実感しやすいということもあり、以前から考えていたが発表の場がないなかで、そういう原稿をあつめていた『試作派』さんに文章を寄稿したわけです。

本来であれば前回の文フリ38で製本版も完成しているはずだったのですが、諸般の事情で今回に持ち越しとなっています。コピー版と製本版とで違いを見つけるのがこの同人誌の面白いところでもあるのでぜひ校閲なしver.と比較して、文体や内容の差異を比べてみてください。

 

次に『Binder vol.3』に寄稿した「影の幾何学──真アサシンが描く無名性の多面体」についてですが、これがどういう記事であるかは正直にいって自分でもよく分からないです。当然、内容においては『Fate/staynight』におけるHF編だけに登場するサーヴァント「真アサシン」というキャラクターに焦点を当てている記事なのですが、作品やキャラクターの話はほぼ前半で終わっていてその後は「無名性」「象徴性」といった「真アサシン」のキャラクター造形を抽出し、それらの特徴がフィクションにおける様々なキャラクターや実在の人物にも適応でき、、、 みたいな文章を書いています。端的に言えば抽象性がやや高い文章になっているということです。そもそもこの文章は、梶浦コンサートのHFのコンサートの会場で浴びた生のオーケストラとアニメ映像が軸になっておりまして、真アサシンvsランサー戦とかあの映像をみて「真アサシンっていいよなぁ」という気持ちが高じて今ならなぜ真アサシンがかっこいいのかということが書けるかもしれないと思い立ち、別の資料と無理くり合体させて完成させたものなので、動機が不順ではあったのですが、ものとして原稿を書いた以上、かねてから寄稿したいと思っていた『Binder.』という型月作品を取り扱う同人誌に載せるのが一番かなと思い、主宰の方にダメ元で相談をしたら掲載許可が降りたため、無事掲載という流れに落ち着きました。本来は別の、とある作品の論考を腹案として考えており、それを書いて送ろうと考えていたのですが、別の原稿(次に紹介する原稿)があまりにも盛り上がりすぎたため時間がなく見送り予定だったので、突発的な原稿でありながらも掲載を許可していただいた編集部御一行には感謝しかありません。「奈須きのこクロニクル」という題目のため、周りの寄稿者様方が素晴らしい型月愛を持ってして書いた論考が載っている余計に自分の原稿が場違いなのではないかと今でも思いますが、とはいえ、焦点の置き場という意味での独自性では中々いい線行ってるのではないかと思いますので何卒よろしくお願いします。例外的に言えるのは、リアルで自分を知っている人は滅茶苦茶面白いと感じられる原稿です。

 

 

で、毎度お馴染みの『もにも〜ど』さんですね。これが本当に大変でした。今回はいい意味で。

自分の中で前作「もにも〜ど2」に自分の実力不足とはいえ、某作品について大真面目に考えた原稿を落とした経験が完全にトラウマとなり、載らなかった経験が苦しすぎて一度ゼロからものを考えて「本当に面白い文章とはなんだろう」とか、自分の文章力などについて四苦八苦して向き合った上でなにを「2.5」で書こうかってなったときにまず最初に思い当たったのが『コゼットの肖像』と『The Soul Taker 〜魂狩〜』の2本で、新房昭之のシャフト以前の芸風で攻めたら面白いのではないか、、と思い立ちまぁ数年ぶりに作品を見返すとまぁ滅茶苦茶面白いわけですよ。で、そこからあれよあれよと構想が膨らみ、作品論という範疇には遂におさまりきれくなったので、ここまできたらもはやアニメ作品という枠よりもアニメという「テーブル」そのものを問う論考(まぁこのブログでいつもやってる思考法ですね。「テーブル論」と呼んでいます)にしようと大局的な見地に回って、一層のこと「シャフトアニメの視覚表現そのものがなぜ成立するのか?」という大掛かりなテーマを据えて書き始めたらかなりのスピードどで筆がのり、新房昭之だけではなく尾石達也大沼心劇団イヌカレー、吉澤翠、今  敏と多角的に文章を展開することができたのと、原稿を書いていた時期がちょうど7-9月だったのですがその時期に『業物語』が放映されたことがかなり大きく、『業物語』でも相当文章を書き、そこからどんどん深掘りをしていったところ、実に9万字に近い原稿が完成しました。まさかシャフトの文章で平沢進の記事の文量をかくことになるとは思いもしなかったのですが、とにかく多少の同人誌への寄稿経験を経た今の自分が一つのアニメ会社の表現について、これだけの文量をかけたことが嬉しく、それを主宰のあにもにさんに投げたところ、「画像込みで優に100Pは超えれるので分割連載でいきましょう」という趣旨の方針によって第一章にあたる「尾石達也モダニズム」の部分をピックアップし、それを一つの論考して仕上がったのが今回の「もにも〜ど2.5」に掲載される文章です。そういう経緯を経ているため、多分読めば、物足りなさは間違いなくあると思います。全五章のうちの一章でしかないので。二章は『廻天』特集の「もにも〜ど3」に掲載されるので、ぜひそちらを待っていただければと思います。個人的には四章と五章が本当に熱い文章なので、それを読んでいただきたい一心です。

 

提出原稿

まぁそういった背景を持つ中で、ちょっとだけ今回の一章の内容について言及すえると尾石達也ってファンの中では散々論じられているし、もういい加減ネタがないのではとか思っている人もいそうな雰囲気でいまさらかよとか思われそうな気もするのですが、はたしてこれまで数多の尾石達也というクリエイターの視覚表現で、真に面白い解題文章があったかといえば、それこそ体感1,2本しかなく、個人的にはどうも「フェティッシュ」だの「プリミティブ」だのと映画評論の文章とか読んでると多発するワード第一位で、一体何回聞くんだことの言葉は(今で言うとハリソン山中みたいなああいう感じ)みたいな抽象表現でものを言う人もいたりして、それはそれで感想としては悪くないが、根本には至っていないよなぁとか思うわけです。なんの含意もないわけで。

シャフトアニメの表現におけるそれの説明は本当に難しく、言葉にしたくてできない言葉、というよりか上手く言えなかった言葉、それでも届けたい言葉!!!!!っていう感じだと思うのですが、その点において、抽象的な言葉を一切抜きに向き合えた記事になったのは本当に達成感がありますし、多分、今回の「尾石達也モダニズム」の文章としての強度は相当高いという自信がある。

寄稿というものは大体、自分が読みたい文章の現れだと思っているのですが、『傷物語』が「凄いけど、よくわからない」と思っている人にとってはかなりいい資料になると断言できる。加えて、クオリティを担保するため、だけではないのですが、今回の長大な原稿には『傷物語』の建築や小ネタの解題記事を書かれた変化龍・龍変化さんを美術監修として迎えているため、より説得力のある文章として成り立っているので、ぜひともお手に取って読んでいただきたいですね。

いつか全五章が「もにも〜ど」に載ることを願って、宣伝文の締めとさせていただきます。まぁ現実的に難しくなった際にはこのブログでの公開が一番手段としてベストだと考えています。

 

 

今回も文章に色々ネタは入れています。最近中の人が何に夢中かがわかる人にはわかるかと思いますので、何かを察した人はぜひコメントまたはメッセージください。

以上